第106話 第一回ワールドカップ(4)
「ニコラス!しっかりしろ!死ぬな!ニコラス!」
ニコラスはそのまま担架で運び出された。
体を張ってゴールを守ったニコラス。それに比べて俺はどうだ?ブラジルの守護神たる正ゴールキーパーの俺は、ニコラスのように闘志に燃えていたか?恐れていなかったか?
ニコラスの献身的なプレーを目の前で見て、ディアゴの闘志は再び燃え上がった。
「ニコラス!お前の死は無駄にしない!」
注)死んでない。
――――
ブラジルベンチ
「監督、俺が行きます」
ベンチの奥で、すさまじいオーラを発している一人の選手が監督に申し出る。
「イグナティウス。行ってくれるか?お前は決勝トーナメントまでとっておくつもりだったが仕方が無い。ここで負けるわけには行かないからな」
「監督、俺にはわかります。比嘉は武術の達人です。ヤツを止めることが出来るのは、俺しかいません」
イグナティウス・ダ・シルベも、比嘉と似たような境遇だった。ポルトガル人と黒人とのハーフだ。しかし、父親である名前も知らないポルトガル人は、イグナティウスが生まれる前に本国に帰ったという。イグナティウスは母親と二人で貧しい生活を送っていた。その頃、日本から武術の普及のためブラジルに帰化していた“コンデ・コマ(前田光世)”と出会う。そして、コマはイグナティウスの才能を見いだした。
コマの指導によって、イグナティウスはサッカーと武術を融合させた、独自のプレースタイルを完成させていたのだ。
イグナティウスは、比嘉が武術の達人であるということを見抜いていた。ヤツは徹底的に右足を鍛え上げたのだ。それは、武術の神髄である“一撃必殺”を体現した物だ。
武術とは、相手を殺すための技だ。なれば、最初の一撃で相手を殺すことが出来ればいい。それで戦いは終わる。それを比嘉は理解し、ひたすらに、最初の一撃で敵を殺すため、右足を鍛え上げたのだ。
そして俺は、この右の拳を鍛え上げた。構えも防御もない。ただ、最初の一撃で確実に相手を殺す。それを悲願として鍛えてきた。イグナティウスの正拳突きは、ついに巨大な水牛の頭蓋骨を粉砕することができるようになった。イグナティウスも必殺の拳(殺人兵器)を持っているのだ。
しかし、その正拳突きがこの試合で役に立つかどうかがわからなかった。いや、いざとなれば、この右手の正拳突きで比嘉をフィールドに沈めればいい。自分もレッドカードを喰らうが、比嘉さえ居なくなれば10対11でもなんとかなるはずだ。
イグナティウスはフィールドに入る。そのすさまじい殺気を隠す事はしない。
比嘉は、自身に向けられたその殺気を感じながらイグナティウスをにらむ。
『こいつは、俺と同じだ』
イグナティウスの黒光りする鋼の筋肉は、もはや人間の領域を超えていると思えるほどだ。今ここに、日本とブラジルを代表する猛獣が相まみえる。
日本ボールのコーナーキックからプレーが再開される。ボールはうまくクリアされ、タッチラインを割った。
ブラジルは、ショートパスとミドルパスを組み合わせてボールを前線に運ぶ。サッカーの基本に立ち戻ったようなプレーに切り替えた。十分に実力のある日本に対して奇策は通用しない。とんでもない奇策を用いるか、もしくは、ボールを保持し相手を走らせ隙を作るかのどちらかだ。ブラジルはその小さい隙を細かく攻撃し、少しずつこじ開けていく。幸い、イグナティウスが比嘉を押さえ込んでいるので、ボールの支配率もブラジルが上回ってきた。
それぞれ、何度かチャンスを演出するがゴールには繋がらない。立ち直ったブラジルのGKディアゴは、さすがブラジルの守護神と言えるスーパーセーブを連発する。同じく若森もゴールを割らせない。
そして、イグナティウスが比嘉のマンマークに入ってからは、比嘉は一度もボールに触ることが出来ていない。イグナティウスも比嘉へのパスをことごとくカットし、味方につなげていた。自分自身でボールを持って攻撃に参加する方法もあるが、そうすると、比嘉を自由にさせてしまう。少なくとも、前半のこの時間でヤツを自由にさせるわけには行かなかった。
前半残り約2分となった。
比嘉はなんとかボールを受けようとイグナティウスのマークを躱そうとする。しかし、イグナティウスは素早くパスコースに移動して比嘉を自由にさせない。比嘉は少々強引にイグナティウスに体をぶつけるが、イグナティウスの体はびくともしなかった。さすが、超一流の武術家だ。体幹は化け物じみている。
前半最後の望みをかけて、沢田が比嘉にパスを出す。それに反応した比嘉が少々強引にイグナティウスに体を当てマークを振り切ろうとした。しかし、この程度ではイグナティウスのマークをふりほどくことが出来るはずはなかった。今までは。
ピーーー!
