第184話 バトル・オブ・ブリテン(10)

 出撃前のブリーフィングでは、日本軍巡洋艦の写真が提示され高角砲は1門しか搭載していないと説明があった。それ以外は35mm対空砲がいくつかあるだけで、接近しすぎなければそれほど脅威では無いということらしい。日本の巡洋艦は、おそらく対潜能力と対空ロケット弾に特化しているという認識だった。


「ロケット弾さえ躱せば、敵の対空能力はたった1門の高角砲だけだ。たった一門の砲でいったい何が出来る」


 それが空軍参謀の締めの言葉だった。


 シェルマン少尉は孤独なコクピットの中で一人叫ぶ。


「高角砲はたった1門で脅威にはならないんじゃなかったのか!!!!!」


 ドーン!ドーン!


 次々に友軍機が爆発していく。主翼がもげて錐もみになって墜落していく。敵艦の発砲に気づいた友軍機は回避行動を取っている。しかし、何故だ!高角砲があんなに当たるわけが無いじゃ無いか!


 砲撃が始まってから、友軍機は旋回をしたりスラロームをしたりして回避しようとしている。だが、そんな努力は全くの無意味だった。敵の高角砲の弾が爆発を起こす度に、確実に一機が墜とされる。


 だめだ!無理だ!日本艦隊を葬る事など、いや、たった一つの傷を付ける事さえ、今のルフトバッフェには不可能だ!我々は何て無力だったんだ!


 幸い、まだ俺は生きている。燃料も帰投するにはギリギリになってきた。回頭して基地に戻ったとしても誰からも責められる事はないはずだ。そうだ、俺はもう十分に戦った。もう良いじゃ無いか。もう帰ろう。何としても生きて帰るんだ!


 シェルマン少尉は退却をするための理由を並べる。そして、操縦桿を倒し旋回を始めようとしたその時だった。


「ヨナス!!」


 小隊は違うが、同じ大隊に所属しているヨナスが敵空母に急降下していくのが見えた。いつも明るい笑顔でみんなを笑わせる、ムードメーカーの新人だ。まだ19歳だが、その卓越した操縦技術でフランス戦線では2機を撃墜している。俺にもよくなついてくれている可愛いヤツだ。そいつが、こっちに向かって敬礼をした様な気がした。


 ヨナスの機とは300mほど離れていたので、コクピットの中まで見える事は無い。しかし、ヤツは間違いなく俺に笑顔で敬礼していた。


「ヨナス!やめろ!ヨナス!お前まで!お前まで!」


 ヨナスのBf109は速度を上げて敵の空母に急接近していく。奇跡的に、高角砲の弾は当たっていない。


「もしかしたら、敵の高角砲の時限信管は7,000mから4,000mの間しかセットできないんじゃ無いか?」


 シェルマン少尉は日本軍の攻略の糸口が見えたような気がした。あの驚異的な命中精度を誇る高角砲も、実際に弾頭が航空機に当たっているわけでは無いはずだ。航空機の至近で爆発しているとすれば時限信管だろう。それは近すぎるとセットできないのでは無いかと思った。


「ヨナス!でかしたぞ!4,000m以内に近づけばいいんだ!」


 シェルマン少尉は歓喜した。危険を冒して接近すれば、そこには安全圏があるんだ!それを、あの笑顔の眩しいヨナスが教えてくれた!


 そう思った刹那、巡洋艦の35mm機関砲から発砲炎が見えた。そして、曳光弾がヨナス機に向かって近づいていく。しかし、その軌跡はヨナス機よりも少し前方に向かっているように思えた。これなら当たらない。大丈夫だ!


 ガガガガガッ


「ヨナスッ!」


 なんと言う事だ!ヨナス機は、その曳光弾に向かって自ら当たりに行ったように見えた。そして、ヨナス機は火を噴き、錐もみ状態で墜落していく。ヨナスの機体が海面に激突するまでほんの10秒ほどだった。コクピットからは、何も脱出できてはいない。


「ヨナス・・・ヨナス・・・・ううおおぉぉぉぉ・・・・」


 高角砲に当たらなかった友軍機が、敵の空母に接近するのが見える。そして、空母の脇を固める巡洋艦から、35mm機関砲の洗礼を受けて墜とされていく。


 どの機も、曳光弾に自ら向かって行っている。まるで、ハーメルンの笛吹きについていく子供たちのようだ。


「あれは、自ら当たりに行ってるんじゃない。航空機の未来位置にピンポイントで射撃をしているんだ」


 シェルマン少尉は理解する。どんな事をしても、日本軍に傷一つ付ける事は出来ない。


「あ、あいつらは、本物のリヴァイアサンだ・・・」


 3,100機におよぶ我がルフトバッフェの精鋭達は、今や500機以下にまで削られているようだった。基地を離陸してから、まだ40分も経過していない。それなのに、爆撃機を中心として2,600機も撃墜されてしまった。人数にすると8,000人以上もの損失だ。シェルマン少尉は、もう戦う意欲を完全に失っていた。


 無線が使えないので周りの機の状態はわからないが、やはりシェルマン少尉と同じように戦意を失っているような気がした。そして、一機の爆撃機が爆弾を海に投棄して回頭を始めた。それを見た友軍機が、雪崩を起こしたかのように次々に爆弾を投棄して回頭を始める。


 シェルマン少尉はその様子を見て少し安堵した。


 “逃げ帰るのは自分だけじゃ無い”


 多くの航空機を失ったドイツ軍は、ついに退却を開始した。

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