第141話 ノモンハンの悪魔・戦闘
1939年8月25日16時09分
槇村は全機に攻撃開始を告げる。分隊の9機は、小隊ごとに敵を定めて反転しながら急降下していく。敵はまだ気づいていない。
800km/h以上の速度で、敵機編隊に襲撃をかける。敵機との速度差は400km/h以上。これだけの速度差があると狙いを定めることは出来ず、機銃弾はまず当たらない。しかし、十一試戦闘機に搭載された九九式電波照準器によって革命は起きたのだ。
九九式電波照準器は、内蔵されたGセンサーとジャイロによって自機の旋回角速度と傾きを把握する。そして、翼に取り付けられたレーダーによって、敵機の距離と相対速度を把握し、コンピューターによって瞬時に敵機の未来位置が計算される。その計算結果に応じて照準器のレチクルが移動し、射手はレチクルの真ん中に敵機を収めて機銃のボタンを押すだけだ。
槇村の小隊三機は、敵最右翼に位置する戦闘機小隊に狙いを定めて攻撃を仕掛けた。みるみる近づいてくる敵機を、照準器の中のレチクルに合わせて発射ボタンを押す。
そして翼内に設置された合計6丁の12.7mm機銃が火を噴き、敵機の主翼に吸い込まれていく。その後、少しだけ操縦桿を右に倒して敵機と衝突しないように下方に抜けていく。まだ戦果確認は出来ない。
小隊機を従えて機体をひねりながら上昇を開始していくと同時に、パイロットにすさまじい加速度がかかる。
「ビービービー」
旋回制限の9Gが近い事を示す警告音が鳴り、加速度計は8Gを超えた辺りを示している。普通であれば、脳に血液が行き渡らずブラックアウトを起こし失神してしまう加速度だ。しかし、槇村の両足は耐Gスーツに締め上げられて、かろうじて脳に血液が回り続けている。
そのまま高度6,000mまで反転上昇し、次の攻撃へ移る。
「チャーリーブラウンよりウッドストックへ。バンディッド6機の脱落を確認」
戦闘機18機中6機を撃墜。味方分隊が9機であることを考えれば、初撃としてはまずまずだ。
そして、すぐさま次の攻撃へ移る。
「浅野少尉の機動は、いつ見てもすごいわね」
槇村は浅野機の動きを横目で見ながら、その美しさに心を奪われそうになる。まさに天才という言葉は彼女のためにあるのだと思う。その才能は、神に愛されているとしか思えなかった。
彼女のその優美でありながら情熱的な機動によって、ソ連機は次々と撃墜されていった。
――――
「くそ!くそ!何だ、あの機体は!本当に日本軍の機体なのか!?」
I-16戦闘機の操縦桿を握るソビエト連邦軍ペトラコフ中尉は叫ぶ。自分たち小隊の遙か上空の雲間から現れた数機の敵航空機は、反転しながらすさまじい速度で急降下を開始し、小隊の後方上空から攻撃を仕掛けてきた。
小隊の僚機はすぐさま散開し回避を図るが、クライネフ少尉の機が喰われた。
ペトラコフ中尉が所属するソ連軍モンゴル派遣旅団は、日本陸軍が不法に占拠するノモンハン陣地を爆撃するために出撃していた。航空優勢はソ連にある。最近では高射砲も撃ってこなくなった。いつもならお買い物に行くような簡単な仕事のはずだった。いつもなら・・・
「セムコフ少尉!クライネフ少尉がやられた!一度高度を取って敵機を撃つ。我に続け!」
我が国の品質の悪い無線機だと僚機に伝わったかどうか怪しいが、伝わったことを信じて操縦桿を引く。僚機からの返事は無い。
急降下していった相手を追うのは愚策だ。相手の方が速度が出ているし、自機も高度を下げてしまっては敵機に上を取られる可能性がある。
「他の小隊は?」
周りを見ると他の小隊も攻撃を受けているようだ。今回の出撃はI-16の6小隊18機と爆撃機24機による出撃だ。このノモンハンにおいて、現在ではソ連が航空優勢を取りつつあった。操縦席の後ろに防弾鋼板を設置したことにより、日本軍九七式戦闘機の7.7mm機銃では、パイロットに致命傷を与えることは出来なくなっていた。燃料タンクにはセルフシールが施され、直撃を食らっても火災が発生することは希だ。日本軍機相手なら、このI-16はまず撃墜されることは無いはずだった。
煙を吐きながら降下していく味方機が見える。最初の会敵で数機がやられたようだ。
