第214話 フィンランド戦線(5)
「レプキン少佐。射撃距離が1,200mから1,900mと言うのは本当ですか?12.7mmの対戦車ライフルなら、射程距離は十分あるのでしょうが、その距離で人に当てることが出来るのですか?」
ハーパネン少佐は、シモ・ヘイヘをはじめ、フィンランド軍の狙撃能力を高く評価している。ロシアのスナイパーに遅れをとることは無いと思っていたが、ロシア軍のジーナ・クルシェルニツカ大尉に至っては、1,900mの距離から23人を射殺したとの報告だ。銃や弾丸には、どんなに工作精度を上げたとしても製造誤差が出てしまう。銃に関しては、数百丁の銃をテストして、精度の高い物を選ぶが、弾丸に関してはそういうわけには行かない。弾丸は回転しながら進むが、ほんのちょっと偏心しているだけで、軌道はずれてしまうのだ。500m以内なら、それほど気にならないが、2,000mだとそうもいかない。
「ええ、 ハーパネン少佐。この銃は非常に精度の高いものを選別しています。さらに、弾丸も一個一個ダイナミックバランサーによって計測し、重量に偏りが全く無い物だけ選んで使っているんですよ。技術者の地道な努力のおかげです」
宇宙軍では、フィンランド戦線を支援することを前提に、何年も前から狙撃銃の精度向上に絞って開発をしていた。弾丸は大量生産されるのだが、どうしても千分の一ミリ単位での誤差が出来てしまう。そこで、まずダイナミックバランサーで完全に偏心の無い弾丸を選別し、さらに、それをレーザー精密測定にかけて、重量バランスだけで無く、形も完全に真円の物だけを選んでいる。そして、その“完全な弾丸”を使用して試射をし、0.4M.O.A.以内の精度のある銃だけを使っているのだ。
※M.O.A. 1M.O.A.は、91mで2.5cmの誤差。0.4 M.O.A.なら、91mで1cmの誤差に収まる精度
純粋にフィンランドを助けたいという思惑もあるのだが、それ以上に、シモ・ヘイヘの神業を、技術力によって凌駕したいという高城(たかしろ)蒼龍の強い意向が働いていた。
ロシア軍が戦果報告をしていると、フィンランドの狙撃部隊も帰投してきた。
「確認9です」
ヘイヘ兵長は9名射殺したと報告をする。いつも通りニコニコした笑顔で、最低限の報告だけを済ませる。1日の戦果としては多い方だが、ヘイヘを越えたロシアンスナイパーが二人いた。
「良かったら、ロシア軍で使っている銃を拝見させてもらっても良いですかな?それだけ精度が高いのであれば、我が軍で導入させてもらえるとありがたい」
天幕の中のテーブルに、ロシア軍が持ち込んだ銃が並べられる。
ロシア軍が持ち込んだ銃は2種類ある。
一つ目は、7.62mm弾を使用した5発弾倉のボルトアクション銃だ。これは、フィンランド軍でも使用しているモシン・ナガンと同じ口径の狙撃銃だが、ロシア軍が持ち込んだものは、ストックやトリガーに調整機構が取り入れられており、スナイパーの体格にぴったり調整できるようになっていた。
二つ目は、12.7mm(50口径)の対物ライフルだ。この当時は、いわゆる対戦車ライフルに分類される銃である。装弾数は10発でボルトアクションではなく、ショートリコイル自動装填になっている。
「対戦車ライフルですか?これで人を撃つんですか?これなら長距離からソ連の機甲部隊の足止めも出来てしまいますな」
「ええ、我がロシア軍では1,200mから2,200mでの対人狙撃には12.7mmを、1,200m以内なら7.62mmを使用します。12.7mmを使うのは、索敵によって長距離での射線が確保できる事がわかっている時だけですね。ここフィンランドは平坦な土地が多いので、射線が確保し易く助かります」
「スコープのレンズも、これは・・、特殊なガラスですか?」
「特殊なコーティングをしていて、反射光を抑えています。従来のレンズに比べて、かなり被発見率が下がっているんですよ」
