第31話 宇式農業機械
1920年12月 目黒競馬場
競馬場の観客席には、全国から10町歩(10ヘクタール)以上の農地を持っている農家(豪農)が集まっている。摂政からの招待状が届いたのだ。豪農とは言え、摂政が臨席する催し物への招待など、子々孫々まで伝えられる栄誉。皆、喜び勇んではせ参じている。
「本日はお寒い中、多くの皆さんに来ていただき、ありがとうございます。それでは、摂政殿下からご挨拶を賜ります。皆さん、ご起立ください」
司会は高城蒼龍だ。宇宙軍が真空管を利用して制作した、マイクと拡声器を使っている。
全員が起立をして、特別席の摂政の方を見る。
「皆、よく来てくれた。今日紹介する機械は、これからの農業に必要な機械だ。十分に注視して欲しい」
摂政の挨拶が終わり、皆が着席したのを確認して、蒼龍が続ける。
「それでは、摂政殿下が中心になって開発をされました、「宇式一号耕耘機」と「宇式一号田植機」の発表をいたします!」
※宇式とは「宇宙軍制式」の略
耕耘機(こううんき)と田植機(たうえき)を覆っている布がめくられる。そこには、赤と白のカラーリングが施された、ピカピカに輝く耕耘機と田植機が鎮座していた。
当時の耕耘機(主にトラクター)は、蒸気エンジンを搭載したものがほとんどで、それは相当に巨大な代物であり、日本の農家が軽々に導入できるものでは無かった。数年前に、小型で導入しやすいフォードソンF型トラクターが開発されたが、まだ日本には少数しか入ってきていない。
しかし、小さい・・・・
それは、21世紀の管理機(テーラー)を一回り大きくした程度の機械だった。豪農たちは、革命的な新型農業機械の発表と聞いていたので、もっと大きいものだと思っていた。すこし、拍子抜けだ。
※「管理機(テーラー)」で検索してください。文章で説明するのは難しすぎました。
「それでは、さっそく実演を始めます」
耕耘機の元へ、操縦者が歩いてきて頭を下げると、にわかに会場がざわつき始めた。
「あれは、女子(おなご)ではないか?女子が機械を使うのか?」
皆一様に、女子が農業機械を扱えるのかと、訝しんでいる。
「紹介が遅れました。本日、耕耘機の実演をするのは、帝国宇宙軍兵学校総合課程に在籍している、河島静子です。弱冠15才ですが、耕耘機の操縦は誰にも負けません」
作業用の和服に細身の袴をはいて、頭には手ぬぐいを角隠しの様に巻いており、茶摘みの女性のような出で立ちだった。薄化粧をしており、お世辞抜きにしてかわいい。
そのざわつきを無視して、河島はぺこりと頭を下げ、耕耘機の前方に立つ。そして、スターターロープを引っ張ると、
「ブロンッ!ブロロロロオーーー」と、いとも簡単にエンジンがかかった。
「なんだと?たったあれだけで発動機が動くのか?」
「女子の力で簡単に?」
「ありえない!」
皆、一様に驚きの声を上げる。
当時のエンジンと言えば、蒸気エンジンか焼き玉エンジンで、始動には30分から1時間程度の時間が必要だった。ガソリンエンジンにしても、輸入自動車に使われているくらいで、それでも、エンジン始動のためには屈強な男がクランク棒を差し込んで、思いきりエンジンを手動で回さないとかからないものだったのだ。
競馬場に用意された畑で実演が始まる。比較のために、当時、裕福な農家のみ飼っていた牛による耕作も同時に行われる。この当時は、ほとんどの農家は、広大な農地を鍬による人力で耕していたのだ。
そして、河島が耕耘機のアクセルを全開にして、クラッチレバーを押し込む。すると、耕耘爪が軽快に回り出すと同時に、耕耘機も前進を始める。その速度は、そこに居る農家の面々にとっては驚異的な速さだった。そして、用意された長さ20M、幅10Mほどの小さな畑は、15分ほどで耕し終わる。かたや、隣の牛を使った畑の方は、まだ三分の一も終わっていない。さらに、耕耘機で耕した方の土は細かく砕けており、その実力差は歴然だった。しかも、それを操縦しているのは15才の少女だ。少女は、ほとんど力を入れること無く、軽々と操縦していた。
観客は全員絶句する。
「牛さんの方がまだ終わっていませんが、次の実演に入ります。次は「宇式一号田植機です」
次に、田植機の実演が始まる。今は冬なので、本来なら稲の苗は無いのだが、今回のために、温室にて苗を用意していた。
こちらも、比較のために、苗の植え子10人を用意している。
「それでは、はじめ!」
田植機と10人の植え子が同時に田植えを開始する。植え子が前屈みになって、腰の苗かごから苗を適量つまんで、手で水田に植えていく。21世紀では、時々イベントで見るような姿だ。かたや田植機の方は、「カッチャン、カッチャン」と機械の爪が苗をつまんで、どんどんと植えていく。そして、10分ほどで植え終わったが、植え子の方は、まだ半分ほどしか終わっていない。一人で作業出来る分量を、10人で半分しか出来ていないと言うことは、作業効率は20倍!しかも、田植機を操縦しているのは、15才の少女だ。
「これが、宇宙軍の田植機の実力か・・・」
みな、あごが外れるのでは無いかと言わんばかりに、口を開けて呆然としている。
