第165話 パリ陥落

「ドイツ軍80万が迫っているだと!」


 英仏軍はランス防衛を最優先とし、周辺に点在する軍の集結を図った。しかし、その集結速度よりも、ドイツ軍の進撃速度の方が圧倒的に速かったのだ。


「連中、補給はどうしてるんだ!?ドイツ軍はすぐに補給が追いつかなくなるとお前達は言っていただろう!」


 フランス首相のダラディエが怒鳴る。


「はい、首相閣下。ドイツ軍は、街道沿いのガソリンスタンドで給油をしているようです」


「はっ?なんだと?ガソリンスタンドで戦車に給油をしているだと?」


「はい。ドイツ軍の進路には無数のガソリンスタンドがあります。そこで補給をしています」


 フランスでは1900年にミシュランガイドが発売されるなど、1930年代後半にはモータリゼーションが進んでいた。大きい街道はアスファルトで整備され、各所にガソリンスタンドが営業していたのだ。


 ※ミシュランガイドは、フランスのタイヤメーカー“ミシュラン”が、自動車旅行を推奨するために各地のレストラン紹介を始めたことが起源


 ドイツ軍は進軍にあたって、あらかじめガソリンスタンドの位置を調べていた。そして、どの程度給油できるかの調査もしていたのだ。


 皮肉にも、フランスのモータリゼーションがドイツ軍の手助けをしてしまう。


 ――――


 命令に従ってランスを目指した英仏軍のいくつかの部隊は、途中ドイツ軍に発見され各個撃破されてしまった。もはや、何をしてもドイツ軍を止める事は出来ない。


 応戦体勢のとれない英仏軍は、敗走に敗走を重ねた。


 ドイツ軍の進軍速度がこれほどまでに速いとは、誰も想像していなかった。いや、正確には日本からその可能性が指摘されていたが、だれも信じなかったのだ。


 ドイツ軍より早くランスに到着した部隊は、ほんのわずかしかない。このままでは、ランスに防衛戦を築くことは不可能だった。


 ――――


 トラックやキューベルワーゲン、そしてSd.kfz221や222などの武装装輪車は、その快速を活かして英仏主力軍より早くランスに到着した。ランスに駐屯している英仏戦力は微々たるものだった。


 英仏軍は小銃と少しの対戦車ライフルで応戦したが、圧倒的な戦力差はどうしようもなく、半日と保たずにランスを明け渡してしまう。


 そして英仏軍はランスでの防衛ライン構築を諦め、パリ手前を最終防衛ラインと定めて軍の集結を図った。


 1939年9月28日


 ドイツ軍は当初ベルギーに対して無害通航権のみの要求だったが、結局軍による実力行使によってベルギーを占領してしまった。また同時に、デンマーク・オランダ・ルクセンブルクにも侵攻し、あっという間に降伏させたのだ。


 そして、ベルギーの空港が使えるようになるのを待って、ドイツ軍はパリ攻撃を開始した。


 1939年9月30日


 強力な空軍支援を受けたドイツ軍が、パリの東方40kmにあるモー村に攻め込んだ。空から確認できる防塁や野戦砲陣地に爆撃を行う。


 これに対して英仏軍は、合計900機の戦闘機と1,100機の爆撃機で応戦した。パリ上空では、ドイツ軍と英仏軍の空中戦が激しく繰り広げられたのだ。


 しかし、英仏軍の戦闘機はMS406やP-36、グラディエーター等の機体が半分以上を占めており、ドイツ軍のBf109の前では明らかに性能不足だった。


 頼みの綱のイギリス軍スピットファイアは、イギリス軍の意向によってそれほどの数は派遣されていない。イギリスは、ここでフランスを切り捨ててでも本土を守るため、最新鋭機の温存を図ったのだ。