ハーパネン少佐達は、ロシア軍の装備を見て一様に驚く。モシン・ナガン銃は1891年に制式化された銃だが、このロシア軍の銃は100年後から来た銃だと言っても納得ができるほど隔絶した物に見えた。
「レプキン少佐。この銃を我が軍でも使用できないものでしょうか?この銃があれば、わがフィンランド軍でも戦果が向上すると思います。なあ、ヘイヘ兵長、きみもそう思うだろ?」
突然話を振られたヘイヘは、ちょっと戸惑った表情を見せた後、ニコッと笑って首を横に振った。
「ヘイヘ兵長は、この銃は必要ないのか?」
ヘイヘはその問いに、コクコクと首を縦に振って頷く。
ヘイヘは、スコープの付いてないモシン・ナガン銃を愛用していた。そして、敵まで350mから250mまで接近をして狙撃をするのだ。この250mという距離は、狙撃にしてはかなり近い。もし発見されてしまうと、返り討ちに遭う可能性が高くなる。ロシア軍では、特別な状況で無い限り、300m以内での狙撃は禁止されていた。
「銃のフィンランド軍への提供は、本部に打診してみます。後日返答をさせてください」
――――
その夜、ジーナと何人かのロシア兵がたき火を囲んでコーヒーを飲んでいると、フィンランド兵達が話しかけてきた。
※フィンランドは1918年までロシア帝国の一部だったので、30歳以上の人はロシア語が出来る人が多い
「嬢ちゃん、23人はすごいな。どうやったらそんな戦果が上げられるんだい?」
35歳くらいのフィンランド兵がジーナに話しかける。そのフィンランド兵は純粋にその技量の源を聴きたいようだった。
話しかけられたジーナは、少しだけその兵士を見て、すぐにたき火に視線を戻す。
「すまない。クルシェルニツカ大尉は無口なんだ。許してくれ」
「そ、そうか・・」
そのフィンランド兵は少し気まずそうな苦笑いをする。すると、その横に立っていた若いフィンランド兵が悪態をついた。
「けっ!お高くとまっていい気なもんだな!全部お前らロシア人のせいじゃないか!俺たちの国を100年以上も支配して、やっと独立できたと思ったらこの侵略だ!ソ連だってお前らの同胞だろう!?しょせん、同じ穴の狢(むじな)だな!」
フィンランドは1809年から1918年までフィンランド大公国を名乗っていたが、これはロシア帝国内の公国だった。ある程度の自治は認められていたが、外交権などは無かったのだ。
他のフィンランド兵も止めに入るが、その若い兵士はどうにも怒りが収まらない。どうやら、自分たちの英雄であるシモ・ヘイヘより、良い戦果を出したジーナが気に入らない様だった。
「お前みたいな温室育ちの小娘に何がわかるんだよ!」
ロシア帝国は、独立してから約20年、かなり豊かな国だと伝わってきている。なので、その若いフィンランド兵は、ジーナも豊かな国でぬくぬくと育ってきたのだと思ったようだ。
ジーナは表情を変えること無く、その若い兵の方を見て言った。
「お前は、自分が生き残るために妹を殺して食べたことはあるか?」
「えっ?」
「やせ細って死んだ母親が、村の男達に食べられたことは?死んで鼻や口からウジ虫のこぼれ落ちる弟と、何日も一緒に過ごしたことはあるか?」
言い争っていたフィンランド兵達は、みんな静まりかえった。
ジーナの妹は、衰弱して死んだのであって、ジーナが殺したわけではない。しかし、ジーナは、自分の食事を少しでも妹に食べさせてあげれば死ななかったのでは無いかと思っていた。そして、それはジーナの心に罪の棘として刺さっていたのだ。
「弱ければ、なにもかも奪われる。お前達がロシアに支配されていたかどうかなんか知らない。私は、強くなって共産主義者を殺すだけだ。最後の一匹まで・・・・・」
ジーナは視線をたき火に戻す。そして、少しぬるくなってしまったコーヒーを飲み干した。
「すまないな。クルシェルニツカ大尉はウクライナ出身なんだ。8年前の大飢饉の時にロシアに脱出して来たんだ。わかってやってくれ」
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