第144話 第二次世界大戦勃発(1)
1939年8月27日昼前
25日の戦闘で、十一試戦闘機に撃墜されたソ連軍戦闘機隊のセムコフ少尉が、ソ連軍駐屯地にたどり着いた。
墜落する前に、奇跡的にパラシュートで脱出できたのだ。他にも脱出できた兵士がいたのだが、皆重傷を負っていてその後死亡したか、日本軍の捕虜になっている。セムコフ少尉が戻れたのは、まさに奇跡だった。
「セムコフ少尉。何があったか説明してくれ」
司令のジューコフはセムコフ少尉に訪ねる。42機もの航空隊は一体どうなったのかと。
「はい、司令。日本軍の新型機です。約20機の日本軍新型戦闘機にやられました。我々の遙か上空から急降下をして来ました。そして、一瞬のうちに、つぎつぎと撃墜されたのです」
セムコフ少尉は、日本軍機の数はもう少し少ないと思ったが、あまりにも少ない数に一方的にやられたとあっては、責任問題になりかねないので、すこし数を盛って報告をする。実際には15機ほどだったと思っていた。
「新型機だと?しかし、我々も18機のI-16がいたのだろう?それなのに一方的にやられたのか?」
「はい。日本軍機の速度は800km/h以上出ていました。そして、おそらく20mm機関砲を4門か6門装備しています。敵弾を受けた友軍機は、一瞬にして主翼が折れたり火だるまになったりしていました」
「800km/h以上に20mm機関砲が6門だと?そんな戦闘機があってたまるか!お前は敗北した理由を相手の秘密兵器のせいにしたいだけなのでは無いのか?」
「し、しかし司令。実際に42機の友軍機が全滅しました。小官だけならともかく、練度の高い他の隊員も、何も出来ずに撃墜されてしまったのです。しかも、敵戦闘機は全くの無傷でした。本当に、信じられないくらい高性能だったのです」
司令のジューコフは確かにそれもそうかと思う。42機が全滅したのは事実だ。そうであれば、やはり日本軍が高性能な新型機を投入してきたと考えるのが自然だ。
地上戦ではT34の投入でなんとか拮抗を保っている。この空でも当然負けるわけにはいかない。ジューコフは新型試作機の投入を要請した。
<ポーランド侵攻>
1939年9月1日
ついにドイツ軍がポーランドの国境を越えた。
ポーランドはドイツの侵攻に備えて国境付近に軍を集めつつあったが、予定の半分にも届いていなかった。軍用車両もあまりなく、輸送は鉄道に頼らざるを得ない。
ウオオォォォーーーーーン
「ドイツ軍の爆撃機だ!」
空から突然サイレンの様な音が鳴り響く。ドイツ軍急降下爆撃機Ju87 シュトゥーカによる急降下爆撃だ。
Ju87はスペイン内戦の戦訓から、主脚の付け根にサイレンを搭載するようになっていた。これは、サイレン音による威嚇効果を狙ったものだ。地上にいる人間は、サイレンを聞くと恐怖によって逃げ惑うようになり、反撃がまともに出来なくなる。
9月1日早朝、ドイツ軍はトチェフ市周辺に集結していたポーランド軍に対して爆撃を開始した。その攻撃は無慈悲で一方的な物だった。
Ju87の急降下爆撃に対して、ポーランド軍は満足な反撃も出来ないまま次々に撃破されていく。9月1日の戦闘は、ポーランド軍にとって潰走と言って良かった。逃げ惑うポーランド軍に対し、容赦なくドイツ軍は襲いかかる。
ドイツ軍は航空機による鉄道網の破壊を徹底的に行った。鉄橋を破壊し、鉄道車両を見つけては急降下爆撃によって撃破し、立ち往生をさせる。空からでは客車か貨物車かなどわからないし、そもそもドイツ軍はそれを識別するつもりも無かった。その為、避難をしていた多くのポーランド市民が犠牲になる。
急降下爆撃によってポーランド軍の車両を破壊し、鉄道網を分断しながら、国境線から5,000両を超えるドイツ軍戦車や装甲車がなだれ込んできた。その中には数百両の三号戦車や四号戦車が入っている。ポーランド軍の主力戦車である7TP戦車は、満足な反撃も出来ないまま葬られていった。
ドイツ軍機甲部隊の前進速度はすさまじく、次々にポーランドの村や町を占領していく。
開戦前から秘密裏に、ドイツ系ポーランド人達に“反ドイツ的ポーランド人”のリストを作らせておいた。ドイツ系住民を迫害したり、快く思っていないポーランド人のリストだ。
ドイツ軍はそのリストに従って住民を逮捕し、“比較的”秘密裏に殺害していく。さらに、ドイツ系ポーランド人による“自衛団”が組織され、ポーランド人に対する暴行や虐殺が行われた。
この自警団の虐殺行為は、ポーランド東部のあちらこちらで隠されること無く行われたので、住民から憎悪の対象になってしまった。そのあまりにも行きすぎた行動に、占領計画がうまくいかなくなることを憂慮したナチスによって強制解散させられたほどだった。
ポーランド侵攻後、最初の二週間で10,000人から20,000人のポーランド市民が連行され虐殺されたと言われる。
そして、ポーランド人によるドイツ系住民に対する暴行や虐殺事件も多発してしまう。婦女子を含めて500人から1,000人が犠牲になったとの研究がある。(※諸説ある)
――――
1939年9月1日
「くそっ!ヒトラーめっ!ついにやりやがった」
ビッグベンの一室でイギリス首相のチェンバレンは外務省からの報告と内務省が作った宣戦布告の原稿を読む。ついに、最悪の事態が発生したのだ。
この“最悪”を防ぐために、イギリスは譲歩に譲歩を重ねて、ヒトラーの欲しがる物をくれてやった。再軍備も認め、オーストリアもチェコスロバキアも差し出した。そして、その結果がこれなのか。
チェンバレンはこれから議会に対して、ドイツに宣戦布告をする事を報告する為にビッグベン(国会議事堂)に来ている。宣戦布告は内閣の専権事項なので、布告自体は必ずするのだが、議会への説明が辛い。これまでの与党の政策について非難が殺到するだろう。それに対して答弁しないとならないと思うと、胃が痛くなる。
1939年9月3日
国際連盟安全保障会議に於いて、常任理事国である日本・イギリス・フランスによってドイツに対する非難決議と、国連軍の結成が議決された。国連軍に参加する国は、ドイツに対して宣戦布告をする。
こうして、第二次世界大戦は始まってしまった。
東アジア条約機構の加盟国では、日本とロシア帝国・清帝国が国連軍に参加をする事になったが、ヨーロッパに於いてイギリスとフランス以外の国は、全て中立を表明し、国連軍に参加することは無かった。
ヨーロッパの小国は、どこも戦争に巻きこまれたくは無かったのだ。
そして、英仏から日本に対して空母派遣の要請が来る。また、英国からは廃艦になっていて、まだ解体していない戦艦を供与して欲しいとの打診があった。これに対し日本は、赤城と加賀の二隻の空母を中心とした空母打撃群を送り、解体前だった、戦艦長門・陸奥・金剛・霧島・榛名の供与を決定した。
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