すると、会場の一角から声が上がった。
「だ、誰か医者を!!」
あまりの衝撃で、年寄りが一人倒れたようだ・・・・・
――――
「えーっと、ちょっとしたハプニング(意図せず英単語を使ってしまった)がありましたが、実演は楽しんでいただけたでしょうか?それでは、質問を受け付けますので、質問のある方は、挙手を願います」
「はい!」
会場に居る参加者のほとんどが手を上げた。
「それでは、時間が許す限り出来るだけ質問を受け付けます。では、どうぞ」
手を上げている一人に、マイクを差し出す。
「え、えーと、それがしは静岡県・・・・・」
「すみません。時間があまりないので、自己紹介は遠慮していただいて、ご質問だけお願いします」
「あ、ああ、その、あそこの娘子は独身かな?ぜひ、うちの次男の嫁になってもらいたいのだが、あ、もちろん、あの機械も購入させていただく」
「待て!何を抜け駆けしておる!」
「そうだ!あのように仕事の出来る娘子はぜひともうちの嫁に!」
「・・・・・・あー、すみません。あの河島静子は非売品です。諦めてください。機械についての質問以外をされる方は、強制的に退出していただきますね」
『まったく、田舎の年寄りどもは・・・・』
「機械の値段はどれくらいですか?」
「はい!そうですよね!気になりますよね!では、発表します!「宇式一号耕耘機」のお値段はなんと190円、「宇式一号田植機」は220円です!」
「買った!」
「二台とも買うぞ!」
「すぐに納品できるなら2倍出してもいい!」
会場は大騒ぎになった。
それもそのはず。当時のフォードソンF型トラクターは、馬力は2倍とはいえ1,900円もしたのだ。そして、1920年の給与所得者の平均年収が583円なので、現在の価値に変換すると、「宇式一号耕耘機:約170万円」「宇式一号田植機:約200万円」程度になる。
この当時の豪農は、小作人を何世帯も抱えて、年間を通して農作業をしていた。もし、この機械を導入できれば、今までの10倍以上の効率化が図れる。つまり、小作人の90%を解雇できるのだ。そうなれば、すさまじい利益が豪農の元に残るようになる。
「はい、ご静粛に!注文はお帰りの際に受け付けますので、ご安心ください。それでは、次の質問を・・」
「あの機械を操作するには、どれくらい練習をすればよいのであろうか?」
「はい、その質問は、操縦者の河島静子さんに答えていただきます。河島さん、どれくらい練習しましたか?」
実演が終わり、会場の片隅でお湯に足をつけていた河島にマイクが向けられる。
「え?え?あ、あたし、ですか?ええっと、耕耘機と田植機と、それぞれ、半日ずつ練習しました」
「な、なんと!?」
「たった1日であの機械を、あそこまで使えるようになるのか?」
「女子でも、そんなに簡単に?」
「はい、どなたでも1日もあれば使えるようになります。この機械は農村に革命をもたらすのです!」
この後、燃料についてや、メンテナンスのコストについての質問が続けられた。
そして、この日だけで、耕耘機1300台、田植機900台の注文を受けることになる。
――――
「高城よ。今回の展示会は盛況だったな」
「はい、殿下。予想の通りです」
「農村での効率化が図れれば、工業分野への労働力が確保できる。日本の産業構造を根本から改革して、アメリカやイギリスに近づくことができるな。素晴らしい計画だ」
「はい、殿下。本日参加した者たちへは、耕耘機の製造工場での求人広告を持たせてあります。給与は東京平均の1.1倍を支給するので、小作人の家族の内、だれか一人が出稼ぎにくれば、十分に一家を養えるだけの所得になります。また、作付けなどの技術指導には、農商務省と協力をしてあたっていきたいと思います」
宇式農業機械として、稲刈機や脱穀機・草刈機、そして乗用トラクターと、次々に農業機械を開発していく。流れ作業生産による低価格を実現したため、それは飛ぶように売れて、生産が追いつかない。宇宙軍の兵器工廠だけでは間に合わないので、外部協力工場に技術移転し増産体制の構築を急ぐ。戦後恐慌のさなかにもかかわらず、局所的に労働力不足が発生していた。
当時の農村では、ほとんど現金収入が無かった。なので、例え小作人を解雇されたとしても、家族の内だれか一人が宇宙軍の工場で働けば、今までよりずっと豊かな生活が送れるようになる。しかも、宇宙軍の求人では、女性でも、男性と同じだけの給与を支給するとあった。農村部から、すさまじい数の応募が来ることになる。こうして農村部からの労働力は、宇宙軍関連の工場と、1921年から始まる大型公共事業によって、かなりの部分を吸収する事が出来たのだ。
そして、化学肥料と農業機械の普及によって、1921年の米の生産高は前年の1.2倍、1922年は1920年と比べて1.5倍を記録した。
通常、これだけ急激に生産高が増えると値崩れを起こすのだが、タイミング良く、樺太にその生産を吸収するだけの需要が発生するのだ。
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