「中隊長からの指示はまだ出ないのか?」
敵機からの来襲があれば、中隊長から何かしらの指示が出てもおかしくない。良く聞くと、無線機からはいつもより大きめのノイズだけが聞こえている。
「くそっ!このボロ無線機め!こんな時に故障かよ!」
我が国の工業製品の質の低さに罵声を浴びせる。ペトラコフ中尉は高度を取りつつ、先ほど攻撃をかけてきた敵機を目で追いかける。敵機には日の丸が見えるので、日本軍機に間違いない。しかし、見たことの無い機体だ。今まで相手にしていた九七式戦闘機より少し大型で、速度が全く違う。機首が尖っているので液冷エンジンを搭載しているのだろう。それに、主脚が出ていない。どうやら日本も引込脚を実用化出来たようだ。
敵機は急降下した後、機体をひねりながら急上昇に転じた。ものすごい速度と機動だ。このI-16であんな機動をしたら、とてもでは無いが主翼が持たないだろう。第一、あんな動きに普通のパイロットが耐えられるはずが無い。
日本軍機はみるみる上昇して行き、先に上昇を始めた我々より早く高度6000メートル付近に達する。そして背面飛行から機体をさらに回転させて我々の後方上空を占める。
「だめだ、逃げられない!日本軍の戦闘機は化け物か!?」
I-16の最高速度は約460km/h。しかし、敵機はどう見ても600km/h以上は出ている。急降下に至っては800km/h以上出ていたのでは無いだろうか。
「ありえない!何なんだ!」
今までの日本軍機とは比較にならない性能。いや、この時代において、こんな高性能な機体があるのだろうか?
――――
数回の攻撃で、ソ連軍戦闘機はすべてこの空から消えていた。
速度差が2倍近くあり、旋回性能や武装も十一試戦闘機の方が圧倒的に上だ。これで負ける理由がない。ソ連軍機は必死で逃げ惑ったが、誰一人として帰還することは叶わなかった。
ソ連戦闘機隊にとって悪夢と言える、たったの5分間が過ぎた。しかし、まだ悪夢は終わらない。残るは爆撃機隊。護衛戦闘機がどんどん撃墜されていくのを見て、爆撃機体は攻撃を断念し退却を始めていた。そして、その爆撃機隊に十一試戦闘機9機の攻撃が開始される。
敵はツポレフSB-2爆撃機。後部銃座があるので、ある意味戦闘機より危険な側面がある。しかし、後部銃座は7.62mm機銃1丁のみで、仰角もそれほど取ることは出来ない。十一試戦闘機にとって、この爆撃機の撃墜など児戯に等しい。
「くそ!護衛の戦闘機がほとんどやられた!無理だ!全機爆弾を投棄して退却する!」
ソ連軍爆撃機隊の中隊長は全機に退却を命ずる。しかし、すぐに爆弾を投棄して旋回を始めたのは、自分の乗る中隊長機のみだ。
「何をしている!?無線が通じていないのか?」
何回か呼びかけたが応答は無い。無線が通じていないようだ。しばらくして、中隊長機の退却に気づいた機体から順次退却を開始する。しかし、編隊は乱れ散開してしまった。そして、群れからはぐれた機体は、あっという間に十一試戦闘機に喰われていく。
あるものは主翼が折れ、あるものはエンジンから火を噴き、次々と墜落してった。
「護衛戦闘機があんなに簡単に全滅するなんて!何なんだ、あの日本軍機は!」
「だめだ、相手が速すぎる!機銃が全く当たらない!」
「左エンジン、火災発生!エンジン停止します。だめです!火が消えません!」
「くそっ!悪魔だ、悪魔が出てきやがった!あんなの、人間が出来ることじゃない!」
戦闘開始から10分、空には十一試戦闘機9機のみが存在した。
――――
陸軍航空隊第一中隊の九七式戦闘機22機は、全速で戦闘空域を目指して飛んでいた。到着したばかりの宇宙軍の戦闘機9機が、先にソ連軍機と交戦しているはずだ。新型機と聞いてはいるが、42機を相手にするにはあまりにも荷が重すぎる。中隊長の宇藤大尉は、出来るだけ早く急行しなければと焦っていた。
そして、傾き始めた太陽の下辺りに、こちらに向かってくる9機の編隊が見えた。
迎撃の命令を受けてから20分しか経っていない。本来ならまだ戦闘を行っているはずだ。しかし、ノモンハンの戦域を越えてこちらに向かってくる機体があるのは一体どういうことだと疑問に思う。損傷した味方の機が帰投しているのだろうかとも思った。
