第29話 エンジン開発

 時は少し遡って1919年4月


「三宅中尉。これが小型汎用エンジンの設計図だ。ピストンリングや軸受けの素材についてもできるだけ詳細に書いてある。素材関連は米倉中尉と協力して、まずは、これらのエンジンの量産化実現をお願いしたい。」


 三宅中尉には、宇宙軍兵学校技術士官課程の設立と同時並行で、小型汎用エンジンの量産化を任せた。


 この当時、日本のエンジン開発は、工場で使う汎用のガスエンジンの製造がやっとという状況で、1919年3月に、大阪の発動機製造株式会社が陸軍の要請でトラックを試作したが、採用には至っていない。自動車用国産エンジンは、まだまだ先の話といった状況だった。


 高城蒼龍が用意した設計図は3種類。全て、21世紀のISO規格で設計してある。


<1>空冷単気筒4ストロークOHV小型ガソリンエンジン

 200ccから350ccまでほぼ同一設計

 汎用ポンプや農業用機械に利用


<2>空冷単気筒4ストロークOHC小型ガソリンエンジン

 50ccから125ccまでほぼ同一設計で、3速ミッションと一体になっている。

 小型バイクに利用


<3>空冷単気筒2ストロークエンジン

 25ccから40ccまでほぼ同一設計

 草刈り機や船外機に利用


 高城が優先したのは、エンジン技術の向上だった。高出力なエンジンが出来れば、それだけ、高性能な車両や航空機の開発が出来る。


 例えば、1937年に開発された日本陸軍九七式中戦車のエンジンは、21.7Lで約150馬力だが、1990年に開発された自衛隊の90式戦車のエンジンは、21.5Lの排気量から1,500馬力を絞り出す。ほぼ同じ排気量でありながら、実に10倍ものパワーがあるのだ。


 強力なエンジンがあれば、それだけ装甲を厚くする事が出来、生存性が高くなる。また、高威力の武器も搭載できるようになり、良いことだらけだ。


 エンジンの高性能化は、最優先で取り組む課題だった。


 しかし、1919年当時において日本の工業技術は黎明期で有り、当然、部品製造を外注に出せるような企業はない。


 そこで、三宅は、試作品は全て宇宙軍内で作ることにする。


 幸いにも全国の工業高校から、学生60人を兵学校技術士官課程に採用することが出来た。フライス盤や旋盤も使えるし、溶接や鋳造を学んだ人材もいる。彼らをチームに分けて、部品単位で製作に当たらせた。


 また、それと同時に、農村部から入学した総合課程の学生にも工作機械の使用方法を習熟させる。宇宙軍兵学校総合課程とはいっても、その実質は職業訓練校だ。量産化のためには製造工程を極限まで簡素化し、短期の研修で女学生にでも、部品製造が出来るようにしなければならない。


 宇宙軍兵器工廠に工作機械の設置が終わるまで、東京工業学校の機械を借りて試作品を作る。そして、夏までには、工廠に必要な全ての工作機械がそろったので、作業の効率も向上した。


 三宅が最も力を入れたのが、各チーム間の情報交換だ。この当時の日本では、技術は職人の宝で有り、技術が欲しければ、それに師事して学べという意識が色濃く残っていた。三宅は、そういう旧態依然とした悪弊を完全に廃し、毎週1回情報交換ミーティングを開催した。そして、よりよい改善案や情報を発表したチームにはポイントを付与し、二ヶ月に一回最優秀チームに対して、摂政から「優秀賞」が贈られる。


 彼らは、摂政殿下から表彰してもらうために、寝食を忘れて開発に取り組んだ。この時代において平民の若者が、摂政から直接表彰状をいただけるなど、夢のまた夢。もし、表彰状を受け取って村に帰ったら、村人総出でお祭りになるのは必至だ。まさに、故郷に錦を飾ることができる。


「俺、殿下から表彰状をもらえたら、村に帰って千代ちゃんと結婚するんだ。」


 そんな死亡フラグを立てながら、皆、開発に邁進した。


 ピストンリングや軸受けなど、特殊な合金を必要とする部分については、米倉中尉と一緒に開発した。高城蒼龍も、ピストンリングや軸受けなどを作るための、必要元素の種類については知っていたが、その詳細な成分割合や、焼成の温度などについての知識は無い。試行錯誤を繰り返しながら、必要とされる強度や靭性を出していった。


 また、オイルシールに使うゴムの耐久性向上も実現していく。


 点火系はマグネトー点火の最もシンプルな方式だ。この時代でも、問題なく製造できた。


 そうして、1919年12月に、試作一号機が完成した。


 完成したのは、“200cc空冷単気筒4ストロークOHV小型ガソリンエンジン”だ。


 チョークを閉めて、力強くスターターロープを引く。


「ブロンッ!ブロロロロロロ・・・・・・」


「やったー!動いたぞ!成功だぁー!!」


「このエンジンが量産の暁には(以下略)」


 皆抱きあって喜んだ。当時の技術水準としてはトップクラスの性能。


 200ccの排気量から5.6馬力/3,300回転の出力。そして、100時間連続運転テストにも耐えた。

 ※当時のハーレー1920W SPORTは584cc/8馬力


 21世紀のエンジンポンプの設計を参考にしているので、量産性も十分に考慮されている。また、当時の品質の低いオイルやガソリンでも、問題なく動作するように余裕を持った設計にした。


 早速、量産化の準備に取りかかる。製造工程を細分化して、効率よく部品を製造できるようにした。製造の現場には、宇宙軍兵学校総合課程に在籍する学生を教育して充当した。教育担当は、技術士官の男子だ。総合課程の学生は、農村から口減らしされた女子が多かったので、技術士官課程の男子とすぐに“出来て”しまい、次々に結婚していった。そして、女子の間では技術士官と結婚することが一つの目標となったのである。


「いや、まあ、幸せになるのは良いことなんだけどね。寿退官なんて認めないよ。託児所も整備するから、子供が出来てもちゃんと働いてね。宇宙軍は男女平等にブラックだよ。」


 最初、宇宙軍の中のみで生産していたが、外部の協力工場に技術移転し、日本の工業力の底上げを図っていく。


 1920年6月には、月産1,000台だったものが、1921年6月には月産30,000台を実現し、国内のみならず、アメリカやヨーロッパにも輸出されたのであった。


 丁度この時期に発生した「戦後恐慌」での、失業者救済にも一役買うことになる。


「高性能なエンジンを輸出して、大丈夫?外国の技術が進んで核兵器とか早く開発されたりしない?」


「たぶん大丈夫だよ。リリエルが心配するのもわかるけど、実は内燃機関(エンジン)の基本技術って、1920年頃から100年以上ほとんど進歩してないんだよね。制御技術や材料分野では進歩したけど、基本構造はそのまんま。それに、このエンジンに近い性能のエンジンは、アメリカでは既にハーレーが実用化してるしね。ま、うちの方が、安くて信頼性も高いけど」


 この汎用エンジンを使用した農業用機械の製作も進められた。また、小型バイク用エンジンや、2ストロークエンジンの開発も順調に進んでいくのであった。

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