第89話 クレムリン急襲(1)

「た、高城大尉!!」


 視界の端に高城蒼龍を確認した安馬野は、目を見開いてガバッと上半身を起こした。その顔は真っ赤だった。


「高城大尉!なぜここに?それに、わたしは・・・・・」


 安馬野は自分の今の状態を確認した。ここは自室だ。そして、自分は浴衣(寝間着)を着ている。こんな姿を高城大尉にさらしているなんて!


 安馬野は布団を首元まで持ち上げて浴衣を隠し、恥ずかしそうにもじもじしている。


「俺が到着する直前に、倒れて医務室に運ばれた。点滴を受けて、今に至ったが、大丈夫のようだな」


「えっ?増援の飛行艇に、乗ってこられたのですか?申し訳ありません。全然知らず・・・。ご迷惑をおかけしました。私、倒れたんですね・・」


 高矢曹長から、安馬野少尉が精神的に危険な状態だと連絡が入っていたのだ。その為、急遽、高城は黒海に行くことにした。


「安馬野。このタスクに全力を出したい気持ちはわかる。しかし、無理をするな」


「申し訳ありません。私が、少しでも頑張れば、それだけ、少しだけ、多くの人が助かると思うと・・・」


「報告は聞いている。つらい思いをしたな」


 高城は、安馬野が現地に強行偵察に行くとは思ってもみなかった。高空からの食料投下作戦。これなら、それほどの危険はないと判断していた。しかし、安馬野が現地の実態を伝えてくれたおかげで、これで、世界が動く。


「私、この作戦を甘く考えていました・・・・・。食料に困っている人を助けるって言う、なんとなく漠然とした正義感もあって・・・。でも、事実はそんな生やさしいことではなかったんですね・・・。どうして・・・どうして人間は、同じ人間に対して、あんなことができるんでしょうか?食料を取り上げて、村に閉じ込めて、殺し合って餓死するのを待つなんて・・・・・」


 安馬野は俯きながら、ぽつりぽつりと話す。その頬を涙がつたっていた。


「えっ・・」


 突然自分の頭に、懐かしく心地の良い掌が置かれるのがわかった。何年ぶりだろう?幼年学校以来だろうか?こうやって、高城大尉に頭をなでてもらえるなんて。


 安馬野はゆっくりと顔を高城に向ける。高城は何も言わず、優しい笑顔で見てくれている。


「高城大尉・・・わたし・・・わたし・・・うわぁーーーん」


 安馬野は泣いた。高城蒼龍の胸に顔をうずめて、まるで幼子のように泣き続けた。高城への想いがあふれてくる。初恋の相手。そして、それからずっと、恋い焦がれる相手。このまま高城の胸で息絶えることができたら、どんなに幸せだろう。つらいことや、醜い人間の争いなど無縁の世界へ、高城大尉と旅立つことができれば・・・・・


 高城は何も言わず、優しく安馬野を抱き寄せ頭をなで続けた。


 部屋のドアの外には、高矢が立っていた。高矢は、少し嬉しそうに涙を流す。


 ――――


 翌朝、安馬野は鏡で自分の顔を見る。ひどい顔だ。目は真っ赤に充血している。まぶたも顔もぱんぱんに腫れている。こんな顔、“蒼龍さん”には見せられないな、と思いながら、昨夜のことを思い出して顔を真っ赤にする。


 と、その時、部屋の金属製ドアをノックする音がした。


「安馬野、起きているか?出撃だ!30分後に、九十二式六号機まで来い」


「は、はい!高城大尉!」


 安馬野は、心臓が止まるかと思った。朝起きて最初に聞いたのが高城大尉の声。嬉しい。今日は一日良いことがありそうだと思った。


 ――――


「安馬野少尉、ただいま参りました!」


「高矢曹長、ただいま参りました!」


「フロロヴァ少尉。ただいま参りました!」


 安馬野は高城に敬礼をするが、恥ずかしくて視線を合わすことができなかった。その様子を、高矢はほほえましく思う。


 昨日到着した九十二式大型飛行艇7機は、エンジンを始動し離水準備が整っていた。


「よし、出撃だ。これから、この惨劇を引き起こした張本人の所に、殴り込みに行くぞ!」


 高城大尉は、集合した全員に向かって命令を出す。安馬野は“殴り込みに行く”と言われても、どこに行くのか判らなかった。でも、高城大尉の命令は絶対だ。高城大尉の指示に従っていれば、必ずうまく行く。


 九十二式大型飛行艇は、最初の5機が先行量産型のブロック0で、6機目からはブロック1と呼ばれる


 ブロック1からは、機首の下に20mmCIWSを搭載し、翼にハードポイントが増設され、最大4トンまでの爆装ができるようになっていた。


 今回は、日本から黒海までの無給油飛行のため、1機あたり1,000kg有線誘導爆弾2発しか持って来られなかったが、それでも7機だと14発(14トン)の爆弾がある。


「このまま、クレムリンを爆撃する。スターリンに一泡吹かせてやるぞ!」


 ブリーフィングが始まる。目標はクレムリンだ。途中ソ連の迎撃機に対しては、警告なしでの撃墜が許可された。スターリンの頭に、14トンのRDX(高性能爆薬)をぶち込んでやるのだ。


 九十二式大型飛行艇7機は、北に向かって離水した。


 ――――


「敵飛行艇7機は従来の空域を通過。そのまま北上しています!このままだと、あと1時間足らずでモスクワに到達します!」


 ベルゴロドにある赤軍地方司令部では、高度1万メートルを北上する飛行艇を確認し、モスクワの赤軍本部に連絡をする。もしかすると、モスクワを爆撃するつもりではないだろうか?


 ――――


「同志スターリン。すぐに地下壕へ避難してください!」


 スターリンは側近のベリヤに促されて地下壕へ避難する。


「くそっ!我が軍はいったい何をしているんだ!」


 スターリンの頭には、何人かの粛正リストが浮かんでいた。

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