第345話 フランス解放(1)
時を少し遡る
1941年5月
連合国軍がデンマークに上陸した後、フランスに駐留していたドイツ軍は、逃げるように東に移動した。そして、彼らがドイツ本国に到着する前にベルリンで核兵器が使われ、ドイツは無条件降伏を受け入れた。
パリからドイツ軍が去って2日後、英仏兵を中心とした連合国軍がパリに進駐してきた。パリ市民はありったけの花束を投げ込んで彼らを歓迎する。身だしなみを整えた美しいパリジェンヌ達は、自分たちを解放してくれた連合国兵士に抱きつき、“白人の兵士であれば”誰彼かまわずキスをした。みんな笑顔だった。
2年近くドイツに占領され、彼らの戦争に協力させられていたのだ。物資は配給制となり、シャンゼリゼ通りのカフェも半分以上が店をたたんでしまった。もう二度と、花の都と呼ばれることは無いかも知れない。パリ市民の誰もがそう思っていた。
しかし、とうとうこの“約束の日”が来たのだ。あの忌々しいキャベツ野郎どもは居なくなり、全てのパリ市民が開放された。カーキ色の軍服を着た連合国兵士達は、まさに“神の軍団”だと思えた。
――――
「イヤー!やめてー!おねがい!ゆるして!」
サン=ラサール駅近くの住宅街の通りで、何人もの男達が一人の若く美しい女性を追いかけていた。
女は必死の形相で逃げていた。顔は涙でくしゃくしゃになっている。しかし、どう頑張っても男の足に勝てるはずも無い。
ついに、男の右手が女の後ろ髪を掴み、そのまま引き倒してしまった。
多くの通行人がその様子を見ていた。皆、不快な表情をしているが、それは男達にでは無く逃げている女に向けられたものだった。
そして、男達は道路にうずくまる女に罵声を浴びせながら蹴りを入れる。
「このキャベツ女!」
「水平協力者!」(※水平 → 横になる → ドイツ兵と寝る)
「コラボラトゥール!」(※協力者)
彼女の名はオデット。占領下のパリでドイツ兵と恋仲になっていたのだ。
パリ陥落から一ヶ月くらいが経過した頃、凱旋門近くでドイツ軍の車両が横転する事故があった。彼女はたまたまその現場に居合わせたのだ。
それを目撃していたパリ市民は、しばらくは様子をうかがっていた。しかし、車両の下敷きになっているドイツ兵がいることに気づいた何人かが駆け寄り、力を合わせて車両を起こしそのドイツ兵を引っ張り出した。そして、彼女はそのドイツ兵の傷をスカーフで押さえて止血したのだ。
ドイツ兵は足に捻挫と擦り傷を負ってはいたが、重傷というわけでは無かった。そして、手当てをしたドイツ兵と恋仲になってしまった。
あんなに憎んでいたドイツ軍。でも、手当てをした彼は、ただの普通の青年だった。笑顔がさわやかで、紳士的で穏やかな人だった。付き合うようになってからは、オデットと同居している病気がちの祖母の為に、薬代を出してくれもした。とても優しい人だった。
しかし、別れは突然にやってきた。連合国軍がデンマークに上陸したと同時に、彼は本国に向けて移動を開始したのだ。
「すまない、オデット。僕たちはドイツ本国に帰らないといけない。君は、すぐに南に逃げるんだ。僕たちがいなくなったら、君はドイツ軍に協力した裏切り者としてひどい目に遭うかも知れない。南のヴィシーフランスに行けば安全だ。愛しているよ」
彼の消息はそれっきりになってしまった。
しかし、オデットは祖母を連れて南に逃げることは出来なかった。そして、とうとう自警団の男達に見つかってしまう。
「や・・め・・て・・・・」
助けて欲しいと懇願するオデットに対して、男達は暴行を止めることは無かった。そしてオデットの髪をハサミで切って丸坊主にした。
「さあっ!歩け!」
オデットはよろよろと立ち上がり、男たちに言われるまま歩き出す。
「死ね!売女(ばいた)!」
「恥知らず!」
それを見ていた人たちは、顔を腫らし丸坊主にされたオデットに対して罵声を浴びせた。特に激しく罵倒していたのは、オデットと同じ女性達だった。同じ女として、憎いドイツ兵に“カラダ”を提供していたことが許せなかったのだ。
多くの女性達が丸坊主にされて、街のあちらこちらで晒し者にされた。ドイツ軍に積極的に協力したと密告された者達がリンチに遭い、嬲り殺しにされる者が続出した。民衆に捕まったドイツ兵の中には、裁判も無しに処刑された者も居た。
警察機構が正常化するまで、フランス中でこのような悲劇が繰り返されることになる。
――――
史実では、民衆のリンチによって約1万人のフランス人が殺害されたと言われる。また、ドイツ兵と恋仲になっていたり、売春相手になっていた女性達は丸坊主にされ、半裸で晒し者にされた。
さらに、フランスに進駐したアメリカ兵による強姦事件が、ノルマンディー上陸作戦からの一ヶ月だけで3500件も発生したとされる(歴史研究家ロバート・リリー)
アメリカの雑誌「ライフ」に、「フランスは4000万人の快楽主義的売春国家」であると米兵に見られているという記事が掲載された。
※この世界線ではアメリカ軍が参戦していないため、連合国軍兵士による強姦事件はそれほど発生していない。
――――
西ヨーロッパの治安維持にあたっては、英仏がその全責任を負うと主張し日本軍の介入を拒否していたのだ。日本軍もウクライナ方面とウラル方面に戦力を集中していたため、西ヨーロッパへ派兵できなかったという事情もある。
ドイツ軍を駆逐した後に、解放された地域においてこういったリンチが発生することを日本は警告していた。しかし、英仏としては民衆の息抜きの為、ある程度許容する方針をとったのだ。
――――
報告書を読み終えた高城蒼龍は、椅子の背もたれに体を預けて目をつむった。そして悔しげに下唇を噛む。
リリエルも無言だが、高城蒼龍には彼女の悲しみが伝わってくるような気がした。
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