第284話 ヒトラーの秘密

「なんたる失態だ!ゲーリング!お前はいったい何をしていたのだ!」


 ベルリンの会議室では、ヒトラーが歩きながらゲーリングに罵声を浴びせ続けていた。


「新型のBf109も歯がたたない!虎の子のジェット戦闘機も全滅!敵を一機も撃墜できないままプロイエスティ油田を灰にされるなどあってはならぬ事だ!違うかね!?ゲーリング!」


 ヒトラーはいらだちと怒りを隠す事が出来なくなっている。以前から激昂すると手を付ける事が出来なかったが、日本相手に連戦連敗している為、その激昂の度合いが明らかにヒートアップしていた。ヒトラーのあまりの怒声にゲーリングは声を出す事が出来ない。少し俯いたまま、直立不動でヒトラーの罵声を浴び続けていた。


 ヴェルサイユ条約の目をかいくぐって、密かに航空機の開発を主導した。そして、ヴェルサイユ条約を破棄した後は、この短時間でドイツ空軍を世界一に育て上げる事に成功した。事実、ポーランド戦や対英仏の緒戦では圧倒的な強さを見せつけたではないか。自分がして来た事は間違いでは無い。限界までドイツ空軍の能力を向上させた。


 しかし、日本には遠く及んでいなかったのだ。


 戦前の分析では、日本は1936年に初めて単葉のプロペラ戦闘機(九六式艦上戦闘機)を実用化したばかりということだった。巨大な空母を保有している事は知られていたが、それに乗せる航空機はあまりにも貧弱という分析だったのだ。


「日英の次の目標は、ルール工業地帯の合成石油製造工場だと思われます。ここを破壊されてしまっては、我が国の燃料は6ヶ月しか持ちません。ここだけは、なんとか守らなければなりません」


 ゲーリングは絞り出すように声を発した。


「そんなことは解っている!どうやって守るつもりだ!策はあるのか!ゲーリング!」


 会議室を沈黙が支配する。カツカツとヒトラーの足音だけが無情に響いていた。


「東方生存圏だ。何としても東方生存圏を手に入れる。日本と共にソ連を打ち倒す!ウラル山脈でソ連を分割して、東側を日本にくれてやろう!ウラルから西側は我が第三帝国の物だ!そこに住んでいる薄汚いスラブ人を一掃してゲルマン民族の生存圏を広げる!フランス北部の管轄権もフランスに返すことを条件にイギリスと講和だ!イギリスも喉元に突き立てられた剣が無くなると思えば講和に応じるはずだ!ゲーリング!すぐに動きたまえ!」


 史実では、ポーランドを占領した後ドイツは、すぐに英仏に対して講和を持ちかけている。しかし、ヒトラーからの講和を英仏は断り、結果、ドイツはフランスへ侵攻したのだ。


 今世では、英仏に講和を持ちかける前にドイツはフランス国境を越えてしまっている。


 ――――


 スイスの大使館を通じて、ドイツから日英へ講和の打診がされた。しかし、日英はそれを一顧だにせず、無条件降伏以外受け入れないと返答をする。


 ――――


「私のかわいいアディ。そんなに悩まなくてもいいのよ。あなたならきっとできるわ。東の地には広大で肥沃な大地があるの。あなたはそれを手に入れることができる。世界の王になるの」


 ※アディ  アドルフの愛称


 ベルリン総統府の一番奥の部屋。ヒトラーはそこに一人で籠もることが多くなった。ヒトラーがその部屋に居るときは、何があっても声をかけることが出来ない。そして、その部屋から出てきたときに、ヒトラーは“御託宣”を告げることがある。それは側近や国民にとって甘美でありながら熱狂的な、そう、麻薬か覚醒剤を大量に使った様な気持ちにさせるのだ。


「アディ。あなたの部下達も優秀なアーリア人ばかりだわ。みんなあなたを支えてくれているの。全ての良き人類にとってあなたは希望なのよ。だから、よくみんなの話を聞いて、考えて、そして命令するのよ。そうすれば、みんな喜んであなたのために死ぬことが出来るでしょう」


 ヒトラーは、薄暗い部屋に置かれたソファーに横たわっていた。彼は美しい女性の膝の上に頭を置き、うつろな目で彼女の顔を見上げている。


「母さま・・・・」


 その女性は、透き通るような青い瞳、短めのブロンドヘア、雪のような白い肌をしていた。ヒトラーにとって理想的なアーリア人女性。彼女の名は“クララ・ヒトラー”。アドルフ・ヒトラーが18歳の時に、乳がんで死んだ母親だ。


「アディ。あなたはもうすぐ新しい“力”を手に入れます。それをお使いなさい。そうすれば、あなたに仇を為す愚かな劣等種を、全て消し去ることが出来るのですよ」


 その部屋に続く廊下の角で、一人の美しい女性が壁に背中を預けて立っている。少し俯いていて、その表情はどこか不安げだった。


 彼女は、ヒトラーが秘密の部屋に閉じこもることが嫌で不安だった。彼女はヒトラーの恋人でエヴァ・ブラウン。そして、彼女は知っていた。ヒトラーは誰も居ない部屋で、一人でぶつぶつ話し続けていることを。


 ヒトラーはその部屋を出てすぐに、核兵器とそれを運搬できる戦略爆撃機開発を最優先として命じた。

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