第19話 尼港事件(2)
1919年12月
日本軍がニコラエフスク港に到着する。
当時のニコラエフスク港は、日本人居留地は日本軍が、町全体は、ロシア白軍が防衛していた。日本人居留民の多くは、現地で商社を営む島田商会の関係者である。日本軍が到着した時点においても、日本への輸出品の集積や倉庫管理、春になって流氷が溶けるとすぐに輸出するための準備と、通常と変わらない業務を行っていた。物のあふれた21世紀と違い、当時の彼らにとって、商品や仕事とは生きることそのもので有り、実際に攻撃が始まってもいないのに、商品を守らずに避難することは出来なかったのである。
また、ニコラエフスク港ではロシア人も12,000人ほど生活をしており、白軍はその保護に当たっていたが、1919年11月に、白軍の盟主であるコルチャーク政権が崩壊したことで、白軍はその勢力を急速に弱めていった。
「日本軍の救援に感謝する。我々と共同で、ニコラエフスク市民の安全を守って欲しい。」
白軍のメドベーデフ大佐が挨拶する。
当時の日本は、欧州大戦をロシアと共にドイツと戦うなど、ロシア(白軍)とは友好であった。ロシア内戦については中立を保っていたが、日本人居留民の多く存在するいくつかの街では、白軍と共同で防御に当たっていたのである。
「はい、メドべーデフ大佐。我々日本軍が来たからには、もうご安心ください。しかし、中国軍の艦船が寄港しているのですね。」
派遣師団の師団長は、有馬陸軍臨時少将だ。本来は大佐だが、臨時編成の師団長を務めるに当たって、現在は少将に臨時任官されている。有馬少将の長男は、高城蒼龍の学習院での同級生だ。
「ああ、中国の連中は我々の混乱に乗じて、サハリンでの実効支配を拡大しようとしている。ハバロフスクで我が軍から砲撃を受けて、このニコラエフスクまで逃げ来てきたのだ。我々には連中を追い返す力も無いので、寄港を認めている次第だよ。」
メドべーデフ大佐は自嘲気味に言う。当時、ニコラエフスク港には4隻の中国軍船が停泊していた。
「危険は無いのでしょうか?赤軍と呼応して、我々に攻撃を仕掛けてくる可能性は?」
「無くはない。しかし、アムール川はもう流氷が多く、奴らの小型艦では海に出ることは出来ないから、追い返すことも出来ないな。向こうがなにもしていないのに、予防的攻撃を仕掛ける訳にもいくまい。」
「その通りですな。まあ、連中の動向には注視しておきます。」
日本は、建前としてロシア内戦には中立を表明していたため、赤軍が攻撃を仕掛けてくるまではこちらからの攻撃はできない。また、攻撃があったとしても、防衛以上の行動は外交的に取ることは出来なかった。今回の派遣団には、特にこのことが厳しく下知されていた
有馬少将は、防衛に徹するため、早速町の入り口に土嚢を積むなど、陣地構築の指示を出した。
――――――――
年が明けて、1920年2月
<赤軍パルチザン>
「ニコラエフスクを3月までに占領しないと、食料が持たねーな。」
この部隊を率いるヤーコフは、副司令のラプタ、参謀のニーナらと、今後の方針について検討していた。
ヤーコフは、サハリン地区において白軍の駆逐を任された司令官だ。元々は小規模な部隊であったため、サハリン地区の小さな村々を順次攻略し、徐々に支配下に収めていった。
現在は、ニコラエフスク近郊の村を白軍から開放し、大きめの家屋を徴用して滞在している。
サハリン地区を実効支配していた白軍は、その補給も乏しく、村々からの物資の供出(略奪)を繰り返していたため、その住民たちは、当初赤軍のヤーコフ達の到着を歓迎した。
しかし、ヤーコフ達も当然補給は無く、自分たちが来るまでに白軍に物資を提供していた村など、敵勢力と見なすに十分だった。
ヤーコフ達は支配下に置いた村から、越冬するためにわずかに残った食料を奪い、女を陵辱し、抵抗する者は容赦なく殺害した。そして、その過程で、近隣の山賊らも合流し、4,000名の部隊にふくれあがっていたのだ。
※ちなみにヤーコフは、自国ロシア国民への略奪や暴行虐殺の罪で死刑執行されていることが、ソヴィエト時代に公開された資料で確認されている。
「ニコラエフスクを守っているのは、白軍が400人、日本軍が300人程度だ。一気に押し込んで占領も出来るが、こちらにも被害がでるな。できれば、被害は出したくない。」
「白軍は、もう戦う能力はほとんど無いはずよ。注意しないといけないのは、日本軍ね。」
赤軍は、基本的には日本軍との衝突は避けるという方針だが、白軍と共同防衛されていては、日本軍にだけ攻撃を仕掛けないということも出来ない。しかし、300人程度の日本軍なら皆殺しにしてしまえば、後の言い訳はなんとかなる。
この赤軍部隊の紅一点、ニーナ・レペデワ・キャシコは続ける。
「まず、白軍に降伏を呼びかけるの。命と財産は保証すると言ってね。で、日本人居留民の保護は、引き続き日本軍が行うって条件で、日本軍にも白軍に降伏を促させるの。私たちが日本軍と戦う意思がないって言えば、日本軍も飲むんじゃないかしら。うまくニコラエフスクに入ることができたら・・・後は解るわよね。」
そして、ニコラエフスクに駐屯する白軍と日本軍に対して、以下の要求が決定された。
1.白軍は武器と装備を日本軍に引き渡す。
2.軍隊と市民の指導者は、赤軍入城までその場にとどまる。
3.ニコラエフスクの住民にテロは行わない。資産と個人の安全は保障される。
4.赤軍入城までの市の防衛責任は、日本軍にある。赤軍入城後も日本軍は、居留民保護の任務を受け持つ。
「ニーナ、さすがだな。完璧だ。この条件なら、連中は受諾するに違いない。くくくっ。」
ヤーコフ達は、いやらしい笑みを見せる。その周りには、陵辱された村娘の死体が数体転がっていた。
―――――――
1920年2月23日
「赤軍が、こんな要求を出してきました。メドべーデフ大佐、どう思いますか?」
有馬少将はメドべーデフ大佐に、赤軍からの要求書を手渡した。
「連中が約束を守るようなことはありません。町に一度入れてしまったら、必ず寝首を搔きに来ます。彼らは赤軍なのですよ。」
「そうですな。我が軍でも偵察部隊を近隣の村に派遣したのですが、そこからの報告は耳を疑うような内容ばかりでした。連中は軍隊ではなく、山賊か暴徒の類いですな。」
赤軍からの要求は、一切無視することが決定された。
―――――――
「日本軍の奴らめ、無視を決め込みやがった。しかも、事前情報じゃ兵士は300人から400人程度と聞いていたが、巡洋艦2隻に3,000くらいの陸戦部隊がいるじゃないか。これじゃ、攻略できないぜ。」
「でも、もうこっちにも食料は無いわ。占領して奪うしか、わたしたちも冬を越せないわね。覚悟を決めましょう。それに、部隊の半数以上は途中から合流した山賊達よ。いざとなれば、いくら死んでもかまわないし、そうなれば、少しは食料に余裕ができるかもね。それに比べて、相手は正規軍。部隊の3割の損耗で降伏を検討するはずよ。日本人地区には攻撃をしない、そして、命は保証するって言い続ければ、講和に応じる可能性もあるわ。」
こうして、赤軍パルチザンと日本軍の衝突は始まる。
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