第44話 関東大震災(4)

「な、なんだ?」


 地面に座っていた人々が騒ぎ始める。P波による微振動だ。ほぼ直下型地震なので、P波はほんの1秒程度しかなく、すぐに本震がやってくる。


 ドォーーーーーン!!


 それは、地震と言うより大爆発と言って良い衝撃だった。揺れの加速度は600Galを越え、周りの建物は巨大な音を立てて次々と倒壊していく。立っている者は地面に倒れ伏し、近衛師団の軍馬は、その恐怖で走って逃げようとするが、激震のために次々に転倒する。公園の池の水は揺れによってあふれだし、打ち上げられた魚たちが地面を跳ね回る。


 公園に避難していた人々は、生まれて初めて経験するすさまじい揺れに恐れおののく。地面に座っていても体が倒れる。四つん這いになっても、体が地面を滑って揺れる。まさに、この世の終わりを思わせる振動だった。


 この激震は、約1分間続いた。


 揺れが止まり、人々がゆっくりと顔を持ち上げる。倒壊した建物から立ち上る砂煙で、空がくすんで見える。周りからは、子供たちの泣き声が響き渡る以外に、音はしない。


「家に戻ってはならん!地震は一度では終わらない。余震というものが来るぞ。家が心配なのはわかるが、この避難場所から動いてはならん!」


 避難誘導にあたっている近衛師団の兵士が、大声で叫ぶ。事前のマニュアルに記載されたとおりに、避難民へ指示を出す。


 そして、12時1分。最初の余震が来る。


「ぎゃー!!もうやめてー!」


「おおおおぉぉぉぉぉ!」


 一度目の地震を乗り越えた人々も、すぐに発生した余震は精神的ダメージが大きかった。皆叫び声を上げて、神仏に祈りを捧げる。もしかして、このまま地震は永遠に続くのではないかと、人々は恐怖する。


 そしてちょうどその頃、鎌倉から房総半島までの太平洋に面した海岸では、最大12メートルにもおよぶ津波が押し寄せてきた。船舶のほとんどは5km以上離岸していたため、被害は少なかったが、沿岸の建物に、かなりの被害が出た。鎌倉では、歴史的建造物などが、津波による流出被害にあう。


 余震も収まり、みな、少し落ち着いてくる。


「こ、これも訓練かな?訓練だったら、家、大丈夫だよな?」


「ばか!訓練でこんな地震を起こせるわけないだろ!」


「こ、子供たちは?学校は無事なの?」


「落ち着け!指示があるまで動くな!15時になったら、子供が学校に行っている親は迎えに行け!今日は、陸軍から食料が届けられる。絶対に自宅に戻ってはならんぞ!」


 事前の周知も有り、ほとんど火災は発生しなかったが、それでも下町を中心として何カ所かで火の手が上がった。しかし、事前に準備していた防火水槽と宇式一号消火ポンプによって、その全てが小規模なうちに鎮火される。特に、史実では被害の大きかった墨田区に、重点的に消火ポンプを配置したことが奏功したのだ。


 夕方になり、陸軍の各部隊から避難所への糧食と水、そして毛布が届き始める。


「ちゃんと並べ!食料はちゃんと皆の分、あるぞ!」


 兵士たちが、民衆を誘導して列を作らせる。食料は十分にあることを伝え、皆を落ち着かせる。


 人々は、心細いながらも、なんとか翌朝を迎えることが出来た。


 史実では、一部で食料等の略奪行為があったとされる。しかし、事前に十分に糧食や毛布・テントを用意していたことにより、略奪をほぼ防ぐことが出来た。食料が手に入ると解っていれば、人々は合理的に考えることができ、略奪などしないものだ。


 翌日からは、行方不明者の捜索が本格的に始まった。倒壊した家屋に取り残された人が居ないか、調査をしてまわる。


 史実では、未確認情報にもかかわらず新聞が「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「暴徒が略奪や殺人をしている」といった記事を掲載したことで、朝鮮人や避難民の殺害を発生させた。


