第163話 ラーゲリ(2)

 ヴコールは命令通り、妻と子の服を脱がし裸にして裏庭に埋めた。


 1月のシベリアの土は凍っていて、スコップでは掘り返すことが出来ない。ツルハシを何度も何度も振り下ろして、やっと二人が入れるだけの穴を掘ることが出来た。


 その頃には、二人の体は既に凍りついていた。


 固くなった二人を穴に沈め、その上から土をかけていく。寒さで死んだ我が子を、凍った土の中に埋めなければならない。マリーヤの体は、ノンナに抱きかかえられるようにして、少しずつ土に隠れていく。


 せめて魂だけでも暖かい天国に行ってほしいと願う。しかし同時に、神の慈愛に満ちた天国が、本当に存在するのだろうかとも思う。


「おお神よ、なぜあなたは、あなたの忠実なしもべであるノンナとマリーヤにこのような仕打ちをされるのですか?マリーヤはまだ3才です。そんなおさなごが、どんな罪を犯したのですか?こんなむごい死に方をしなければならないような大罪を犯したのですか?なぜあなたは何も答えてくれないのですか?神よ!あなたは、あなたは・・・」


 ヴコールは2週間の矯正教育を終え、通常棟に戻った。そして、人が変わったかのように、模範囚として役務を粛々とこなしていった。そして神に誓う。


「必ずここを出て、ノンナとマリーヤにこんな仕打ちをした連中に復讐します。そして、彼女たちを見捨てたあなたを、神を、殺すことを誓います」


 イグナートが密告したとは発表されなかった。しかし、同じ棟に収容されている全員、イグナートが密告したことはすぐにわかった。なぜなら、ヴコール一家が収容されたその日の夕食、イグナートに支給されたパンが、他の人より一切れ多かったのだ。彼にとって、ヴコール一家の命と、一切れのパンは、同じ価値であった。


 ――――


 このシベリアでは、青空が見えることは希だ。そういえば、もう何ヶ月も青空や太陽を見ていない気がする。最後に太陽を見たのはいつだっただろう?そんな事を思いながら、ヴコールは重く垂れ込めた雲を見上げていた。実際には天気の良い日もあった。しかし、彼の心には、鮮やかな青空も、輝く太陽の光も、もう決して届くことは無かったのだ。


「そういえば、ウラジオストクが攻撃されたって聞いたか?」


 同じ棟のオーシプが話しかけてきた。


「看守が話をしているのを聞いたんだ。なんでも、ウラジオストクと連絡が取れないってさ。どうも、日本軍に襲われたらしい」


 ヴコールはその言葉に応えない。ぼーっとした表情で空を見ていた。


 ヴコールの視線の先の南の空には、黒い点がいくつか見える。


 バタバタバタ・・・


 南の空から、聞いたことの無い音が聞こえてきた。その音はだんだんと近づいてきて大きくなってくる。


「飛行機?」


 空から聞こえてくるのであれば飛行機だろうか?


 音に気づいて収容所の看守達が出てくる。看守達は、ヴコール達囚人に建物に入るように指示を出し、そして小銃を所属不明の航空機に向けて構える。


 モスクワからは、オートジャイロによってシベリア各地の収容所が襲撃されているとの連絡が入っていた。そして、ついにこの収容所にもそのオートジャイロが来てしまったのだ。


「オートジャイロに国旗が見えます!帝政ロシアです!」


 双眼鏡で見ていた看守が叫ぶ。オートジャイロが少し向きを変えたときに、白青赤のトリコロールを確認した。


「敵だ!撃て!撃て!撃て!」


 看守達は一斉に射撃を開始した。オートジャイロとの距離はまだ800mくらいある。この距離だと、空を飛んでいる標的に当てることは現実的には無理だ。しかし、曇天の空に、大きな音を立てながらゆっくりと近づいてくるオートジャイロは、看守達に今まで経験したことのない、得体の知れない恐怖心を与えていた。その恐怖心に抗うためには、発砲せざるを得なかった。


「あ、あれは・・・・悪魔達の騎行だ・・・・・」


 看守の誰かがつぶやく。


 だんだん近くなってきたオートジャイロの姿は、全くの無機質で、自分たちが知っているどんな機械や建物にも似ていない。


 そこからは、我々を殺そうとしている強烈な“悪意”だけが冷たく伝わってきた。


 看守の誰もが悟ってしまったのだ。数分後には、自分たちの魂はあの悪魔達に刈り取られてしまうのだと。


 看守達は小銃を撃ち続ける。5発を撃ち尽くすと、新しいクリップを取り出し弾を入れ替える。そして撃ち続けた。


 しかし、そのオートジャイロはそんな小銃弾など全く気にすることなく、収容所を囲んでホバリングしている。そして、


 ババババババババババババババ


 収容所を囲んでいるオートジャイロの機首が光り、1秒ほど遅れて激しい連射音が聞こえてきた。そして、外で射撃をしていた看守達が粉々に砕け散っていく。


「収容されている人は建物から出ないで下さい!武器を持っていれば射殺します!」


 オートジャイロの拡声器から大声が聞こえてきた。何度も同じ内容を繰り返し流している。


 外に出た看守は全て射殺されてしまった。建物の中にいる看守達はカーテンを閉めてその隙間から小銃を撃ち始める。


 ――――


「看守達の建物を破壊する。TOW(有線誘導ミサイル)発射」


 6機の九八式攻撃ヘリは、機体の横に懸架されたミサイルを発射する。有線によって誘導されるミサイルだ。


 そのミサイルはガンナーの目視誘導で、正確に建物の窓に命中し部屋の中で爆発した。


 簡易な木造官舎は簡単に吹き飛ぶ。そして、ミサイルで破壊された建物から看守達が這い出してきた。明らかに戦意を無くして、少しでもヘリから逃げようとしている。そして、這い出してきた看守達を、一人一人20mmガトリング砲でとどめを刺していった。


 逃げているということと、降伏の意思表示とは違うのだ。


 看守からの応戦がなくなったことを確認して、多目的ヘリから空挺部隊が次々と降下していく。



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