第290話 バルバロッサ作戦(3)

「なんだ!何が起こっている!」


「同志チリコフ。ドイツ軍です!ドイツ軍が国境線を越えて攻撃をかけて来ました!」


 それは普通の夏の日の午後、突然の夕立のようにソ連軍兵士の上に降り注いできた。兵舎や観測櫓の周りで突然爆発が発生した。皆、何が起こったか解らず、爆薬の不用意な取り扱いによる事故かとも思った。しかしその爆発は止めどなく続き、すぐにカノン砲による砲撃だと理解した。


 そして砲撃が続く中、西の空からドイツ軍の爆撃機が多数飛来し爆撃を開始した。この国境付近には、歩兵と装甲車両が少ししか配置されていない。ドイツ軍を刺激しないようにと、長射程のカノン砲や高射砲は置かれていなかったのだ。


ドイツ及びその同盟国との国境付近に展開していたソ連軍は、突然の襲撃に対し何ら有効な対抗をする事が出来ず、大混乱に陥っていた。


 ドイツとソ連とは、1939年に「独ソ不可侵条約」を結んでいる。その為、ソ連はドイツに対する備えをほとんどしていなかった。ポーランドを仲良く分割した“準同盟国”くらいに思う軍人もいた。また軍の一部では、対日本戦で共闘できるのではないかと考え、同盟を探る動きすらあったのだ。


 その為、ドイツとの国境付近には、ほとんど戦力らしい戦力を配置していなかった。対日戦で、主力がシベリア方面に移動しているということもあった。


「ばかな!不可侵条約を結んで1年しか経っていないんだぞ!ファシストどもめ!あいつらには人間として最低限のことも備わっていないのか!」


 ファシストを罵っても状況が好転するわけでは無い。なんとか部隊をまとめて応戦しようとするが、ドイツの物量に対してソ連軍はあまりにも数が少なすぎる。国境付近に展開していたソ連軍は、一時間程度でそのほとんどが壊滅していた。


 国境付近のソ連軍を突破した後は、白ロシアならミンスク、ウクライナならキーウ(キエフ)まで組織的に抵抗できるソ連軍は存在しない。


 まさに、フランスを侵攻した際の電撃作戦の再現であった。


 ――――


  ルーマニアの国境からソ連領に侵攻したドイツ南方軍集団は、モルダビアとウクライナの穀倉地帯で快進撃を続けていた。


 1940年8月8日の正午頃に、突然バルバロッサ作戦開始の命令が下るという緊急事態であったが、司令官のゲルト・フォン・ルントシュテットは十分に軍団を指揮して作戦に当たっていた。そして抵抗するソ連軍を瞬殺し、合計90万人の南方軍集団はウクライナの平原を東に突き進む。明日の朝までにオデーサ市を包囲し総攻撃を仕掛ける手はずになっていた。


 そして軍集団に随伴する補給部隊はその道中、村や町があればそこで食料の“供出”をおこなわせた。もちろん、誰も進んで食料を差し出すようなことはしない。村人達は消極的であろうと積極であろうと、何かしらの抵抗を試みようとした。しかし、その抵抗は決して良い結果をもたらすことは無い。


 モルダビア・ソビエト社会主義共和国コムラト村


「待ってくれ。この小麦を持って行かれたら、来年の春まで喰う物がなくなってしまう」


 村長が村の倉庫の前で、ドイツ軍に対して食料を持っていかないように懇願していた。この村では8月頭から春蒔き小麦の収穫が始まり、ちょうど刈り終えたばかりだったのだ。


 部隊を率いるデュムラー少佐は村長の言葉を聞いてため息をつく。そして腰のホルスターからゆっくりとルガーP08拳銃を抜き、そのトグルを引き起こしてチェンバーに弾丸を装填した。


「すまない。もう一度だけ言う。食料を全て供出してくれないか。我々も手荒なことはしたくないのだ」


 拳銃を突きつけられた村長は、デュムラー少佐の顔をみて逡巡する。ドイツ軍の侵攻があまりにも早かったため、食料を隠す時間も無かった。村で収穫した小麦の全ては、この倉庫の中にあるのだ。なんとか少しだけでも残してもらえないかと、村長は村人を代表して懇願する。


「お願いだ。少しだけでも残して・・」


 バンッ


 至近距離から9mmパラベラム弾を顔面に受けた村長は、肉と骨のかけらを飛散させながら後ろに倒れた。


 それを周りで見ていた村の男達が、あまりの出来事に驚き逃げ出してしまう。


 バンッバンッ


 逃げた男達は、ドイツ兵の小銃によって瞬時に射殺されてしまった。


「走るな!逃げるな!命令に従わない者は敵対の意思有りとして射殺する!」


 ドイツ兵達は倉庫の扉を蹴破り、小麦の入った麻袋を運び出していった。


 そして、いくつかの村を攻略したドイツ軍は学習をする。


 村を包囲して食料の供出を命令しても、だいたいは抵抗される。そして見せしめに何人か村人を射殺して言うことを聞かせるのだが、それなら最初から射殺すれば良いのだ。村人との交渉という手順を省けば、食料調達の仕事がなんと合理的に進むことだろう。


 ドイツ人は、世界一合理的思考をする民族であると自負していたのだ。


 本来の作戦では、陸軍総司令部(OKH)と国家保安本部(RSHA)が共同で“特別行動部隊”を組織して、ロマ(ジプシー)やユダヤ人・共産党員の虐殺を行う事になっていたのだが、食糧不足という目の前の課題を突きつけられた部隊がその役割を肩代わりしてしまった。


 ※史実では、陸軍総司令部(OKH)と国家保安本部(RSHA)が共同で“特別行動部隊(Einsatzgruppen)”を組織しSS(武装親衛隊)といっしょにロマ(ジプシー)やユダヤ人・共産党員の虐殺を行った(諸説有り)


 こうして、独ソ戦に於いて大虐殺の祭典が始まった。


 ――――


1940年8月8日17時(モスクワ時間)


 クレムリン


「ドイツが侵攻してきただと?」


「はい、同志スターリン。恥知らずなファシストどもが国境を越えて侵攻してきました。国境を警備する部隊は勇猛果敢に応戦し、なんとか国境付近でドイツ軍を食い止めております」


 ドイツ軍が侵攻してきたという知らせはすぐにクレムリンまで伝えられ、皆衝撃に包まれた。第一報は国境で食い止めているという内容だったが、これは明らかな誤報だ。現場の悲鳴は、上層部に届く頃には楽観的な内容に書き換わっていることはよくあるものなのだ。


「ばかな。連中とは不可侵条約を結んだばかりだ。何かの間違いではないのかね?」


「いえ、同志スターリン。ポーランドリトアニア方面、白ロシア方面、モルダビア・ウクライナ方面の全てから報告が来ております。間違いなく、国境の全域にわたって侵略を開始しております」


「なんということだ・・・」


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3月26日は臨時休載します。

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