第256話 仏印解放(3)

 市内の各地から、フランス人や外国民間人を乗せたトラックが郊外の仏印政府軍駐屯地に集められた。この駐屯地は既にベトミンによって制圧されている。トラックに乗せられた民間人は、皆、恐怖に震えていた。自分たちが植民地人にして来た仕打ちは良く理解していた。その報復のために、一カ所に集められて皆殺しにされるのではないかと思っていたのだ。


「トラックから降りろ!指示に従ってあの建物に入れ!怪我をしている者は申し出ろ!手当をする!」


 民間人達は一カ所に集められて縄がほどかれた。そして、暖かい飲み物が配られる。


「みなさん、静かに聞いて下さい。わたしはグエン・アイ・クォック(後のホー・チ・ミン)と言います。仏印政府は日本軍によってもうすぐ制圧されます。今後しばらくは、日本軍の軍政下に入ることになりますが、みなさんには、頃合いを見て安全に本国に帰還していただきますので安心して下さい」


 仏印政府が倒れた後に、現地フランス人や外国民間人をそのままにしておいて、怒りにまかせた民衆によって虐殺されることを危惧したのだ。その為、少々手荒なことになってしまったが、明け方までに民間人をこの施設に収容することを優先した。


 しかしその過程で、一部不当な暴力を振るったりフランス人家庭から物品を盗んだりしたベトミン兵が居たため、ホー・チ・ミンの怒りを買うことになる。彼らは逮捕され、後ほど裁判を受けることになった。


 “これから、新しいベトナムが始まる”


 1934年に初めて宇宙軍の高城蒼龍(たかしろそうりゅう)に会って以来、ホー・チ・ミンは大日本帝国宇宙軍から様々な支援を受けていた。


 1936年には日本を訪れ、農村の様子や一般市民の生活も学んだ。


 日本のほとんどの農村には電気が敷かれており、夜でも明かりを使うことが出来ていた。道路も舗装こそされてはいないが、中型トラックが通行できるようになっており、収穫した作物の出荷が効率よく行われている。そして、全ての農家にはエンジン耕耘機が普及しており、広大な田畑をほんの数人で管理をしていた。子供たちは昼過ぎまで学校に通い、帰宅後は農作業の手伝いをして、暗くなったら電灯の下で勉強をしている。日本の農村には、何処に行っても笑顔と明るい未来があったのだ。


「これが、我々日本が目指している農村の姿です」


 ホー・チ・ミンを案内する高城蒼龍が得意げに話をする。日本ではこれまでの農業産業組合と農会が合併し、“農業生産協同組合(いわゆる農協)”が設立され農民の福祉の増進に当たっているそうだ。


 特に高城蒼龍が強調したのが、組合の共済システムだった。農民達は、毎月共済金を収めることによって、病気や怪我の際にはほぼ無料で治療をしてもらえるということだ。また、追加で共済年金を納めることもでき、その収めた金額に応じた年金を55歳以降に受け取ることが出来る。組合員がもし事故や病気で死亡した場合は、その共済金から遺族年金も支払われるのだ。


 また、この村では農協主催で毎年一回慰安旅行に行くらしい。昨年は農閑期に村人全員でサイパンに行ってどんちゃん騒ぎをし、大ひんしゅくを買ったと高城蒼龍が笑いながら話す。


 日本の農村では貧農の問題はほぼ解消され、誰でも旅行を楽しめているのだ。


 さらに、出産時には共済病院から医師や助産師を無料で派遣してもらえる。その為、1900年ごろは乳幼児の死亡率は25%だったが、今では3%以下に下がっているそうだ。


 片やベトナムではどうだろう?一組の夫婦はおそらく5人から10人は子供を生んでいる。しかし、生きて大人になれるのは、その中の2人か3人程度だ。正確な統計はわからないが、おそらく乳幼児の死亡率は50%を越えているのではないかとホー・チ・ミンは思った。


 ホー・チ・ミンは日本の農村を見て、あまりの違いに驚き、声も出なかった。同じアジアの国なのに、同じようにこの世界に生を受けたのに、こんなにも違うものなのか?これが、フランスの支配を受けている国と、独立を守り続けてきた国との違いなのか?


 この日本では、農民達は明日の暮らしを心配しなくても良いのだ。ホー・チ・ミンが望んで止まなかった世界がここにあった。


「グェン同志、この資料を見て下さい」


 高城蒼龍はホー・チ・ミンの前に分厚い資料を広げた。この資料はホー・チ・ミンにもわかるようにフランス語で書かれている。


 そこには、1940年から2040年までの年表があり、アジア経済連合からの支援予定の内容と、それに伴うベトナム発展の予測が書かれていた。


1945年 ベトナム国完全独立

    立憲君主国として憲法の制定

1946年 アジア経済連合加入

    ベトナム全土に学校を設立し、15歳以下の子女の就学率100%を達成

1950年 人口3,000万人

1970年 人口6,000万人

    人口でフランスを越える

1980年 GDPでフランスを越え、それに伴い国際的な発言力もフランスを越える

1990年 一人当たりのGDPがフランスを越える。


 高城蒼龍が見せる未来には、ベトナムの輝かしい発展があった。実際に撮った写真ではないかと思わせるほどの精巧なイラストには、男女平等が実現されアオザイ(ベトナムの民族衣装)を着て勉学に励む美しい女学生達がいた。ハノイには超高層ビルが建ち並び、ベトナム人だけでなく、世界中のビジネスマンが行き交う姿があった。農村では機械化が進みあらゆる重労働から解放され、家族旅行を楽しんだり自分の趣味に興じる国民がいた。


 全ての人々が飢えや戦争から解放され、自らの未来を自由に選択の出来るベトナムが必ず実現すると高城蒼龍は力説する。


 その言葉に感銘を受けたホー・チ・ミンは、宇宙軍の協力を得てベトミン内の急進派を排除し、自身が実権を握ることに成功した。そして、構成員の教育を通じて、緩やかな社会主義を目指すよう誘導したのだ。


 “あんなアマちゃんの言葉を鵜呑みにするとは、私もまだまだ若いのかもしれんな・・”


 そんな事を思いつつも、ホー・チ・ミンは高城蒼龍と一緒に作る新しいベトナムを想像して、その興奮を抑えることができなかった。

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