第344話 戦後処理(1)

1941年8月20日 午前4時 サハリン ノウビィ・サンクトペテルブルク


 ジリリーン


 アナスタシアの寝室にある電話機が呼び鈴を鳴らしている。その音に気づいて目を覚ましたアナスタシアは受話器を取った。


「スターリンを確保できたのですね!」


 クレムリンへの突撃開始に際して、アナスタシアはリアルタイムでの戦況を報告させていた。しかし、サハリン時間の深夜1時を回った頃に、夫の有馬勝巳に促されて寝室に入っていたのだ。


 アナスタシアはすぐに軍服に着替えて、有馬勝巳の待つ皇宮作戦本部に向かった。作戦本部となってはいるが、実際にはロシア帝国軍統合作戦本部からの報告を聞くだけの場所だ。アナスタシアが直接軍に対して指示を出すことは無い。


「皇帝陛下。モスクワ地下司令部に突入した特殊作戦群によって、スターリンの身柄を確保いたしました。すでに意識を取り戻しており、本人確認もいたしました。影武者ではありません。スターリン本人です!」


 現地で指揮を執っていたロシア陸軍バヨノフ元帥が、ロシア陸軍式の敬礼をしながらアナスタシアに報告をする。テレビ電話越しにも、その表情に安堵の色がうかがわれた。


 スターリンの本人確認は、あらかじめ取得していた指紋の照合によって行われた。最終的には、スターリンの唾液を採取して遺伝子検査に回されることになっている。


「そうですか・・・よくやってくれました。これで、これで本当に戦争が終わったのですね」


 アナスタシアはそう言って目をつむった。その目尻からは涙がこぼれる。


 ロシア革命によって、家族は皆殺しにされてしまった。それを命じたレーニンはすでに死亡しているが、レーニンの傍らで革命を推進し、レーニン亡き後は実権を握って何百万人もの国民を虐殺した大罪人がスターリンだ。最悪、スターリンの死体でも良いと思っていたが、生きて確保できたことは僥倖であった。


「ウラーーー!」※ロシア語で万歳の意


 朝6時のラジオニュースでスターリンの逮捕を知ったロシア国民は、その歓喜のあまり皆外に出て“ウラー”を叫んだ。知らない人同士でも抱き合って喜びを分かち合った。ロシア国民のほとんどは、ソ連の暴虐から逃れてきた人たちだ。そして、夫や息子が戦地に赴いている。戦争が終わった。これで、大事な家族が無事に帰ってくることが出来るのだ。


 ――――


 同時刻 東京 宮城(皇居) 大本営


「陛下、本日午前4時、ロシア軍によってスターリンが逮捕されました。これで大陸での戦争が終わります」


 閑院宮参謀総長が天皇に報告をする。対ドイツ・対ソ連戦において、海軍ではそれほど損害は出していないが、陸軍ではある程度の損害を出しており、戦死者も5,000名を超えていた。陸軍の一部には、この戦死者5,000名の対価としてシベリアを領有するのは当然という考えがあった。


 日本は明治以降、日清・日露・第一次世界大戦と戦争を経験してきた。いずれも自国の防衛と権益拡大を意図した戦争だった。日清戦争では台湾を領有し、朝鮮半島を日本の影響下に納めることが出来た。日露戦争ではロシアの脅威を排除し、朝鮮半島の植民地化と満州での権益拡大を実現した。第一次世界大戦では南洋諸島を委任統治領として手中に収めた。


 そして、1921年締結の日露国境条約によってシベリアを割譲されることが決まっていた。


 しかし、この条約が締結されたのは大正10年(1921年)であり、そこから世界情勢は大きく変化していた。領土拡大や植民地支配といった、前時代的な目的の為の戦争に対して日本は明確に反対を表明している。そして、多くの国民も戦争によって領土を広げることを“恥ずかしい行為”であると認識し始めていた。


 そこで、日本とロシアはシベリアを独立させることにしたのだ。


 アナスタシア皇帝と有馬公爵の次男であるセルゲイ・アレクセイ・ロマノフ(18歳)を公王として、“シベリア大公国”が独立すると世界に発表した。正式には、“大日本帝国シベリア大公国”であるが、独立国として国際連盟にも加入するし、独自の憲法を持ち完全な自治が保証されている。


 さらに、セルゲイ大公が日本留学中に知り合った宮家の子女と恋仲になっており、近く結婚することも発表された。


 ――――


「高城よ、これで戦争は終わったのだな。これで、国民が戦禍によって死ぬようなことは無いのだな」


 皇居の一室で、天皇は感慨深く高城に語りかける。


 幼少の頃、高城から聞いた絶望的な未来。空襲で焼かれ、何百万人もの国民を死なせてしまう未来。その未来を変えるために、天皇は高城たち宇宙軍のメンバーと共に戦ってきた。そして、日本国民を戦火にさらすこと無く、明るい未来を迎えることが出来るのだ。


「はい、陛下。対独対ソ戦は勝利に終わりました。しかし、中華民国では内戦が拡大しており、今現在でも米軍の空襲によって多くの民が焼き殺されております。この戦火が拡大すれば、隣国である清帝国や我が国が巻き込まれる可能性も否定できません。次は中国内戦の解決を図る必要があります」


 喜びをあらわにしている天皇に対して、いささか冷水を浴びせるような言葉であるとも思ったが、高城には、どうしてもルメイの動きが気になって仕方がなかったのだ。


 中華民国の蒋介石と、野党第一党の“孫文党”党首の宋慶齢とも外交的なパイプは維持している。蒋介石は米軍の無差別爆撃を致し方なしと思っているようだが、宋慶齢は民衆の犠牲に対して深い憂慮を表していた。そして、日本に対して内戦への介入を水面下で要請している。


 “もし日本が中国内戦に介入したら、史実のような泥沼の中国戦線になるのではないだろうか?”


 日本は難しい決断を迫られている。

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