「中隊全機へ。前方より未確認航空機が接近。敵機の可能性がある」
宇藤大尉は僚機に注意を促す。
と、その時、航空隊基地より通信が入った。
「第一中隊へ、ソ連軍機は撃退した。現在宇宙軍航空隊が帰投中。相撃ちに注意せよ」
「こちら第一中隊宇藤大尉だ。撃退したとはどういうことだ?退却させたのか?」
「詳細については確認中。現在空域にいるのは全て友軍機だ」
「こちら第一中隊宇藤大尉。了解した。我々は戦域の状況を確認する。地上部隊に誤射をしないように伝えてくれ」
敵機を全機撃退したと言われても、宇藤大尉にはどうにも納得がいかなかった。そもそも、本当に敵機が来ていたのかとも思う。無線の内容が本当なら、戦域に行けば敵機の残骸などがあるはずだ。それをどうしても確かめたかった。
――――
戦闘終了から15分後、槇村隊はチャーリーブラウンのガイドによって、現フルンボイル市近郊に作られた日本帝国陸軍飛行場に到着する。足の遅い輸送機は、まだ到着していない。
「こちら、地上管制。着陸を許可する。西側より進入されたし」
飛行場といっても、草原をトラックで踏み固めて目印を置いただけのものである。周りには、作業小屋や宿舎などのバラックが見える。
地上では日本帝国陸軍航空隊の地上隊員たちが、十一試戦闘機の帰還を待ち受けていた。彼らには、友軍機が帰投するとの連絡があっただけで、戦果の連絡は入っていない。この当時の戦闘では、友軍機が帰投するまで戦果はわからないのが普通だった。
「9機全機帰還か。未帰還が無いのは良かったじゃないか」
「それにしても、帰還が早くないか?会敵出来なかったんじゃねーの?」
「さっき飛び立った宇藤大尉達に任せて逃げて帰ってきたんじゃね?」
陸軍航空隊としては、新参の宇宙軍戦闘機が戦果を上げるのは気に入らない。ノモンハン事件が勃発した当初は、航空戦力において日本軍が圧倒していた。しかし、立秋を過ぎた頃から、改良型のI-16の投入と、速度を活かした一撃離脱戦法により、ソ連軍機が日本軍機に対して優位に立っていたのである。そんな中、宇宙軍が新型機の実戦テストとして十一試戦闘機を送り込んできた。増援と言ってはいるが、実質はテストだろう。自分たちが命がけで戦っているところに、新型機のテスト。しかも、パイロットたちは全員初陣のひよっこらしい。この戦場もずいぶんと馬鹿にされたものだ。
「だいたい宇宙軍って、誰と戦うんだ?宇宙人か?」
「陛下の戯れだよ。趣味で軍隊ごっこをやってんのさ」
「おいっ!それは不敬だぞ」
陸軍航空隊の面々が揶揄する。
「しかし、かっこいい機体だな。機首が細いから液冷エンジンか?全長もだいぶ長いな」
「あの風防もすごい。曲面ガラスの一体成形みたいだぞ」
「機銃が合計6丁か。すごい重武装だな」
地上隊員たちは十一試戦闘機を見て、正直な感想を漏らす。だんだん近づくにつれ、自分たちが知っているどの航空機にも似ていない、非常に洗練された戦闘機のように思えてきた。
着陸した十一試戦闘機は、タキシングをして駐機場に入り、9機が整然と並んで停止する。地上整備員が駆け寄り、それぞれのコクピットの横に脚立を立てる。そしてパイロットたちが降りてきた。
航空隊の面々が注視する中、宇宙軍の9人のパイロットは草原を歩いて航空隊司令の前に整列し、飛行帽とゴーグルを外す。
飛行帽とゴーグルを外す仕草は流れるように涼やかで、それでいてどこか凜とした佇まいを見せる。そして、その飛行帽からは、長く美しい漆色の髪がスローモーションの様にさらさらとこぼれた。そこに居た現地隊員には、見えるはずの無いキラキラとした“何か”が見えていた。
「帝国宇宙軍第二十三航空隊槇村大尉以下9名、ただいま着任しました!」
航空隊司令他現地の面々は、顔を引きつらせてパイロットたちを見つめる。誰が想像しただろう。新型機に乗ってきたのが、全員妙齢の乙女だったとは。
※大幅加筆を目指したのですが、あまり代わり映えしなかったです・・・。
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