第171話 北サハリン捕虜収容所(1)

1939年10月


 捕虜になったソ連軍兵士が、続々と北サハリン移送されてくる。


 負傷した者達はハルビンの病院に収容されたが、無傷の者達はそのままロシア帝国に送られることになった。


 一度フルンボイルに集められ、そこから輸送機に乗ってロシア帝国首都である、“ノウビィ・サンクトペテルブルク”に向かう。


 ※“ノウビィ”はロシア語で“新しい”の意


 間宮海峡を抜けてサハリン上空にさしかかる。輸送機の窓からは、ロシア帝国の様子が見えてきた。そして、それを見た捕虜達がざわつき出す。


「なんだ?これがサハリンなのか?」


 自分たちが教えてもらったサハリンは、未開の森林地帯でほとんど人の住める場所は無いとの事だった。


 しかし、輸送機から見えるこのサハリンはなんだ?西海岸はそれほど開発されていないようだったが、中央部から東海岸にかけては、見渡す限り人工物で覆い尽くされていた。


 全て、ビルなどの建物だ。


 そして、首都の沖合に作られた人工島の空港に着陸する。そこで捕虜達はまたもや驚く。


 4発の大型機が何機も駐機してある。そして二本ある滑走路では、10分おきくらいに大型機が離発着を繰り返しているのだ。


 ※大型機と言っても1930年代基準


 日本・ロシア帝国・清帝国を中心とした“EATO(東アジア条約機構)”は、軍事的協力だけで無く、経済的な協力も強く押し進めていた。その為、東アジア経済圏が構築され、域内での人と物の往来が劇的に増大していたのだ。


 そして、このノウビィ・サンクトペテルブルク国際空港は3年前に開港し、今では世界有数の国際空港になっている。


 日本・ロシア帝国・清帝国・大韓帝国・タイ王国・チベット・ネパールとは定期航空路線が運行しており、このノウビィ・サンクトペテルブルクはまさに人種のるつぼと言った感じだった。


 そしてロシア帝国樹立後、脱ソ機関によって多くの人々が移住し、また、積極的な移民の受け入れによって、ロシア帝国の人口は3,500万人にも及んでいた。そして、その約半数の1,800万人がこの首都で生活をしている。


 同じ時期の東京の人口が1,000万人なので、東京を遥かに超える大都会だ。


 ※この世界線では、関東大震災を防いだことなどから、史実より東京の人口は多い。


 捕虜達はシャトルバスに乗ってターミナルビルに移送される。そして、そのバスの座席には様々な旅行のパンフレットが置いてあった。


 捕虜達はそのパンフレットを開いて驚愕する。


 “パラオの青い海があなたを待っている”“白いビーチで思い出を”


 そこには燦々と輝く太陽に青い空、そして白い砂浜のカラー写真があった。そして、捕虜達の熱い視線を集めたのが、写っているビキニのロシア人美女だ。


 ※史実では、この時代には、まだ”ビキニ”の名称は無い


「お、おい、どういうことだ?こんな写真を持ってたら普通に収容所送りになるぞ」


「これは、旅行の案内のようだな。帝政ロシアの連中は、こんな旅行が楽しめるのか?」


「なんだよ。この豪華な料理は?皇帝の晩餐でもこんな料理は出ないんじゃないか?」


 ソ連で聞いていたことと、あまりにも違いすぎる。帝政ロシアの人々は、専制君主の圧政によって搾取され、奴隷のように働かされている。我々ソ連人民が、彼らを救い出すことは責務であると教育されていた。


「ま、待て、もしかすると我々を洗脳するための欺瞞情報かもしれんぞ。迂闊に信じるのは危険だ」


 しかし、街や航空機が発達しているのは間違いない。解放され祖国に帰ることが出来た時を考え、捕虜達は出来るだけ情報収集することを心がけた。そして、その手始めとして、ビキニの美女が写っているページを切り取って服の中に隠すのであった。


 ――――


 ターミナルビルでロシア軍のバスに乗り換え、捕虜収容所に向かう。


 バスの窓からは、首都の町並みが見える。そして、大通りに面したビル群は高さ100mくらいの総ガラス張りだった。今まで見たことのあるどんな建物よりも近代的で、街は清潔感にあふれていた。


 車の台数も多い。よく見てみると、運転しているのは軍人などでは無く一般市民のようだった。しかも、運転手の三分の一くらいは女性だ。そして、助手席や後席に人を乗せていない車も多い。


「看守殿。質問をよろしいですか?」


 捕虜の一人が発言の許可を求めた。


「ええ、かまいませんよ。なにか不明なことでも?」


「はい。女性運転手が一人だけの自動車が多いようですが、なぜですか?」


 ソ連では自動車は貴重だ。一般市民は当然所有することは出来ない。使うことが出来るのは党や軍の高官のみで、かれらは当然後席に座る。しかし、この街で見る自動車は運転手だけで他に人を乗せていない車が多かった。


「ああ、あれは買い物にでも行ってるんじゃ無いですか?」


「えっ?買い物ですか?」


「ええ、日用品などの買い物だと思いますよ。一般家庭への自動車普及率は40%を超えているので、珍しいことではありません。まあ、首都は路面電車が発達しているので、自動車の普及率は少し下がりますけどね」


「その、一般家庭でも自動車を持つことが出来るんですか?」


「はい。一番安い小型乗用車なら一般的な給料の4ヶ月分くらいなので。ここ数年で急速に普及しましたね」


 バスに乗っている他の捕虜達は一様に驚く。40%の家庭が自動車を保有するなど想像も出来ない。


 帝政ロシアはなんと進んだ国なんだろうと心底恐ろしくなった。


 捕虜達の反応を見て、質問をした男はニヤリと笑みを浮かべる。この質問をした捕虜は、ロシア軍が送り込んだ“さくら”だったのだ。


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