第293話 バルバロッサ作戦(6)

 オデーサで本国から、「ドイツ軍に対して攻撃を開始しろ」との命令を受け取ったルーマニア陸軍イオシフ・イアコビチ中将は、困惑の色を隠せなかった。


「本国では一体何が起こっているんだ」


 ウクライナへ侵攻が始まって三週間、ドイツ軍と共に快進撃を続けつい昨日まで一緒に暴虐の限りを尽くしていたにもかかわらず、あまりにも突然の暗号電だった。このオデーサ地域には、ドイツ軍の兵力よりルーマニア軍の兵力の方が多く展開している。しかし、実際にはその装備の差は天と地くらいの違いがあった。ドイツ軍が潤沢な武器弾薬と戦車を擁しているのに比べて、ルーマニア軍は小銃と手榴弾にトラックしか無い。もし、今ドイツ軍に攻撃を仕掛けたら瞬時に全滅させられるだろう。イオシフ・イアコビチ中将にはその確信があった。


「イアコビチ中将!ルーマニア国営ラジオが短波で臨時番組を放送しています!内容は、本日(8月31日)16時をもって、ルーマニア人民共和国は枢軸国に対して宣戦を布告したとのことです!本国では首都が制圧され、革命臨時政府が政権を掌握しているそうです!」


「なんだと!そんなバカな!国王陛下やアントネスク首相はどうなったのだ!?」


 イアコビチ中将は部下からの報告に大声を上げてしまった。とてもではないが信じられる内容ではなかった。しかし、現実に政変が起きたのだとしたら、前線の自分たちは非常に危険な状況に置かれたと言うことだ。


 “まずい、まずいぞ。本国がドイツに宣戦布告をしたのだとしたら、その情報はドイツ軍の前線部隊にも伝わっているはず。ドイツ軍はどうでる?我々を攻撃してくるのでは無いか?”


「イアコビチ中将、ドイツ軍のルントシュテット司令からお電話です」


 善後策を逡巡していると、通信士がドイツ軍のルントシュテット司令から野戦電話が入っていると伝えてきた。その内容はだいたい想像が出来る。イアコビチは額からだらだらと汗を流しながら電話の受話器をとった。


「イワコビチです、ルントシュテット司令」


「イワコビチ司令、貴殿もラジオ放送を聞かれたかな?貴国ルーマニアは礼儀もプライドも捨てて敵側に寝返ったようだね。我々としては、これを放置するわけには行かなくなった。申し訳ないが、武器を捨てて捕虜になってくれないかね?」


 ああ、やはりその話か。イワコビチは現実逃避したい欲求に駆られながらも、隷下の兵士達を守るという義務を思い出す。そして、ドイツ軍が捕虜に対してどのような待遇をするかもよく知っている。間違っても部下達をドイツ軍の捕虜にさせるわけにはいかなかった。


「ルントシュテット司令。その情報は先ほど知ったばかりで、こちらの司令部も混乱しております。状況を把握するのに1時間だけ待っていただけないでしょうか?今日まで一緒に戦ってきた貴軍に対して牙を剥くようなことは決してありません。それだけはお約束します」


「イワコビチ司令。わかった、1時間だな。こちらも貴軍のせいで大幅な作戦変更が迫られている。貴国の本国があのような状況では、貴軍を信用することもなかなか難しいのだよ。ぜひ、速やかに投降の決断をしてほしい」


 電話を切ったイワコビチは大きなため息をついて命令書を見返す。暗号電で送られてはいるが、おそらくドイツ軍はこの暗号を解読しているだろう。だとすれば、我々にドイツ軍を攻撃するように命令が下ったことを知っているはずだ。もう、一刻を争う状況になっている。


「全軍に指示だ!本国まで退却する!そして国王陛下や首相を救出し、反乱軍から国を取り戻すぞ!」


 ――――


 ドイツ軍南方軍集団のルントシュテット司令は受話器を置いてすぐに命令を発した。


「ルーマニア軍に攻撃をかける!ヤツらを全滅させろ!ルーマニアに逃げ帰られて抵抗されたらやっかいだ!今の内に皆殺しにするんだ!」


 ――――


 ルーマニア国内に駐屯しているドイツ軍に対しても、九八式重爆撃機と九七式戦闘攻撃機による爆撃が加えられていた。バルバロッサ作戦の発動に伴いルーマニアに展開していたドイツ軍もウクライナになだれ込んでいたため、すでにそれほどの戦力は存在していない。数日のうちに、ルーマニアの大部分からドイツ軍を排除することに成功した。


 そして、1940年時点に於いて中立をなんとか保っていたブルガリアに対して、日露英の三国は強力な圧力をかけた。


 ドイツはブルガリアを枢軸国側に引き入れるため、ルーマニアが支配しているドブロジャ地方の一部をブルガリアに返還することで、関係国の内諾を取っていたのだ。そしてブルガリアも、この取引(クライオバ条約)が成立するのであれば枢軸国側に協力すると返答していた。


 しかし、この密約を当然日露は把握していた。そして、ブルガリアの首都ソフィア上空に九八式重爆撃機300機と輸送機500機を飛行させ、さらに九七式戦闘攻撃機を超音速で編隊飛行させるなどの“友好的デモンストレーション”を実施したのだ。


 ソフィアの市民達は、青空を埋め尽くした爆撃機と輸送機に恐怖した。先の欧州大戦では、オーストリアハンガリー帝国側に立って参戦したが、結果は敗戦を喫してしまい、国土の一部を失っていた。しかし戦闘は国境付近でのみ行われ、ブルガリア国内が戦火にさらされることはほとんど無かったのだ。


 しかし、今回の大戦はそうでは無いことをブルガリア国民は認識する。もし、政府がドイツと同盟を組めば、空を埋め尽くしている爆撃機から無数の爆弾が落ちてくるだろう。人口600万人ほどのブルガリア人の存亡に関わる事態だと誰もが理解した。


 そして、ブルガリアは連合国軍の通過と補給について合意をするのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る