第24話 アナスタシア(2)

1918年7月16日 午後11時


 突入が開始される。


「賊が押し入ってきたぞ!」


 ルスランたちは、まず東門を突破、そして、正面玄関を爆弾で破壊して突入した。


 一家が軟禁されている建物「イパチェフ館」は、部屋数も100近くある大きな建物だ。しかし、内通者からの情報によって、一家の寝室や建物の構造などは把握できている。


「白軍の連中か?まずいな。すぐに処刑だ!一家を地下室に移送しろ!」


 イパチェフ館の責任者ユロフスキーは、一家を処刑するために、地下室への移送を指示する。各自の部屋で処刑しても良かったのだが、順次処刑していては、それに気づいた他の家族が逃亡をはかる可能性もあり、またなにより、処刑計画書では地下室に移送して処刑と記していたからである。党が策定した“計画”は絶対であった。


「ニコライ!すぐに起きて地下室に避難しろ!家族もだ!過激派の連中が“皇帝を殺せ!”と叫んで突入してきた。裁判が終わるまでお前たちに死なれてはまずいのでな。」


 そう言って、皇帝一家を地下室に移送する。


 銃撃戦を繰り返しながらルスランたちは、正面玄関から10メートルくらいの所まで進むことが出来た。事前の情報によれば、夜間にこの館を警備している人員は25名。19名で突撃すれば、なんとかなる戦力だが、皇帝一家の脱出まで考えると心許ない。出来るだけ今の段階で損害を出したくないが、まごまごしていると、処刑が実施されるかも知れない。


 そう考えていると、


「皇帝陛下!姫様!」


 廊下の一番奥、地下室へ降りる階段付近を歩く皇帝ニコライ二世とご家族、そして、自らの全ての忠誠を捧げるアナスタシアの姿が目に入った。


 しかし、20メートル以上距離があったことと激しい銃声で、その声は届かない。


「近衛第二部隊の9名は私に続け!地下室を制圧する。第一部隊援護を頼む!そして、ここを死守しろ!必ず皇帝一家を連れて来る!」


 ルスランは部下を連れて突撃する。


「うおおおおぉぉぉぉぉっっ!!」


 彼らはすさまじい咆吼を上げながら走る。


 ―――――


「全員そろったか?それでは、壁際に並べ」


地下室では、ユロフスキーが皇帝一家とそのメイドや従者の11人に命令する。


「なんだと?どういうことだ?」


 ニコライ二世は、ユロフスキーに訝しげに問いかける。しかし、ユロフスキーは何も答えず、拳銃を彼らに向けた。そして、ユロフスキーの部下6人も同じように拳銃を一家に向ける。


「やめてーーー!子供たちに銃を向けないで!」


 ニコライ二世の妻、アレクサンドラ皇后がそう叫んで、末っ子のアレクセイとアナスタシアに覆い被さる。


 それと同時に、ユロフスキーたちは一斉に引き金を引いた。


バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンッ!


 執行人たちは拳銃弾を全てうち尽くすと、いったん状況を確認する。


 ニコライ二世とアレクサンドラ皇后は頭や顔に銃弾を受けて絶命しているようだった。


「おかあさま!おかあさま!うわああぁぁぁぁぁーー!」


 長女のオリガと次女のタチアナは重傷を負いながらも生きており、母親の屍をたぐり寄せながら叫び声を上げている。三女のマリアは、足を撃たれながらも立ち上がりよろよろと歩き出した。


 ユロフスキーたちは、よろよろと歩くマリアの腹部を銃剣で刺突した。銃剣はマリアの肋骨の下辺りに突き立てられた。しかし、下着に縫い付けてあった宝石に邪魔をされて貫けない。マリアは床に倒れたが、それでも少しずつ這って逃げようとしている。


「おねがい・・。やめて・・・・」


 マリアは最後の力を振り絞って懇願する。しかし、その願いは、共産主義者達には届かない。


 そして、拳銃弾の再装填が終わった兵士がマリアに近づき、頭に銃を突きつけて引き金を引いた。


 叫び声を上げていたオリガとタチアナも、一発ずつ銃声が聞こえた後は、もう声を上げることはなかった。


 アナスタシアとアレクセイは、アレクサンドラ皇后と、そのメイドと主治医の下敷きになっているようで、すぐに確認できない。ユロフスキーがアレクサンドラ皇后たちの屍を動かそうとしていると、


ドォーンッ!!


