第9話 まずは環境整備

1907年6月 高城蒼龍 6才


 父の名は、高城龍太郎、小石川にある陸軍の「東京砲兵工廠」に勤務する技術士官だ。年齢は40才。階級は中佐。高城の家は、元々中部地方の大名の出身で、男爵位を賜っている。大名と言っても、下から数えて何番目というような、小規模なものだったのだが。


 1904年から翌年にかけて日露戦争があり、出征こそしなかったが、龍太郎はほぼ工廠に泊まり込む勢いで、銃や砲弾の生産管理に明け暮れていた。


 日露戦争が終結した後は、家族と過ごせる時間も増え、骸骨のようにやつれていた姿も、今では健康な”中年”の姿に戻っていた。


 この頃の龍太郎は、購入した技術系の書籍を、勤務が終わった後、自宅で読むことが日課だった。この時代の技術系の書籍のほとんどは、英語、ドイツ語、フランス語で書かれていたため、龍太郎は外国語の習得にも熱心に取り組んだ。


 また、自宅には大きな製図板が有り、主に野砲や牽引砲の図面を引いていた。


「父上、お願いしたいことがあります。」


 改まって、父親に話しかける。


「自分も、父上と同じように技術士官を目指したく思います。そのために、自分用の製図板を買っていただきたく思います。」


 自分が持っている知識を、できる限り早く図面にして実用化したかった。この時代でも知識さえあれば出来ることはある。自分が図面を描いて父に渡し、陸軍で実用化させることにしたのだ。


「そうか!お前も技術士官を目指したいのか!父はうれしいぞ。製図板をすぐに手配してやろう。」


「ありがとうございます。父上。それと、自分は父上に謝らなければならないことがあります。」


「なんだ?なにかしたのか?」


「はい。父上がお仕事に行かれている間に、父上の書籍を勝手に読んでいました。」


「な、な、何だとぉー!」


 龍太郎は焦りに焦った。子供が父親の書籍を勝手に見ていた。自分が持っている本の中で、子供が興味を示しそうな書籍と言えば“春画(当時のエロ本)”くらいしか思いつかない。巧妙に隠していたはずなのに、なぜ発見できたのだ?


「ま、ままままま待て、蒼龍よ。そそそそ、その事を梅子には言ったのか?」


「いえ、母上には言ってはおりません。どうしても欲求に耐えきれず、父上の大事な大事な、工学の書籍を読んでしまいました。」


「こ、工学の書籍・・・かぁ。驚かせよって。まあ、機械の図面などが掲載されているから興味を持ったのか?それで製図板が欲しいと。」


「はい。それで、あの、父上の持っている書籍は全部読んでしまったので、新しい工学書を買ってきていただくことは出来ないでしょうか?」


「ん?しかし、お前はもう漢字が読めるのか?それに、あそこにある本は、ほとんどが外国語であろう。全部読んだとはどういうことだ?」


「はい。一緒に辞書もありましたので、調べながらすべて読みました。」


「仏語や独語の本もすべてか?」


「はい、すべて読み終えました。」


 本当は、英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・中国語もネイティブ並に読めるし、当時のレベルの工学書など読む必要は無いのだが、幼児ではすることもないので、ひたすら読んでいたのだ。また、自分自身が天才であるということを強く印象づけて、自分のアイデアや意向が通りやすくする目的もある。


「なっ?まことか?もしそうだとしたら、これは希代の天才かも知れぬな。」


 一週間後、高城の家に製図板と定規類、そして製図用鉛筆が届いた。


 まず最初に取りかかったのは、製図板用の“ドラフター”の設計だ。当時の製図板は、紙を乗せる大きな板と、T型定規などを組み合わせただけのものだった。それでも十分に製図はできるのだが、1953年に武藤目盛彫刻が、製図板とアーム式の定規を組み合わせてからは、製図の効率が向上し、その構成がスタンダードとなったのだ。


「父上。私が描いた初めての図面です。これを、父上のお力で、作っていただくことは出来るでしょうか。」


「これは・・・、面白いな。製図を描き易くするための道具を製図したのだな。」


 図面は、龍太郎が持っている書籍を参考にして、明治期のルールに従って書いてある。そして、摺動部や可動部も、確実に、誤差の無いよう動作するように、0.01mm単位で指定した。


 龍太郎はそれを一読してすぐに、“図面を描くための道具”の図面だと理解する。


「さすが父上。ご慧眼です。父上が製図されている姿を見て、このような補助具があれば、作業がさらにはかどるのではないかと思いました。」


「面白い。早速作らせよう。」


 二週間後、ドラフターの試作機が完成した。図面を描くときに誤差が出ないよう、剛性にも十分余裕を持たせてある。


 龍太郎は、その試作機を使って早速図面を引いてみる。


「すごい!すごいぞ!この補助具は!今までより何倍も製図が捗る!しかし、私の製図作業を見ただけで、このような道具を考えるとは。我が子とは言え末恐ろしいな。」


 この補助具は「四○式自在製図定規」として、瞬く間に陸軍海軍に普及したのである。


 ―――――――――――――


「ねえねえ、何の設計図を描くの?」


 リリエルが興味津々に聞いてくる。


「そうだね。まずは、今の日本の工業力で作ることが出来て、人々の暮らしをよくする物からかな?」


「へぇ。武器とかじゃないの?あんたなら最初に核弾頭とかの設計図、描くかと思ってたわ。」


「人をマッドサイエンティストみたいに言うなよ。それに、そんな物を描いても、今の工業力じゃ全然作れないよ。」


「あっ!じゃあ、コレ作って!私の8分の1フィギュア!」


「T型定規と雲形定規でかよ。却下だよ、却下。」


 6歳児が、小型高性能エンジンの図面を描いたりすると、あまりにも不自然なので、とりあえず、日常生活を便利にする道具の製図を描き、父の龍太郎に渡した。そして将来、必ず実用化しなければならない兵器の図面も、密かに描き始めるのであった。


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