第23話 アナスタシア(1)

1911年6月


「お初にお目にかかります。大公女殿下。本日より殿下の護衛の任を賜りました、ルスラン・ヤンコフスキーです。何なりとお申し付けください。」


 アナスタシアが10才の誕生日を迎えた日、軍装をした若者がひざまずき挨拶をする。


 アナスタシアは、ロシア皇帝ニコライ二世の四女で、濃いめのブラウンの髪に白い肌、そして、少し赤みを帯びた頬をした、かわいらしい少女だ。


 ロシアでは、1905年に「血の日曜事件」が発生した後、散発的に労働運動や革命運動が発生していた。その都度、当局によって鎮圧され多くの活動家が処刑されてはいるが、いつ、皇族に対するテロが発生してもおかしくない状況だった。


 その事を憂慮した父のロシア皇帝ニコライ二世が、子供たちにそれぞれ護衛を付けたのだ。


 ルスランはヤンコフスキー男爵家の四男だ。年齢は17才。幼少の頃より、父親から剣と銃の薫陶を受けており、特にその剣技の素晴らしさから、“光速の貴公子”と呼ばれていた。


 アナスタシアは、ルスランから様々な事を教えてもらった。馬の乗り方も、簡単な護身術も、罠の作り方も。小さい頃から“おてんば”だったアナスタシアにとって、ルスランは良き先生であった。


 しかし、アナスタシアには疑問があった。


「ルスランは女性なのに、なぜ、男性の格好をしているのかしら?」


 それから6年の歳月が過ぎた。


 1917年2月23日


 ロシア・二月革命勃発


 この日、首都のサンクトペテルブルク(ペトログラード)では、食料不足に対するデモが発生していた。当初は穏健なデモ行進だったが、そこに労働組合が動員をかけ、数日のうちにデモとストライキは全市に広がった。


 その知らせを西部の都市で聞いたニコライ二世は、軍にデモやストライキの鎮圧を命じた。しかし、鎮圧に向かった兵士は次々に反乱を起こし、メンシェビキ(革命勢力)に合流したのだ。


 皇帝は既に、軍の忠誠を失っていた。


 そして、首都はあっけなく革命勢力の手に落ち、ニコライ二世は皇帝の座を降りた。


「ルスラン、私は不安です。これからどうなるのでしょう?」


 アナスタシアは、不安そうな目でルスランを見上げる。


「姫様、ご安心ください。私がいる限り、命に替えてもお守りいたします。」


「ルスラン、お願いがあるの。私の騎士になって。私だけの・・・。」


「姫様、もったいなきお言葉。私の姫様への忠誠、この身が滅び塵になったとしても永遠です。」


 そして、簡素ではあるが、騎士の叙任式を行った。誰も見ていない、二人だけの叙任式だった。


 ―――――――


「ロマノフ一家を逮捕する。」


 革命臨時政府は、アナスタシアを含むロマノフ一家の逮捕を決めて、ツァールスコエ・セロー宮殿に捕縛隊を派遣した。


 2月に発生した「ロシア・二月革命」によって、ニコライ二世は皇帝を退位しており、ロマノフ一家は既にただの“一般人”となっていた。


「臨時政府は、皇帝のご家族の安全は保証すると約束したはずだ!」


 ルスランと何人かの“元”近衛兵たちは、革命臨時政府の捕縛隊に激しく抗議した。


「まあ落ち着け。逮捕は形式的な物だ。彼らには、逮捕後もこの宮殿で暮らしてもらう。外出の制限などはあるが、今まで通りの生活だ。逮捕は国民向けのパフォーマンスだよ。一家の安全は保証する。」


「貴様らの言うことなど信用できるものか!死んでもここは通さぬ!」


「お静かになさい!」


 ルスランたちと捕縛隊が押し問答をしているさなか、女性の凜々しい声が響く。アレクサンドラ皇后だ。


「し、しかし、皇后陛下。この者たちは畏れ多くも陛下や殿下の皆様を捕縛すると・・」


「かまいません。今騒ぎを起こせば、あなたたちも私たちも無事では済まないでしょう。それに、明日には皇帝陛下がこちらに到着されると聞いています。皇帝陛下なら、きっと、なんとかしてくれるでしょう。」


 ルスランたちは、アレクサンドラ皇后の指示に従い、引き下がることにした。そして、捕縛隊は皇帝一家に「逮捕する」と宣言した後、宮殿から出ないようにと告げる。逮捕とは言っても、この時は宮殿に軟禁するだけの物であった。そして、ルスランたち近衛隊を宮殿の外に出し、代わりに、革命勢力が警備に当たることとなった。


 そして、ルスランたちは皇帝一家救出のための仲間を集めることにする。


「今のところ、皇帝一家はご無事のようだな。暴行なども受けていないと聞く。」


 この頃の皇帝一家は、宮殿の中では比較的自由に行動でき、検閲はされるが、外部に手紙を書くことも出来た。そして、イギリスをはじめ、いくつかの国は皇帝殺害の動きに対して、明確に反対の立場を示していたこともあり、一家殺害の危機感はそれほど無かった。


 このまま裁判が開かれ、政治になにも関わっていなかった大公女たちに、無罪判決が出ることを、ルスランたちは願っていた。もし、不当な裁判で死刑判決が出るようなら、その時は、全力で救出する。ルスランたちは、そう決めたのだった。


 1918年5月 アナスタシア達はエカテリンブルクに移送された。


 ルスランたちは、移送した後に、密かに一家が暗殺されるのでは無いかと心配したが、しばらくはその兆候は無かった。しかし、一向に裁判が開かれる様子も無く、軟禁生活も1年以上にわたっている。


 これ以上はもう待てない。ルスランたちは白軍の協力を得て、一家を救出することに決めたのだった。


 1918年7月16日 午後8時


 内通者から連絡が入った。


「なっ!今夜に処刑執行だと!?」


 それは衝撃的な内容だった。


 17日午前零時ごろに皇帝一家を起こして、近隣の情勢が悪化しているので地下室に避難するように命令し、そして、そこで射殺するというものだ。


 もう時間が無い。執行まであと4時間。それまでに、集められるだけの人数と武器を用意しなければならない。


 ルスランは、かねてより連絡を取り合っていた白軍の協力者に、突入部隊の人員について要請する。そして、数人の応援と弾薬の支給を受けることが出来た。


「合計19人か。何としても皇帝ご一家を救出する。みんな、覚悟を決めてくれ。」


 突入部隊は19人。皇族方にそれぞれ専属で付いていた護衛と、元近衛隊の人間だ。忠誠心は誰にも負けない。そして、皇帝のためには、命を捧げることを厭わない者たちばかりだった。

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