 激しい爆発音と共に入り口のドアが吹き飛んだ。かなり荒っぽい突入だが、ルスランたちには時間が惜しかった。


 ユロフスキーの部下たちは、ロマノフ一家に逃げられないよう、ドアのまえに立っていた為、全員爆風で吹き飛ばされた。そして、ルスランと4人の部下たちが突入してくる。


「皇帝陛下!姫様!」


 しかし、そこで見たものは・・・・・


「ああ・・・、手遅れだったのか?間に合わなかったのか?姫様・・・・アナスタシア様・・・・」


 他の部下たちは地下への入り口で応戦しているため、ここでは、銃声も遠くに聞こえる。


 ルスランは一家の元に駆け寄り、生死を確認する。


「ルスラン・・・・・?」


 すると、アレクサンドラ皇后の体の下から、か細い声がする。


「姫様!」


「ああ、ルスラン、ルスランなのね・・・・」


「姫様!姫様!」


 アナスタシアはアレクサンドラ皇后たちの下敷きになっていたため、爆風にも晒されず、鼓膜も破れてはいなかった。


 ルスランはアナスタシアの体を引き寄せ抱きしめる。自身が忠誠を捧げるアナスタシアだけでも生きていた。ルスランはその事を神に感謝する。


「姫様、姫様、申し訳ありません。こんなにも、遅くなってしまいました。」


「みんなは?お姉様やアレクセイは・・・・・」


 ルスランはアレクサンドラ皇后の下敷きになっていたアレクセイを確認するが、数発の銃弾を受けており既に絶命していた。他の皇族たちも、もう・・・・


「姫様・・・・、申し訳ありません、残念ながら・・・・・」


「ああ・・・・」


「姫様、さあ、ご一緒に!外では仲間たちが待っております。」


「ルスラン、私はいいの・・・、あなたたちだけで逃げて・・・・、もう、お姉様も、お父様も、お母様も、だれもいないわ・・・。私はお姉様たちと一緒にここで果てたいの・・・・もう、生きていたくないの・・・。」


「何を言っているのですか!姫様!皇后陛下は、姫様とアレクセイ様に覆い被さっておられました。姫様をかばって亡くなられたのです。自らの命に替えても、姫様に生きてもらいたいと思ったのです!ここで死んでしまったら、皇后陛下は何の為に命を落とされたのですか?姫様は、姫様は、必ず生きてここを出なければいけないのです!お願いです!姫様、立ち上がってください!」


「ルスラン・・・・・・ルスラン・・・・・・・、私はもう公女ではないわ。ただの囚人よ。それでもあなたは・・・・・・」


「はい、私の忠誠は、常に姫様の為のみにあります。」


「わかったわ、ルスラン。一緒に・・・・生き抜きましょう・・・」


 アナスタシアは、ぎゅっとルスランを抱きしめる。その左腕は、銃弾を受けて血が流れていた。


 ――――


 ルスランとアナスタシアが地下室を出てすぐに、ユロフスキーたちもよろよろと動き出す。しかし、爆風で鼓膜がやられたのか何も聞こえない。それでもユロフスキーは地下室を出て、無事な部下たちに追跡するよう指示を出す。


 ―――――


 ルスランたちは、アナスタシアを囲むようにして館の外に出る。既に仲間のうち11人が脱落していた。


 そして、東門に向けて走る。東門を出て300メートルくらいの林に、馬車を隠している。そこまでたどり着くことが出来れば、逃亡できる可能性は高くなる。


「敵だ!」


 東門から3人の敵が小銃を撃ってくる。敵兵も慌てていて狙いが定まっていない。


 ルスランは拳銃を向けて発砲するが、2発撃ったところで弾切れになった。もう予備の弾薬も無い。


 ルスランは拳銃を捨て、腰の銃剣を抜いて敵に斬り込む。敵も小銃を撃ってくるが、ルスランの突撃を止めることは出来なかった。


 ルスランはあっという間に3人を刺突し無力化した。


「さあ、姫様、お急ぎください。」


 ルスランたちは、馬車を隠してある林にたどり着いた。そこには、大きめの2頭立て馬車と、馬が一頭控えていた。そして、ルスランとアナスタシア以外の者たちは馬車に乗り走り出す。


