第87話 第一次日ソ間宮海峡会戦

 救出された少女は、医務室で生理食塩水とブドウ糖の輸液を受けながら眠っている。


「容態はどうですか?」


 安馬野は軍医に少女の様子を聞く。


 少女はシラミとノミが激しかったので、髪は全て剃られていた。


「脱水症状がひどいですね。とりあえず、緊急の生命の危機は脱したと思います。しかし、腎臓がやられてなければ良いのですが」


 脱水症状や飢餓状態になると、血液中にタンパク質の分解物が流れ出し、腎臓を痛めてしまう。この時代、腎不全になると言うことは、ほぼ、死に直結するのだ。


 安馬野は、少女に生きて欲しいと願う。あと一日、私たちが来るのが遅ければ少女は死んでいただろう。この奇跡を繋いで欲しい。そして、彼女の弟を埋葬できなかったことを、心の中で詫びた。


 ――――


 安馬野達は、撮影してきた写真と動画を現像し、すぐにフィルムの複製を依頼した。急遽、イスタンブールにて記者会見を開催する事が決定したのだ。


「そう、そんなにもひどい状態だったのね」


 安馬野とユーリアは、セルゲエンコヴァ少佐に報告をする。飢餓が発生して餓死者が出ているという情報はあったが、実際に目撃した人の証言を聞くのは初めてだった。そして、その場にプリントされた“証拠写真”が持ち込まれた。


 それを見たセルゲエンコヴァ少佐は写真を受け取り、一枚一枚めくっていく。みるみる表情は曇り、20枚ほど見た後に、天を仰いで“ふうっ”と大きなため息をついた。


「これが現実・・・・・・」


 セルゲエンコヴァ少佐は上を向いたまま瞼を閉じる。そして、その目尻からは、涙が流れていた。


 ――――


 数日後、イスタンブールの日本大使館で記者会見が開かれた。そこには、列強各国の記者団やトルコに大使館のある国の大使たちが招かれていた。


 そして、記者団と大使たちに資料が配付される。艦隊に備え付けてあるコピー機によってプリントされた物だ。


 招待された者たちは、その資料と写真を見て顔をしかめる。この内容は本当なのか?と。


「集まっていただきありがとうございます。ロシア軍のフロロヴァ少尉と日本軍の安馬野少尉が、マリウポリ北方の村を調査した結果を、みな様に報告します」


 セルゲエンコヴァ少佐はありのままを伝える。記者の中には、吐き気を催して、途中退席する者もいた。


「・・・・・そしてスターリンは、飢餓によって餓死者が出ていることを把握しながら、国内パスポート制度を作り、農民達が街に食料を買いに行くことを取り締まっています。これは、計画的に行われている大虐殺です。各国の皆さん。この非道な行いを、何としても止める協力をしてください!ソ連に圧力をかけてください!お願いします!私たちの同胞が、死んだ家族の肉を食べなければならないほど、追い詰められているのです!」


 セルゲエンコヴァ少佐は、感情の高ぶりを押さえることができず、涙をボロボロと流す。


 記者達は一斉にフラッシュを焚いて写真を撮る。その記者会見の様子は、全世界の新聞に掲載された。


 ――――


 記者会見が開かれた二日後、日本帝国海軍の連合艦隊は間宮海峡付近で布陣を完了させていた。全艦、目標に対して左舷を向けている。


 間宮海峡に到着するまでに、ソ連航空機や潜水艦による攻撃はなかった。ロシア革命後、ソ連はまず陸軍の拡張を優先し、海軍は帝政時代の艦船を使っていた。それも、ほぼバルト海と黒海に配備しており、極東には、陸軍以外の戦力の配備は乏しかったのだ。


「これより長門・陸奥・金剛・霧島の主砲による艦砲射撃を行う。撃ち方 始め!」


 艦隊司令の号令により、4戦艦が一斉にその主砲の全力砲撃を始める。41センチ砲、35.6センチ砲、合計32門の大火力だ。その一斉砲撃は見る者を圧倒させ、この海上に地獄を現出せしめたかのような錯覚を覚えさせる。その発射の轟音は、100km離れたオハでも聞こえたという。


 既に、各艦がそれぞれ試射を行い、着弾観測機によって効力射ができるように調整してある。無慈悲な鉄と火薬の地獄は、ソ連軍砲兵陣地に降り注いだ。


「敵砲兵陣地、爆炎に包まれています。照準そのまま」


 観測機からの通信が入る。砲弾は敵の頭上に正確に降り注いでいるようだ。


 太平洋戦争時の硫黄島のように、深い地下壕を掘っていれば別だが、通常の防空壕で1m厚程度のコンクリートであれば、41cm砲は容易に貫通する。3m厚のトーチカでも、戦艦の主砲弾を数発喰らえば堪えられない。コンクリートは非常に堅いのだが、その分、ひびがはいると脆いのだ。


 ――――


 ソ連軍トーチカの中では、砲兵部隊の小隊長が部下に指示を出す。耳元で大声で叫んでいるが、砲撃の爆発音で全く聞き取れない。小隊長は必死の形相だ。生き残るために、部下に指示を伝えて少しでもなんとかしたいという気迫だけは伝わってくる。しかし、その努力も数秒後には無意味な物となって爆散した。


 続いて、周辺のソ連軍兵舎や施設の攻撃に移る。ソ連軍のありとあらゆる物の上に、砲弾が降り注いだ。


 ――――


 艦砲射撃が終了し、煙が晴れるのを待って着弾観測機から通信が入る。


「敵砲兵陣地、壊滅。周辺の施設も消失しています。何もありません!まるで月面のようです!」


 戦艦の艦砲射撃は1時間近く続いた。その間に、合計2,200発もの主砲弾が撃ち込まれたのだ。艦砲射撃が始まる前に存在していた物は、もう何も残っていなかった。


「よし、戦艦は後退。巡洋艦は前進し、周辺の橋梁や軽便鉄道への攻撃を行う。駆逐艦は引き続き潜水艦への警戒を厳にせよ!」


 続いて巡洋艦群は、周辺の橋や鉄道、道路といった施設に対して攻撃を開始する。着弾観測機との連携の訓練にもなる。


 この日、ソ連軍極東砲兵連隊は壊滅。2,500人の死者行方不明者と300人の負傷者を出した。


「敵砲兵陣地の殲滅を確認した。次の目標はウラジオストクだ!全艦、南南西に転進!」


 連合艦隊は、次の目標に向けて進撃を再開する。そして、日本政府は、緊急安全保障理事会開催を国連に要請した。

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