第56話 男装の麗人(2)

1923年12月


 川島芳子は、退院してすぐに宇宙軍を訪れた。東京は関東大震災の影響で、まだまだ通常の生活に戻れてはいない。


「高城大尉に会いに来た」


 芳子は応対に出た宇宙軍の下士官に、ぶっきらぼうに告げた。軍服を着ているが、女性だ。


『宇宙軍には女の兵隊がいるんだ・・』


 自分の国を手に入れるまで、全てを捨てる覚悟をした芳子にとっても、女の軍人というのは奇異に見えた。


「あなたは?」


「川島芳子。高城大尉にここに来るように言われた」


「そう、あなたが川島芳子さん・・・。話は聞いてるわ。こっちに来なさい」


 練兵場を越えて、敷地の一番奥にある兵舎に案内された。


「ここがあなたの部屋よ。そこの服にすぐに着替えて、2分以内に練兵場の西側に来なさい」


 そして、その日から地獄のような訓練が始まった。


 芳子が配属されたのは、宇宙軍内でも非常に特殊な部署。「ルルイエ機関」と呼ばれる、諜報と暗殺を専門とするところだ。


 ルルイエ機関に所属する者は、他の宇宙軍軍人との接触はほぼ無い。ひたすらに武術、サバイバル術、暗殺術を学ぶ。また、最低でも、ロシア語・英語・フランス語・ドイツ語の習得が求められる。


 そして、2年の月日が流れて、成績優秀な者は樺太に行くことになった。ロシアの諜報機関【KGB】での訓練だ。


「キミが川島芳子か。高城大尉から聞いているよ」


 KGBの責任者は有馬勝巳公爵だった。ロシア皇帝と結婚した日本人のことは知っていたが、まさか諜報機関のトップだったとは驚きだ。


 体格の良い、ロシア人兵士を相手にした訓練で、さらに暗殺術に磨きがかかった。厳冬期の単独山越えでの敵基地潜入訓練もこなした。


 芳子は、諜報員として、暗殺者としてめざましい成長を見せた。


 そして2年後。


「川島曹長、卒業試験だ。あの男をお前の技術を使って、殺せ」


 ロシア人教官が芳子に告げる。


 窓の無いコンクリート壁によって囲まれた部屋に、薄汚いシャツを着た男が一人立っていた。身長は175cmくらいで普通の体格だ。


「あの男はソ連のスパイだ。アナスタシア皇帝を暗殺しようとして失敗し、捕縛された。死刑判決が出ているので遠慮することはない」


 ソ連のスパイだという男がこちらをにらむ。皇帝暗殺も、上官に命令されて実行したのだろう。兵士なら命令に逆らうことは出来ない。あの男は、未来の私かもしれないと、芳子は思った。


「戦って、この小僧を殺せば国に帰してくれるんだろうな?小僧?いや、女か?なあ、本当に帰してくれるんだろうな!」


 どうやら、私を殺せばこの男は解放されるらしい。この男にとって本当の最後のチャンス。


「ああ、約束は守るさ。なんたって、我々は共産主義者ではないのでな」


「けっ、じゃあ、早速始めようか!うおおおぉぉぉ!!」


 男は突然ダッシュして芳子に迫る。芳子の、その細い首に向けて右手を伸ばしてきた。


 芳子は伸びてきた男の右手を瞬時に掴み、ひねりながら懐に入った。そして、男の右肘関節を極めながら背負い投げの体勢に入る。


「バキッ!!」


 激しい音と共に、男の右腕は絶対に曲がらない方向に曲がり、そのまま体が少しだけ浮いた感じがした後に、顔からコンクリートの床に落ちた。一見背負い投げだが、その技は“投げ”ではない。受け身のとれない体勢で顔から地面に“落とす”、殺人術だ。


 男の首は変な方向に曲がり、既に意識は無いようだ。


 しかし、芳子はすぐさま男の左腕をつかんで腕挫十字固に入る。そして、躊躇すること無く男の左腕を折った。


 暗器があれば、頸動脈を掻き切るのだが、素手ではそうもいかない。芳子はまず男の両腕を無力化することにした。そして、反撃できない状態にして“裸絞め”に入る。


 そして3分が経過する。


「よし、合格だ」


『私は、この地獄の訓練に耐えた。私は、私の国を手に入れるのだ』


 ―――――


1927年6月


「陛下。日本政府は、満州の地において清帝国の復活を計画しています。是非、陛下には、その為の檄文を発して頂きたく存じます」


「日本は、本当に帝国の復活を実現してくれるのか?北洋軍閥は25万人もの兵力があるという。私を焚きつけ、満州を混乱に陥れて漁夫の利を狙っているのでは無いか?」


「陛下。日本には日本の考えがあります。清帝国の復活は慈善事業ではありません。陛下が中心になって満州を治めることが、日本にとっても利のあることなのです」


「顯玗よ。まるで日本人の様なことを言うのだな。いったい、お前の忠誠はどこを向いている?」


「陛下。もちろん、私の忠誠は陛下に向いております。しかし、清帝国の復活のため、私は私の生い立ちと立場を、最大限利用するだけのこと。その為に、日本軍人の身分も手に入れました。陛下。なにとぞ清帝国復活の詔をお出しください」


「そうだな。私にとって最後のチャンスという訳か」


 こうして、愛新覚羅溥儀から清帝国復活の詔と檄文が発せられた。


 そして、極秘に樺太で訓練されていた、満州人による「清帝国陸軍」が組織され、清帝国は北洋軍閥に対して宣戦を布告したのだ。


 清帝国陸軍の動きは速かった。遼東湾に上陸した7万の清帝国陸軍は、一気に奉天を目指した。目標は張作霖と張学良の身柄の確保だ。


 清帝国陸軍は、日本から最新の武器を潤沢に供給されていた。また、兵站も日本軍義勇兵が担当している。そして日本からは、戦闘に於いて民衆への虐殺や略奪行為を厳に戒められていた。もし、清帝国陸軍がそのような無法を働けば、日本軍は清帝国の敵になると。


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