第309話 ワルシャワ蜂起(7)

 殿(しんがり)を務めている斉藤達の部隊に対して、ドイツ軍は携帯型5cm迫撃砲を撃ち込んできた。


 距離が300mほどあったのでそれほど正確な射撃では無いが、数を打ち込まれると損害も無視出来ない。事実、一緒に行動していた何人もの部下が、至近弾によって負傷している。


「くそっ!まずいな!避難民の足はこれ以上速くはならないだろうな・・」


 斉藤の顔に焦りが見え始める。避難民の先頭は、王宮に入り始めたとの報告があった。しかし、数千名にも及ぶ避難民の列は1km以上の長さがあり、最後尾が王宮にたどり着くまであと10分くらいはかかりそうだった。


 現在の弾丸消費から逆算すると、さすがに10分は耐えられそうに無い。さすがの斉藤でも、小銃を持った敵兵に対して銃剣突撃はしたくなかったのだ。


 そんなことを思案していると、女神から通信が入る。


「斉藤少佐。補給を終えた攻撃ヘリが向かっています。到着まであと300(秒)もう少しです」


「助かるぜ!到着したら、300m西のF23交差点付近にいる迫撃砲部隊を殲滅してくれ!」


「了解しました。F23交差点付近の迫撃砲部隊への攻撃を最優先します」


「おい!野郎ども!聞いたか!?あと300秒で攻撃ヘリが来る!それまでなんとしても持ちこたえるぞ!」


 斉藤は部下達に檄を飛ばした。あと5分持ちこたえれば良いとわかった兵士達は、一気に士気が上がる。


「少佐殿、たった5分でいいんですか?5分じゃ即席うどんしか作れませんぜ」


「少佐殿、あと5分じゃ目標の撃破20には届かないかもしれませんね」


 斉藤の「あと5分」という言葉を聞いて、部下達は口々に冗談を言い合う。俺の部下は、まだ冗談を言えるくらいの余裕はある。くそったれな戦場においても、心に余裕を失わないことは良いことだ。


 “さすが、第一空挺団だ”


 斉藤は自分の部下達を頼もしく思った。


 ――――


「早く王宮内に入って!」


 ハンナは王宮の手前で避難民の誘導をしていた。日本やロシアの兵士は、ロシア語はできるがポーランド語はほとんどわからなかった。避難民を誘導するためには、ロシア語とポーランド語のできるハンナのような現地人が欠かせなかったのだ。


 ハンナ達が王宮に近づくにつれて、すさまじくおぞましい臭いが立ちこめてきた。それは、チーズの焼けるような臭いと腐臭と糞尿の臭いだ。ドイツ軍に占領されてからはワルシャワの衛生状態は悪化し、街中に糞尿の臭いが漂うようになっては居たが、王宮から漂ってくる臭いはそんなレベルの物では無かった。


 日本兵やロシア兵に聞いても原因を教えてくれなかったが、避難民の中にその原因を知っている人間がいた。


「死んだユダヤ人を王宮の庭に積んでいるんだ」


 高さ5mくらいの死体の山がいくつもあり、何ヶ月間も放置された肉体は黒くどろどろに溶けていて、ものすごい数のウジとハエが湧いていたそうだ。そして、死体から流れ出した黒い液体は、王宮の庭を真っ黒に染めていた。


「なんて酷いことを・・」


 ハンナは、これが同じ人間に対して行った事なのかと思う。何故に、人はここまで残酷になることが出来るのか?


 ハンナ自身、自分は普通のポーランド市民だという認識だ。そして、他の多くのポーランド人がそうであるように、ユダヤ人に対してあまり良い感情を持っては居なかった。


 ユダヤ人と言えば高利貸しで、返済できなくなった人から家や土地を取り上げて通りの良い場所の多くを所有していた。彼らは、なにかズルいことをしてポーランド人よりも裕福な暮らしをしているというのが、一般的な認識だったのだ。


 そして1936年に、ポーランド各地でユダヤ人に対する“ポグロム”が発生した。これは、“破滅させる・破壊する”といった意味の言葉で、文字通りユダヤ人に対して多くのポーランド市民が暴行を加えたのだ。このポグロムによって、80人のユダヤ人が殺害されてしまった。ポーランド政府はこの事件によって、ユダヤ人を保護するのでは無く排斥する方向へと舵を切る。一度国外に出たユダヤ人に対して再入国の拒否を行ったり、強制移住を実施したりした。


 ハンナは、このような憎悪感情がエスカレートしてしまい、このワルシャワでのユダヤ人ゲットーのような事が起きたのだと理解した。そして、自分の心の中にも、あのナチスと同じような部分があるのでは無いかと想い、その事に恐怖する。


 王宮を占拠した日露軍は、その死体の山にガソリンをかけて燃やしている。本来なら検死などをするべきなのだろうが、衛生上の危機対応を優先させたのだ。避難民に病気が蔓延しては大変なことになる。また、風邪や何らかの病気を患っている避難民と健康な避難民との隔離も実施した。


 この王宮を始め、ワルシャワの数カ所かに確保した安全地帯に避難民の誘導は完了しつつあった。


 そしてその頃、ビスワ川の川岸に構築されたドイツ軍防衛陣地は、日露軍航空機による精密爆撃を受けつつあった。市民の避難が大方完了したので航空爆撃が行えるようになったのだ。そして、日露軍の機甲部隊は東側からワルシャワを目指していた。


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26日(金)は臨時休載します。

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