第303話 ワルシャワ蜂起(1)
当時、ワルシャワのビスワ川西岸にユダヤ人のゲットーがナチスによって設けられていた。面積はおよそ2.5キロ平方メートルで、そこにドイツが占領した地域から40万人ものユダヤ人が集められていたのだ。そして、その区画はレンガの壁によって隔離されており、食料の供給も乏しくひどく劣悪な環境に陥っていた。老人や子供は毎日のように死んでいき、既に5万人以上の死者を出している。死んだ者は埋葬もされず、ポーランド王宮の庭にうずたかく積み上げられていた。
※ゲットー 隔離地域のこと
※食料は、一人あたり180kカロリー/日しか供給されなかった。これは、大人の必要量の10分の一ほど。
※史実のワルシャワ蜂起では、約20万人の市民が犠牲になった。
そこに、ポーランド国内軍がワルシャワで蜂起をしたという情報がもたらされる。このままでは死を待つだけだったゲットーの人々は、そのポーランド国内軍に呼応して蜂起を開始したのだ。
ワルシャワの市街地では、あちらこちらから小銃の発射音と爆発音と怒号が聞こえてきた。ゲットーの人々は、その激しい音に恐怖を感じながらも、同時に解放してくれるかもという一縷の望みを見ていた。動けるユダヤ人達は、女も子供も石や棍棒を持ってドイツ軍に襲いかかった。
――――
「阿南司令!ワルシャワでポーランド国内軍と市民が蜂起を開始しました!市内は大混乱に陥っているとのことです!」
司令部天幕に、電信を持った佐久間参謀が駆け込んできた。ワルシャワで蜂起を計画しているという情報は掴んでいたが、日本としてはポーランド亡命政府に対して自重するように要請していたのだ。日露軍がワルシャワを包囲し、かつ、イギリスが西方より圧力をかけドイツ軍戦力を分散させた後に、タイミングを合わせて蜂起することを望んでいた。
タイミングが合わなければ、各個撃破されてしまい蜂起が失敗に終わる可能性が危惧されたのだ。
「なんと言うことだ!何故待てなかったのだ!」
阿南(あなみ)はその知らせを聞いて、滅多に出すことが無いような大声を出してしまった。このままでは、ワルシャワ市民に多大な犠牲者が出てしまう。現在のワルシャワの人口は、ゲットーを入れて100万人くらいのはずだ。ドイツ軍なら平気で皆殺しにしかねない。
「ワルシャワにはカミンスキー旅団や第36SS武装擲弾兵師団がいるのだろう?連中は虐殺を楽しんでいる。あんなケダモノが居るというのに、一斉蜂起とは・・」
「ドイツの撤退戦での焦土作戦を聞いたポーランド亡命政府が、蜂起を命令したようです。自国民がこれ以上犠牲になることが許せなかったのでしょう」
「くっ・・、その気持ちはわかるが、あと一週間、いや、あと3日でよかったのだ。せめて、我々の体制構築を待ってくれれば・・・早まったまねを・・」
阿南はワルシャワの市街図を見ながら唇を噛む。この陸軍欧州方面軍の使命は独ソ軍を撃退することはもちろん、市民の保護にもあるのだ。ドイツ軍の撤退戦では、現地市民に多大な犠牲を出してしまっていた。その事に阿南は自身の力不足を感じていたにもかかわらず、ここへ来てワルシャワ市民数十万人が虐殺されようとしている。これだけは、何としても防がなければならなかった。
「第一空挺団の斉藤少佐に繋いでくれ」
――――
「撃て撃て撃て!」
カミンスキー旅団のブロニスラフ・カミンスキーは、Ⅰ号戦車とⅡ号戦車を率いて市民の虐殺をおこなっていた。
「ヒャーハッハッハッハァ!正規軍以外の戦闘行為はハーグ協約違反だぁ!そんな事も知らないのかぁ!お前ら全員戦争犯罪で死刑だー!」
ポーランド国内軍といっても、その実は非正規軍であり制服も着ていない。厳密に国際法を適用するなら、彼らは戦争犯罪人であり、その罪状には死刑が適用されてもおかしくはない。しかし、カミンスキーにとってそんなことはどうでも良かった。逃げ惑う女子供をいたぶって殺すことができれば、その喜び以上のものはなかったのだ。
ドイツ軍の虚を突いたポーランド国内軍は、当初こそ占領地域を増やし優勢に戦闘を行っていた。しかし、体勢を立て直したドイツ軍の前に敗退を重ね、そのほとんどは地下下水道に逃げ込んでしまった。
しかし、ポーランド国内軍に呼応して蜂起をした市民やユダヤ人達が市街に取り残されてしまったのだ。
蜂起開始からたった24時間で、もはや、彼らを守る者は誰も居なくなってしまった。
生きて捕まった市民には、現場で死刑が宣告されて公開銃殺がおこなわれた。大通りのガス灯には、見せしめのために縛り首にされた女たちがつるされている。逃げる子供たちをサイドカーで追いかけて射殺する。そんな地獄が町の至る所で現出していたのだ。
「なんだ?この音は?」
12月の東ヨーロッパの空には、ほとんど太陽を見ることはできない。雲が低く垂れ込めている日が多いのだ。そして、この日もいつ雪が降ってもおかしくないほどの曇天だった。その分厚い雲の中から、多数のエンジン音が聞こえてきた。
「航空機の音だ!敵機だ!敵機の来襲だ!」
ワルシャワ市街で暴虐の限りを尽くしていたドイツ軍は、その航空機の音に反応して対空射撃を開始した。しかし、分厚い雲で航空機の姿は見えない。当てずっぽうで射撃をしていると、雲を突き抜けて多数の“何か”が落ちてきた。
「まずい!爆撃だ!防空壕に入れ!」
ドイツ兵達は慌ただしく防空壕やレンガ造りの建物に逃げ込んだ。敵の爆撃機は雲の上なので、どうせ対空砲を撃っても当たるはずも無い。それなら戦力の温存のために逃げ込むことが得策だった。
「まさか、市街地を爆撃するとはな。ワルシャワ市民を見殺しにするつもりか?」
このワルシャワには、100万人近い市民が存在している。その為、連合国軍は爆撃は避けるだろうという判断があった。しかし、それにもかかわらず連合国はこのワルシャワの上に“何か”を落としてきたのだ。
「なに!爆弾じゃ無い!あれは・・・パラシュートだ!」
雲の高さは500mくらいだろうか。その雲から現れたのは多数のパラシュートだった。
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