第30話 農業革命と戦後恐慌

<農業革命>


 1919年5月


「リリエル、空気からパンを作るよ!」


「はぁ?何言ってるの?そんな事、神様にだって出来ないわよ!」


 1900年代初頭に開発された、肥料を生産するための方法「ハーバー・ボッシュ法」は、空気中の窒素から肥料を大量に作ることが出来るため、空気からパンを作る方法と呼ばれている。


 当時「ハーバー・ボッシュ法」の特許はドイツが持っていたが、第一次世界大戦によるどさくさで「敵国資産」として接収し、日本での製造準備がされつつあった。


「1900年代初頭から100年間、ハーバー・ボッシュ法で肥料が生産されていたんだけど、2023年に新しい触媒が開発されてね、それまでは500度以上の高温が必要だったけど、たったの100度ちょっとの温度で生産できるようになったんだよ。プラントの設計図は完成しているから、あとは作るだけだな」


 摂政殿下の口利きで、大江戸瓦斯株式会社の協力を得ることができ、東京湾埋め立て地に1号プラントが建設された。


1920年3月 プラント稼働開始


 設計こそ出来てはいたが、それでも、そうとう無理をさせて、工期を大幅に短縮させた。


「大江戸瓦斯さんには、頭が上がらないな」


 窒素肥料に必要なものは、水素と窒素と熱。窒素は空気中に無尽蔵にある。水素は、石炭を低酸素状態で加熱し、石炭ガスとして取り出すことが出来る。


 このようにして、空気と石炭から肥料を生み出すことが出来るのだ。


 プラントの建築工事は順調に進み、1920年3月に稼働が開始された。製造工程は、ほとんどを大江戸瓦斯に委託している。もちろん、特許関連は宇宙軍の外郭団体で抑えてあるので心配ない。


「まずは、月産1,000トンの生産開始だな。同規模のプラントの建設工事も始まったから、生産量はすぐに倍増だ。輸出もどんどん増やしていこう」


 同時期に開発している農業機械の普及もあいまって、農業生産は劇的に向上していくことになる。


<戦後恐慌>


1920年3月


 欧州大戦での大戦景気から続く大正バブルが、とうとうはじける。いわゆる戦後恐慌の始まりだ。


 株価は、大正バブル期を頂点として、1930年代初頭まで下がり続け三分の一程度まで下落する。そして、欧州大戦の景気で急成長した企業の多くが破綻し、そこに融資をしていた銀行も相次いで破綻するのである。


 少し時間を遡って、1919年2月


 摂政に就任してすぐの1919年2月、摂政は原首相と高橋是清大蔵大臣を招聘した。


「原首相、高橋大臣、急遽来ていただいて感謝する。このところの過熱気味の景気について、何か対策を取っているのだろうか?そのあたりを詳しく聞きたい。」


「はい、殿下。物価急騰対策については「暴利取締令」を施行して常に監視をしております。また、景気の過熱ですが、労働者の給与は上昇してきており、賃上げが軌道に乗ってくれば、景気の均衡はとれてくるのではないかと存じます」

※人件費の上昇によって企業の利益を圧迫し、景気の過熱を防ぐと言うこと。


「そうか、しかし、現在は欧州向けの輸出が好調だが、来年の今頃には、欧州の工業生産も回復してくるであろう。そうなれば、余剰の生産力をもてあまし、倒産する企業も出てくるのではないか?また、それに伴い、銀行の破綻も心配されるのでないか?」


「はい、殿下。殿下にそのようなご心配をおかけするのは、臣の不徳の致すところでございます。景気の過熱防止のために、公定歩合の引き上げを検討いたします。また、企業には、欧州の生産力回復を見越して、過剰な投資の抑制を呼びかけるようにいたします」


 しかし、土地の値上がりを見込んで既に過剰な融資がされており、また、欧州から需要の高かった化学工業分野の工場増設も進んでいた。この時点では、もう後戻りできない状況になっていたのだ。


「高城よ、景気の舵取りとは、なかなかうまく行かぬものだな」


「はい、殿下。今儲かっているのに、投資を中止して来年に備えるという判断は、なかなか出来にくいものです。公定歩合を引き上げたことにより、景気の過熱を防いだとしても、公定歩合引き上げで景気を減速させてしまったと、非難される可能性もあります」


 摂政は、大正バブル崩壊を見越して、大規模な公共事業プランを内閣に検討させた。当時の日本は、大戦景気で財務状況は改善し、財政黒字化を実現していたので、予算が通りやすかったのだ。バブルがはじけてからでは、財政に不安があるとの理由で、予算が付きにくい可能性がある。1920年3月までに公共事業プランがまとまったのは僥倖であった。


 ・全国の主要河川に水力発電所の大増設

 ・電力周波数の60hzへの統一

 ・主要幹線道路のアスファルト化の推進

 ・東京湾の大規模埋め立て事業

 ・主要鉄道路線の複線化の推進

 ・東京と大阪の地下鉄敷設

 ・官営製鉄所の建設


 これらの公共事業を行い、失業者の吸収を図った。製鉄所の建設は、当時、鉄鋼は必要量を国内生産で賄えていなかったため、将来の需要増に対応したものだ。また同時に、1920年以降は、金融機関の不良債権処理の解決に取り組んだことにより、史実に比べて戦後恐慌の影響を小さくすることは出来た。


 しかし世界はこの後、史実通り世界恐慌が発生し、ブロック経済化へ進んでいくのである。

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