 この点に関しても、政府は新聞社に対して正確な情報のみを伝えて、流言飛語を抑制するように要請を出した。また、1日に3回、内務省より被害状況や、避難民は平穏無事に避難できていること、略奪や暴動は発生していないことをプレス発表する。正確な情報を積極的に流すことによって、流言飛語の押さえ込みに成功したのだ。


 また、史実では、震災の混乱に乗じて社会主義者や無政府主義者が、陸軍によって殺害される事件が発生したが、これも事前に根回しをして、防止することに成功した。


 東京湾の工業地帯の被害も甚大であった。横須賀では、史実通り「空母天城」がガントリーロックからずれ落ち、修復不能な損傷を受ける。



 ――――


「なんとか、被害を最小限に抑えられたかな?まだ集計は完了してないけど、今のところ死者行方不明者は2,500人といったところだね」


「よくやったじゃん!褒めてあげるよ!」


 リリエルが嬉しそうに蒼龍の頭をなでる。(実際になでるわけではなく、頭の中のイメージでだが)


「それでも2,500人は犠牲になったんだから、手放しに喜んでられないよ」


 ――――


「高城よ。やはり大地震は発生してしまったな。しかし、被害を最小限に抑えたと言える。略奪や暴動もほとんど無かったと聞く。よくやってくれた」


「はい、殿下。いいえ、私の力ではなく、殿下がリーダーシップを発揮して頂き、大規模な避難訓練が実施できたことが最大の要因です。情報を的確に発信したのも奏功しました。もし、毎年実施していたなら、人々は“慣れ”によって、避難指示に従わない者もでたかもしれません。それに、これだけの規模の避難訓練を毎年実施するには、予算が厳しいと思います。第一回で、これだけ大規模に、徹底的に実施できたのは殿下のお力であると考えます」


「そういえば、清国の愛新覚羅溥儀殿から多額の義捐金を頂いたようだな。感謝に堪えぬ。私からお礼の親書を認めようと思うがどうだろう?」


「はい、殿下。それがよろしいかと存じます。溥儀殿が、もし、何かお困りの時は、遠慮無く頼って欲しいとの旨を書き添えて頂ければと思います。その親書が、溥儀殿にとっての救いになるときが、必ず来ます」


 ※愛新覚羅溥儀   清国最後の皇帝。関東大震災当時は、革命によって退位しているが、皇帝相当の生活が保障されていた。清国は、満州族が漢民族を支配する国家体制だった


 ――――


 被害を最小限に出来たのは、火災をほぼ押さえ込むことが出来たのが大きい。しかし、本震の後、貴重品を自宅に取りに戻っていたときに、余震による倒壊や、押し寄せた津波によってある程度の死者がでた。また、山間部では、土石流や崖崩れに巻き込まれた人もいた。


「貴重品と自分の命を天秤にかけたら、どっちが大事かすぐに解ると思うんだけどね・・・」


 人的被害は少なく抑えることが出来たが、インフラの被害は当然ながら甚大だった。史実では、復興のために国債を発行するのだが、利回りが6%以上と日本にとっては非常に厳しい発行条件となってしまった。これは、日露戦争での国債(外債)の償還とダブルになるため、当時の日本の信用では致し方のないことだったのだ。このため「国辱公債」などと野党やマスコミから非難されることになる。


 しかし、今回の国債発行では、アメリカのリチャード・インベストメントグループが積極的に引き受けを行ったおかげで、3%と比較的低利で発行することが出来た。また、ロシア銀行からも資金調達を実現し、史実のような屈辱的な金利での国債発行とならずに済んだ。


 そして、これだけの巨大地震にもかかわらず、人的被害を最小限に抑えることが出来たため、今村博士は「地震予知の神様」として祭り上げられ、関東各地に「今村神社」が建立されることになり、一人困惑するのであった。

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