 ルスランはアナスタシアを馬に乗せてから、自身も馬に跨がる。


 皇帝一家を救出出来た場合、皇帝を馬に乗せ、それ以外の家族を馬車に乗せる予定だった。最悪、皇帝だけでも助けるつもりだったのだ。しかし、救出できたのはアナスタシア一人。ルスランは、馬車をおとりに使い、アナスタシアだけ、足の速い馬で逃がすことにした。


「姫様、腕の傷は大丈夫ですか?」


「ええ、少し熱い感じがするけど、それほどいたくは無いわ。ルスランこそ、大丈夫?」


「はい、姫様。私は、姫様の騎士なのです。無敵ですよ。」


 夜道なので、それほどの速度を出すことは出来ないが、どうやら追っ手も無いようだ。そして、10kmほど離れた廃屋にたどり着く。


「ヤンコフスキー殿!良かった!」


 廃屋の中から一人の老人が出てくる。皇帝の侍従を長く務めていた、アントニン・ルバノフだ。


「ルバノフ殿、アナスタシア様をお連れした。」


「・・・それでは、他の方々は・・・・」


「ああ、すまない。間に合わなかった。」


「そうでしたか・・・・」


「話は後だ。馬車に乗り換える。夜明けまでに、例の隠れ家にたどり着くぞ。」


 ルスランたちは馬車に乗り換え、隠れ家に向かう。御者はルバノフが勤めて、ルスランとアナスタシアが客室に座る。


「姫様、申し訳ありませんでした。もっと早く救出できていれば・・・」


「いいのよ、ルスラン、あれだけ厳重に警備してたんだもの。それに、お父様が言ってらしたわ。“これだけ長い期間幽閉するのだから、革命軍も我々を殺すつもりは無いのだろう”って。でも、状況が変わったのね。」


「はい・・。我々も、裁判で皇帝陛下はともかく、姫様たちは無罪になると信じていました。その判断が、結果、救出を遅らせてしまいました。申し開きもござい・・・・・くっ・・・」


「ルスラン、どうしたの?ルスラン?」


 アナスタシアはルスランを抱き寄せる。暗くてルスランの様子はよくわからないが、ルスランの腹部と背中に、ぬるぬるとした血があふれている事に気がつく。


「ルスラン、あなた・・・、ルバノフ!馬車を止めて!」


 ルバノフは馬車を止めて客室に入る。


「ヤンコフスキー殿・・・」


「ルバノフ、馬車を止めるな・・。夜明けまでに何としても姫様を隠れ家に・・・、私の事は気にかけるな。」


 弱々しい声でルスランは続ける。


「姫様、最後の最後で・・・失敗を・・・してしまいました。もう、私は、姫様のお役に立てそうもありません・・・。お許しください・・・。私の旅は、ここで終わりのようです・・・」


「嫌よ・・ルスラン・・・・嫌だ・・・おねがい・・・・」


 ルスランは、血に濡れた手で、アナスタシアの手を握る。その手に、もう力は無い。


「姫様・・・国の様々な場所で・・・革命政府は圧政を敷いて・・・・農村からは食料を取り上げております。この1年半で・・・・本当に多くの人たちが餓死するのを見ました・・・・。白軍も、民衆のことを顧みてはおりません・・・姫様・・・国を救えるのは姫様だけです・・・。どうか姫様・・・国を、故郷をお救いください・・・。」


「ルスラン!目を開けて!お願い!これは命令よ!ルスラン!ルスラーン!」


 ルスランはそのまま意識を失った。


 隠れ家に着いたとき、ルスランの心臓は既に止まっていた。消えかかる意識の中で、ルスランはなぜ、国を救ってくれといったのか?


 その言葉が、アナスタシアの人生を、そして、この後の世界を大きく変えることになる。

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