第73話 九十二式大型飛行艇

1932年5月


 1920年頃からの戦後恐慌対策として、岡山県倉敷市に官営水島製鉄所が建設され、1928年から稼働を開始していた。そして、その製鉄所から東に2kmほどの所に、10万トン級の船舶を収容できるドックが建設中だ。


 そして、そのドックの隣の大桟橋では、ロシアから発注された、超大型貨物船2隻の艤装工事が行われている。


 船体は、このサイズの船を建造できるドックが日本に無いため、アメリカの造船所で建造された。そして、艤装工事を行うために、日本に回航されてきたのだ。


 アメリカで建造された際の機関は、通常の重油専焼缶による蒸気タービンだったが、これは既に取り外されており、ここには現在開発中のガスタービン機関が16基搭載される予定になっている。


 また、ガスタービンで発生した廃熱を利用した蒸気で、船首カタパルトを駆動する。


 ロシアからは、あくまで貨物船であり、艦首のカタパルトの様なものも、甲板上で大型コンテナを移動させるための牽引装置だと説明を受けている。もちろん、建前だが・・。


 そして、そのドックの沖合では、大型飛行艇5機が水面(みなも)に揺れていた。


「エンジン出力最大、速度90キロ、離水します」


 濃紺の迷彩柄飛行服を着た安馬野少尉は、スロットルを最大にしたまま、操縦桿を少し手前に引く。


 水しぶきを上げながら、その飛行艇は瀬戸内海の水面を滑る。それまで波との衝突で激しく振動していた機体は、突然水面の抵抗から解き放たれ、振動も無く、優雅に空へ滑り込んでいった。


 昭和2年から開発の始まった“二試大型飛行艇”の初任務だ。先日、最終飛行試験が無事終了したので、このまま“九十二式大型飛行艇”として制式化される予定だ。


「フラップ格納。これより、上昇率8%で高度10,500mまで上昇します」


 全長33.25m、全幅43.15mの堂々とした巨体だ。自衛隊のUS-2飛行艇をベースに設計した4発機で、主翼を少し拡大している。


 エンジンは、ターボプロップやジェットエンジンの実用化がまだなので、空冷星型エンジンにターボチャージャーを組み合わせた物を使った。


 星型エンジンも、当初はイギリスのジュピターエンジンをベースに開発をしていたのだが、どうにも設計が悪く(21世紀基準と比べて)、結局、一から製作することになった。


 星型18気筒 58L 排気タービン装備で、4,200馬力/3,000回転(最大ブースト時)の高性能を実現している。


 点火系は、パワートランジスタを使用したダイレクトイグニッションだ。燃料系は、気筒内直接噴射を採用し、理論空燃比になるよう正確に燃料を噴射する。


 また、吸気バルブを駆動するロッカーアームの支点をバリアブルにずらすことによって、出力や負荷に応じて最適なバルブリフト量になるよう自動調整される。


 ここまで高性能化すると、オーバーヒートや異常燃焼によるノッキング対策が重要になってくるのだが、これまで宇宙軍で開発してきた各種センサーや、電装品技術・材料工学の粋を集めて制御することで、安定動作を実現した。


 排気バルブには、ナトリウムを封入したチタンバルブを採用している。これによって、万が一にもバルブの熔解が発生することはない。


 各気筒にはノックセンサーが装備され、少しでも異常燃焼があれば点火時期や燃料噴射量を気筒単位で自動調整する。また、O2センサーや排気温センサーで、燃焼状態も常にモニタリングできる。


 何らかの異常があれば、すぐに航空機関士席のモニターに表示され、それと同時に、コンピューターによる自動調整がはいる。


 極限まで、人間が何もしなくても正常に動作するように設計された。ただし、1932年にどうしても間に合わせる必要があったので、量産性は考慮されていない。


「現在高度10,500m。速度420km。これよりオートパイロットに切り替えます」


 10,500mの上空から見える世界は雄大だ。瀬戸内海から離水した後、進路を北東にとって飛行している。眼下には、中国山地の山々が見える。左側に見える高い山は伯耆大山だろうか?前方には日本海が見え始めている。そして、右側遠くには、淡路島と大阪湾が見える。


『日本は、なんて美しいんだろう・・・・』


 山々の緑は、この高度からだと黒に近い濃緑に見える。その濃緑が、鮮やかな青い空とのコントラストをさらに引き立たせる。


 先週、クーデターが発生し宇宙軍本部が襲撃されたと聞いた。この二試大型飛行艇の試験で倉敷に来ていたため、高城大尉の役に立つことが出来なかったが、もし東京に居たら、先頭を切って賊どもを血祭りに上げてやったのにと思う。高城大尉に刃を向ける者など、この美しい日本には必要ない。地獄の業火に突き落としてやる。全身火だるまになって叫び声を上げる賊の姿を想像して、安馬野は顔がにやけていた。


「安馬野少尉。どうされましたか?」


「あ、ごめんなさい。高矢曹長。何でも無いわ。この美しい日本を守りたいと思ってたら、顔に出たのかも。もし夷狄(いてき)が攻めてきても、宇宙軍で必ず守り抜きましょう」


 ごまかすときは、ついつい言葉数が増えてしまう。


 “ああ、高城大尉に逢いたい・・・・”


 二試大型飛行艇は5機編隊を組んで、樺太を目指した。


 ――――


 少し時を遡る。


 1932年3月


 飛行艇の完成を前にして、ロシアの輸送艦3隻と駆逐艦6隻が、横浜港を出港した。駆逐艦はロシア海軍所属となってはいるが、宇宙軍にて開発され、乗員も、ロシア人艦長と数名の高官以外、全員宇宙軍の軍人だ。輸送艦には、樺太が流氷で閉ざされる前に穀類を積み込んである。


 この艦隊は、進路を南西に取り、マラッカ海峡を抜けインド洋へ、そして、スエズ運河を通って黒海へと向かう。


※単位はメートル単位系で表記しています。

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