第292話 バルバロッサ作戦(5)

1940年8月9日


 敗走していたソ連軍の戦い方が変わった。後退することを止め、最後の一兵になるまでドイツ軍に抵抗をするようになった。また、街や村の住人もバリケードを作り、鍬や鎌、そして火炎瓶による抵抗を開始する。


 それに対し圧倒的な物量で押し寄せるドイツ軍は、目に見えるもの全てを破壊し殺戮をしながら進軍していく。


 町に入ったドイツ軍に対して、女子供も火炎瓶を投げつけ、支給された手榴弾を持つ者はそれを持ったままドイツ軍の戦車に突進していく。もはや生き残ることを諦めた民衆は、一人でも多くのドイツ兵を道連れにして自爆攻撃を仕掛けてくるのだ。


 バルバロッサ作戦の初期段階に於いて、オデーサ攻防戦は特に辛酸を極めることになった。


 ルーマニアからウクライナになだれ込んだ南方軍集団は、ルーマニア軍とドイツ軍の混成部隊だったのだが、そのルーマニア軍のデラーヌ中佐とニコレスコ中佐が指揮する部隊が大虐殺を始めてしまったのだ。


 ソ連では一般民衆に対しても徹底抗戦の指示が出ていたが、それでも、多くの市民がドイツ・ルーマニア軍の前に投降してきた。そして、デラーヌ中佐とニコレスコ中佐は投降してきたオデーサ市民を、倉庫に押し込め火を放ち焼き殺すことを命令する。また、鉄道で後方に移送するといって50人ずつに集め、戦車壕に落として銃撃を加えた。


 こうして、黒海沿岸ではオデーサ陥落までに約20万人が、陥落後に30万人の市民が虐殺されることになった。


 ――――


 日本軍は九七式戦闘攻撃機と零式戦闘攻撃機の作戦行動範囲に於いて、ドイツ軍に対する爆撃を実行した。しかし、集結している部隊への攻撃と違い侵攻中の部隊に対しては爆撃効率が悪く、十分な効果を出すことが出来ない。また、ウクライナのほとんどの地域は最も近い日本軍の滑走路から1,000km以上離れているため、九七式と零式の護衛できる半径の外側になってしまい、九八式重爆撃機での爆撃も行えなかった。


 バルバロッサ作戦開始3週間、ポーランド、バルト三国、白ロシア、ウクライナにおいて200万人以上の市民が虐殺されるという大惨事が発生してしまったのだ。 


 ――――


「お願いです、高城男爵。なんとか、ナチスとスターリンの暴虐を止めて下さい」


 テレビ会議システムの向こう側で、ロシア皇帝アナスタシアが涙をボロボロと流しながら訴えかける。


 白ロシアやウクライナは戦後の独立を約束しているとは言え、アナスタシアが少女だった頃は同じロシア帝国の同胞だった。その同胞達が、そこでただ生きて子を産み育てていた人々が無残にも殺されている。そしてスターリンは最後の一人になるまで戦うことを命じ、後方に逃げてくる民衆を督戦隊によって虐殺しているのだ。


 こんなことが許されて良いはずはなかった。


 ――――


1940年8月30日午前0時(現地時間)


「降下開始!」


 ルーマニアの首都ブカレスト上空。合計700機以上の輸送機から、次々に空挺部隊が降下を始める。


 降下しているのは、大日本帝国陸軍が誇る第一から第十一空挺団とロシア帝国陸軍空挺団の合計42,000名だ。今回の作戦に、日本とロシアは保有する空挺団の全てを投入した。


 例えアリが相手でも全力でたたきつぶす。


 これが、史実の第二次世界大戦を知る高城蒼龍が徹底させたドクトリンだ。相手より同等か少しだけ多い戦力であれば、全力でぶつかると必ず味方にも損害が出てしまう。なので戦う時には、個々の能力係数を含めて相手の5倍以上の戦力を整えることが絶対とされた。そして、それを実現するために、輸送機を大増産して戦力を迅速に移動できるようにしたのだ。


 味方の戦力を分散するような愚は犯さない。衛星と偵察機、そして情報機関を総動員して敵戦力を正確に把握し、そこに、相手の5倍以上の戦力を集中投入する。この戦法によって、日本軍はほとんど損害を出すこと無く1年間戦えていた。


 ブカレストの町からは、首都を防衛しているルーマニア陸軍の銃撃が開始された。しかし、ルーマニアは内陸国と言うこともあり、首都への大規模な空挺部隊による攻撃を想定してはいない。兵員の人数も2万人程度しか駐屯しておらず、訓練も装備も十分とは言えなかった。


 小銃と手榴弾くらいしか持っていないルーマニア兵は、第一次世界大戦時とそれほど能力の違いはない。そこに、21世紀並の装備で完全武装した42,000名の部隊が降り立ってきたのだ。


「王宮を目指せ!国王のミハイ一世の逮捕だ!捕虜はとらなくていい!」


 第一空挺団を率いる斉藤肇(さいとうはじめ)少佐は、降下した部隊を集めて王宮を目指していた。第一空挺団に与えられた任務は、国王であるミハイ一世の逮捕だ。父親のカロス二世が国王の座を放棄して亡命したため、19歳のミハイ一世が国王の地位に就いていた。


 そして、親独派のイオン・アントネスクが政権を掌握していたのだが、それを支えているのが鉄衛団と呼ばれるファシスト組織だった。これは、ナチスの親衛隊に近い準軍事組織だ。今回の作戦では、投降してきた者を捕虜にするとその管理に人員を割かれるため“投降には気付かなかった”ことにして作戦を遂行することが命じられていた。


 ブカレストに電気を送っている送電線や鉄塔は作戦開始と共に全て破壊した。真っ暗闇のブカレストを暗視ゴーグルを装備した空挺隊員達が疾走する。組織的な作戦行動を徹底的に訓練している空挺団の前に、ブカレスト守備隊はほとんど抵抗する事が出来ず銃弾に斃れていった。ピケットラインを爆破されたルーマニア兵は、武器を捨てて両手を挙げている。ルーマニア語で何か叫んでいるがもちろん何を言っているかはわからない。そして、手を上げている兵も逃げている兵も平等に、機械的に射殺をしていった。これは、一方的な虐殺と言って良い状況だった。


 王宮の門を破壊し、第一空挺団の1,800名が中庭になだれ込んだ。王宮近衛兵は必死の抵抗を試みるが圧倒的な装備と練度を誇る第一空挺団の前に一蹴されてしまう。


 王宮に突入した空挺団は銃撃戦を繰り返しながら国王の身柄を探す。


「国王のミハイ一世だな。ウクライナにおける虐殺の容疑で逮捕する」


 そして午前6時、ミハイ一世の逮捕に成功した。


 1940年8月31日13時までに、日露軍はルーマニアの王族およびイオン・アントネスクをはじめとした政府中枢の要人の逮捕を完了させた。そして、臨時革命政府を樹立し連合国との停戦に合意し、同時にドイツに対して宣戦布告がなされた。


 ウクライナに侵攻しているルーマニア軍に対しては、即座にドイツ軍に対して攻撃することが命令されたのだ。

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