第191話 チャーチル vs 吉田茂(4)

 チャーチルと吉田の二人のやりとりを、傍らで聞いている山口多聞は胃が痛くなってきた。この二人、あまりにもキャラが被りすぎている。最初はブルドッグみたいだと思っていたが、今は二人とも高崎山のボス猿に見えてくる。こういったやりとりは本当に苦手だった。


「し、しかし吉田大使。ソ連への参戦はともかく、植民地の放棄などは日本にとって少しも利点が無いような気がしますが?そんなに、インド人やアフリカ人が大事ですか?この大戦の行方を左右するほどのことですか?」


「はい、チャーチル閣下。我が国は5年先10年先を見ているわけではありません。100年先200年先の、より豊かで安定した地球を夢見ているのです。想像してみて下さい。そこには戦争も差別も、殺す理由も殺される理由も無く、みんなが富を分け合い、富を独占したり飢えることも無い、だれもが今日の糧を心配することが無く、自分の未来を自分で決めることの出来る世界です。ほら、簡単でしょう?我々の上には、ただ空があるだけなんですよ。これは、そういった世界を作るための布石なのです」


 一同、吉田の言葉に唖然とする。そして心の中で叫んだ。


 “絶対おまえはそんなことを思っていないだろ!!”


 吉田はともかく、日本は本当にそんなことを考えているのだろうか?あまりにも夢物語に過ぎる。まるでレーニンの演説の様ではないか。そんな共産主義の理想を振りかざして、連中は多くの人を殺してきた。日本はいつの間にか共産主義思想に蝕まれていたのだろうか?


 それに、例え共産主義では無くても、こんな世界が実現出来るわけが無い。100年経っても200年経っても人類が劇的に変わることなどない。有史以来3000年、強者が弱者を食い物にしてきた世界だ。多少ましになってきたが、吉田が言うような世界など断じて来ることは無い。


「ははは、吉田大使。まるで共産主義者のようなことを言うのですね。いつからマルクスに傾倒したのですか?」


「おや?そう聞こえましたか?残念ですが、私はガチガチの資本主義者であり自由主義者ですよ。もしかして、チャーチル閣下は、自由主義の元では貧困の解消は出来ないと思われているのですか?もしそう思われているのでしたら、どうやら資本主義や自由主義のことを良く理解されていないようだ」


 チャーチルの怒りは頂点に達しようとしていた。人権云々であれば、たしかに人種差別と植民地支配をしている我が国は、そう言われても仕方の無い部分はある、かもしれない。しかし、資本主義や自由主義は我が国が発祥だ。それを良く理解していないなどと、なんという無礼で無知なヤツだ!


「いずれにしても、我が日本と同等かそれに近い人権思想を持った国にしか、高度な技術移転はしないという方針なのです。残念ですが、人権が未発達の国に高度な技術を与えると、世界の平和にとって脅威となりかねないのです。これは、人類の未来にとって致し方の無い事なのですよ。おわかりいただけますか?チャーチル閣下」


 チャーチルは、奥歯を強く噛んで怒りに何とか耐える。言わせておけば好き勝手言いやがって。なにが“人類の未来”だ。我が英国が人類では無いような物言いではないか。しかも、さっきからこの吉田茂は葉巻を吸っている。葉巻は儂の専売特許だぞ。葉巻を教えてやったのは、他ならぬ儂だ。サルの分際で葉巻を吸うなど本当に生意気なやつだ。なんとかこの吉田茂をやり込めてやりたいが、今、日本の協力を失ってしまえばイギリスにとって取り返しの付かない事になってしまう。


 観戦武官を空母赤城の心臓部であるCDCにまで立ち入らせ、目の前であの一方的な戦闘を見させたのも、この為だったのか?観戦武官からの報告では、どんなに技術を盗んでも1年や2年では追いつけないと報告が上がっている。少しの差なら全力で取り組めばなんとかなるが、圧倒的な差ではどうすることも出来ない。日本はそれを見せつけたかったのだ。


 日本の強力な軍事力は、まるで“麻薬”の様に我々を蝕んでしまっている。もし日本の艦隊が居なくなってしまえば、我々は麻薬の切れた廃人のように何も出来ずドイツに蹂躙されてしまうだろう。もう、日本の軍事力無しにやっていくことなど出来ないのだ。


「吉田大使。我が国の首相をいじめるのは、そのあたりで許してはもらえないだろうか?」


 突然会議室のドアが開き、仕立ての良いスーツを着た男が入室してきた。


「こ、これは国王陛下!」


 会議室にいる全ての人間が起立し、入室してきた男に頭を下げる。そこには、イギリス国王ジョージ六世が立っていた。


「私も参加させてもらっても良いかな?」


「もちろんでございます。国王陛下。ド・ゴール将軍、吉田大使、よろしいですな?」


「ええ、もちろんです。人類の未来を決める大事な会議ですからな」


 そういって、吉田は再度ジョージ六世に頭を下げる。そして、ニヤリと笑みを浮かべた。


 侍従が空いている椅子を引いて、そこにジョージ六世は腰をかける。


「まずは吉田大使、山口男爵、この度のファウルネス島沖海戦の件、感謝に堪えない。何人かが戦傷を負われたとのこと、イギリス国民を代表してお見舞いを申し上げる」


 ジョージ六世は吉田と山口に向かって頭を下げる。


「さて、ウインストン(チャーチルのファーストネーム)、吉田大使にいじめられていたのは、日本からの要請の件かな?」


「えっ?あ、そ、その通りでございます。国王陛下はあの無礼な要求をご存じだったのですか?」


「ああ、一昨日、日本の天皇から親書を頂いてね、その中にこの要請の事が書かれてあったよ。様々な資料も添えられていてね、親書と言うよりは提案書のような感じだったな」


「そのような物が・・。日本は親書という物を理解していないのでしょうか?」


 チャーチルは、日本に対して嫌みを込めて言ってはみたが、交渉のイニシアティブを日本に握られている現状では、それはむなしいだけだった。


「いや、素晴らしい親書だったよ。私は天皇からの親書に感動してね、500回は読み返したんじゃないかな?おかげで睡眠不足さ」


「そんなに素晴らしい内容だったのですか?」


「ああ、ウインストン。これでもかというくらいに、この200年の間我が国が各国や植民地にして来た酷い仕打ちが書かれていたよ」

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