 ――――


1939年10月2日


「くそっ!キャベツどもめ!いったいどこから湧いて出るんだ!」


 フランス軍の最新鋭戦闘機MS406を駆るウィヤム大尉が叫ぶ。


 今日は既に4回目の出撃だ。このMS406は20mm機関砲を装備してはいるが、その数は1門で弾数も60発しかない。すぐに撃ち尽くして補給に帰らねばならなかった。


 それでもウィヤム大尉は、今日だけで3機のドイツ機を撃墜している。


 しかし、ウィヤム大尉達の奮戦もむなしく、航空優勢はドイツ軍に傾きつつあった。


 ドイツはこのフランス侵攻に、航空機5,000機以上を投入していた。かたや英仏軍は2,500機程度だ。性能でも劣り数も半分ではどう逆立ちしても勝てるはずがない。


 十分な航空支援を受けることの出来ない英仏軍は、ドイツ軍の野戦砲に晒されることになる。


 1939年10月4日


 戦場となったモー村には、3,000門以上の野戦砲から榴弾が降り注いだ。あまりにもドイツ軍の進行が速かったため市民の避難は完了しておらず、鉄と火薬の雨に晒されることとなった。


「ここはもうもたない!市民の避難を優先させろ!第三第四旅団はなんとしても市民が避難する時間を稼げ!」


 これは、事実上の玉砕命令だ。


 最前線の塹壕では榴弾の嵐が吹き荒れていた。爆炎と土煙でほとんど視界がない。それでも、フランス陸軍第三旅団のグレヴィ伍長は対戦車ライフルを構え、かすかに見えるドイツ軍車両に向けて撃ち続ける。弾薬を持ってきてくれた少年兵は、さっき粉々になってしまった。機関銃小隊も榴弾に吹き飛ばされた。この対戦車ライフルも、もうすぐ弾切れだ。あとは、そこら辺の死んだ兵士が持っている小銃と手榴弾だけになってしまった。


「総員着剣!」


 どこかからそんな声がする。それを聞いた兵士達は、口々に「総員着剣!」と叫んで他の兵士に伝えた。まるで伝言ゲームのようだ。


 グレヴィ伍長も対戦車ライフルを撃ち尽くし、小銃に銃剣を装着する。そして、周りの死体を漁って何個かのNo.73手榴弾(対戦車手榴弾)を確保した。


 塹壕からの銃撃がなくなったことを確認し、ドイツ軍は前進を開始した。塹壕の中にも戦車が引き起こす振動が伝わっている。


「投擲ーー!」(手榴弾を投げること)


 生き残った兵士が一斉に、対戦車手榴弾をドイツ軍の戦車に向けて投げつけた。そして、塹壕の外で大きな爆発がいくつも起こる。


 その爆発音を聞いて、塹壕に居た兵士達は全員外に飛び出し、ドイツ軍戦車と歩兵部隊に向かって突進した。さっきの爆発で、ドイツ兵は少しだけ怯んでいる。その混乱を最大限利用してフランス兵達は突撃を仕掛けたのだ。


 ドイツ軍戦車に取り付き、対戦車地雷を粘着剤で貼り付ける兵士がいる。雄叫びを上げながらドイツ歩兵に銃剣を突きつける兵士が居る。


 グレヴィ伍長も対戦車手榴弾を持ってドイツ戦車に迫った。距離は20m。しかし、手榴弾のピンを抜こうとした瞬間に、足の力が抜けて前のめりに倒れてしまった。痛みは全くないが、どうやら撃たれたようだ。


 戦車は10mくらいに迫っている。グレヴィ伍長はピンを抜いて四号戦車の下に潜り込んだ。そして、戦車を一両道連れにすることができた。


1939年10月5日


 この5日間の戦闘で、モー村は灰燼に帰した。モーは歴史のある村で、13世紀に立てられた大聖堂もあった。しかし、もう跡形も残っていない。歴史も、そこで暮らしていた人たちの生活も笑顔も、何もかもが破壊され燃やされてしまったのだ。


1939年10月8日


 首相のダラディエは、パリに無防備都市宣言を出した。

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