ファウルのホイッスルが鳴る。比嘉は驚き振り返った。そこには、顔を押さえてうずくまるイグナティウスがあった。
審判からは、比嘉がイグナティウスを振り切ろうとしたときに、その肘がイグナティウスの顔に当たったように見えた。しかし、実際には当たっていない。イグナティウスは審判にそう見えるように仕組み、当たっていないにもかかわらず倒れたのだ。
「なっ!当たってないぞ!」
比嘉は審判に詰め寄って抗議をした。しかし、ファウルは覆らない。比嘉は納得がいかずさらに詰め寄った。
すると、比嘉の目の前に黄色いカードが提示された。審判への抗議はイエローカードの反則だ。
「虎次郎さん!これ以上はダメです!レッドをくらいますよ!」
「沢田、止めるな!俺はファウルをしていない!」
「ダメです!審判の判断は絶対です!」
それを見ていたイグナティウスは立ち上がり、比嘉に“ニヤッ”と口角を上げて見せた。
『これが、大岬監督の行っていた“マリーシア※(ずるさ)”か!』
※国や時代によって多少定義は違う。
イグナティウスはフリーキックの位置にボールをセットし、日本ゴールを見る。場所は、ペナルティエリアから3mほど外側だ。
ゴールの前には、日本人選手が壁を作る。その中でも、比嘉は頭一つ分他の選手より高かった。
イグナティウスは一瞬目をつむり、神に祈る。そして、リズムを取りながらボールに走り寄り、右足を振り抜いた。狙いは、比嘉の頭の上30センチだ。
この位置なら、比嘉がジャンプをすればヘディングが届く。しかし、他の選手は絶対に届かない。その絶妙な場所を狙ってキックした。
そして、比嘉はイグナティウスの考えたとおりにジャンプをして頭を当ててきた。
『読み通りだ!』
イグナティウスは比嘉に詰める。比嘉はヘディングでボールをクリアした。しかし、クリアミスだ。ボールはほぼ真上に上がってしまった。
そして、ボールがまっすぐに落ちてくる。イグナティウスはその場所に駆け込みジャンプしながら体をひねる。そして、信じられないような高さからのオーバーヘッドキックを繰り出したのだ。
GK若森は、その一連の流れを目で追っていた。GKはプレーの流れを見ながら、次に来る状況を予想し、それに準備をした体勢を取る。
しかし、イグナティウスのオーバーヘッドキックは読めなかった。あんな体勢で、しかもあんな高さからキックを繰り出せるものなのか?
若森は一瞬反応が遅れる。ボールに向けて飛び出すが、ほんの少し、間に合わなかった。あと1センチ、ポジションを左に取っていれば届いていた。そんなギリギリの駆け引きだった。
ピーーー!ピピーーー!
ゴールのホイッスルと同時に、前半終了のホイッスルが鳴った。
※当時のルールと一部違うところがあります。
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(次話からは、通常の物語に戻ります。ワールドカップ編は外伝の別小説として発表することにします。構想が膨らんでしまったので・・・)
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