第337話 インドネシア独立(1)
時を少し遡る
オランダがドイツに占領されウィルヘルミナ女王がイギリスに亡命した後も、インドネシアの植民地政府はそのまま植民地支配を続けていた。日本政府は石油資源の安定確保のためオランダ亡命政府と協約を締結し、インドネシアでの油田開発を日本主導で推進した。産出した石油は日本やロシアに輸出されることになった。
そして、日本が英仏に対して要求した植民地放棄をオランダにも要求したのだが、オランダ亡命政府はそれを頑なに拒否した。
資源や産業の乏しいオランダでは、インドネシアの石油が生命線と言って良く、インドネシア無しの国家経営は考えられなかったのだ。
1940年5月
ロンドン オランダ大使館 兼 オランダ亡命政府庁舎
「ヘルブランディー首相、そろそろ決断していただけましたかな?」
オランダ亡命政府のヘルブランディー首相は椅子の背もたれに体を預け、腕を組んだまま渋い表情で目の前の男を睨んでいた。
そして、ヘルブランディー首相の正面に座って葉巻を吹かしているのは、日本の駐英大使吉田茂だ。
「イギリスもフランスも植民地放棄を快く受け入れてくれましたよ。それなのに、貴国はどうして頑なに植民地支配を続けようとされるのでしょうか?もうそういう時代ではないということに、まだ気付かれないのですか?」
吉田はいやらしい笑顔を向けて言葉を投げかける。日本の支援が無ければオランダの解放はあり得ない事を、ヘルブランディー首相も良く理解しているはずだ。だが、オランダの懐事情も吉田は良く理解している。インドネシアの石油がなければ、ドイツから解放されたとしてもヨーロッパ最貧国の地位を確たるものにするだけなのだ。
「吉田大使、日本が欧州戦争に参戦してくれたことは感謝に堪えない。そして、日本の協力がなければ、我が祖国が解放されることも難しいであろうことは良くわかっている。しかし、我が国には資源がない。ドイツ軍を追い払ったとしても、戦後復興のためにはインドネシアの石油がどうしても必要なのだ。そこを理解していただけないだろうか?」
ヘルブランディー首相はその表情をゆがめ、屈辱を耐えるようにゆっくりと返答した。
「ヘルブランディー首相、誤解があるのかもしれませんが、日本は今すぐ植民地を解放するようにとは言っておりません。数年以内の解放の確約か、もしくは即時に植民地の住人に対して本国人と同じ選挙権の付与のいずれかを“お願い”しているのですよ。植民地支配を続けたいのであれば、インドネシアの人々に本国人と同じ権利を付与すれば良いだけのことです。そして、インドネシアの人々が植民地支配を甘受し、石油資源の搾取を容認すれば我が国としても文句の付けようがありません。難しいことではないでしょう?」
ヘルブランディー首相は吉田のその言葉を聞いて、両手の拳を力一杯握りしめる。その爪は掌に食い込んでいく。そして、静かな応接室にギリギリと歯ぎしりの音が聞こえていた。
インドネシア人に本国の参政権を与えたなら、議席の70%はインドネシア人に占められてしまい、インドネシア人のオランダ首相が誕生してしまう。そんな事は決して容認できない。
しかし、数年後の植民地独立を亡命政府が確約したとしても、オランダ国民が納得するとは思えなかった。条約締結の権利はウィルヘルミナ女王にあるとは言え、このような重大な決断を、国民議会で審議することなく決めて良いはずがないのだ。
「吉田大使。インドネシア人に参政権を与えたなら、単純な人口比でオランダがインドネシアに支配されてしまう。そんな事はとても受け入れられないことは解るだろう?私としては植民地放棄の方向で検討したいと思う。しかしそれは、ドイツ軍を追い払って主権を回復した後に、議会にて審議するということではだめだろうか?」
「ヘルブランディー首相、民主化によってインドネシアがオランダを支配する事に何の不都合があるのですか?今まで300年間、貴国はインドネシアを支配してきたのでしょう?その立場がたまたま逆転するだけのことですよ。大したことじゃあありません」
吉田は葉巻の煙を大げさに吐いて、ヘルブランディー首相に決断を迫る。
「た、大したことではないですと?吉田大使、あなたはオランダの主権を一体何だと思っているのか!」
ヘルブランディー首相は顔を真っ赤にして声を荒げてしまう。主権を失うことを“大したことではない”と言う吉田を、とても許容する事が出来なかった。
吉田茂は“やれやれ”をいうジェスチャーをして首を横に何回か振った。
「我が日本は、いかなる形の植民地支配も専制も隷従も許容いたしません。もし、貴国が植民地支配を諦めないのであれば、その野心が消えて無くなるまでオランダ本国を国連の信託統治領として日本が統治することになるでしょう。もちろん外交権はなくなります。限定された自治権は与えますが、それも日本の許可の下になるでしょう。そうなれば、もちろん我が国は信託統治領への支援は惜しみませんよ。貴国の国民が飢えるようなことは決して無いでしょう。その方が貴国にとって良いかも知れませんね」
「バカな!そんな事を英仏が許すわけが無い!我が国をバカにするにもほどがある!」
ヘルブランディー首相は立ち上がって激昂した。吉田茂を指差している右手はプルプルと震えている。オランダ政府が亡命してすぐに首相に指名されたヘルブランディーは、ウィルヘルミナ女王からの信任も篤い。そして、女王と国家に忠誠を誓っているのだ。しかし、自分自身の判断によって、オランダが事もあろうに日本の統治下に入るなどあってはならなかった。
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