第8話 第二の人生
1901年6月
ついに出産の時が来た。
しばらく前から、母親の心臓の鼓動や、周りの人たちの話し声が聞こえるようになっていた。そして、ついに陣痛が来たようで、体の周りにある子宮が収縮していくのがわかった。周りの慌てた様子もわかる。
そして産道を通り抜ける。
「く、苦しい・・・」
へその緒を通じて、かろうじて酸素は供給されているが、出産がこんなにも苦しいとは思わなかった。
「そりゃ、昔は死産が多かったのもわかるよ・・って、もしこれで死産とか後遺症とか残ったら終わりなんじゃない?」
「そうねー、確かにそうだけど、たぶん大丈夫よ。私、運がいいから」
「非科学的なご意見、ありがとう」
「しかし、生まれる時って、こんなに苦しいのね。知らなかったわ」
俺が感じている苦痛は、リリエルも同じように感じているようだった。
リリエルと二人で苦痛に耐えていると、やっと産道を抜けて光が見えた。
無事に生まれた俺は、すぐに両足を掴まれて逆さづりにされ、背中をトントンとたたかれる。すると、肺の中に貯まっていた羊水がはき出された。
そして、産湯に浸けられて体が洗われる。その初めて見る光景を、俺はじっと見つめていた。
すると、産婆さんたちが慌て始める。産声を上げない事を心配しているようだった。
みんなをあんまり心配させたくないので、頑張って泣いてみる。泣き方がわざとらしい気もするが、まあ良いか。
産婆さんたちも安心し、産着を着せられた俺は、母親に抱かれる。
「この人が母さん・・・・」
出産で疲労困憊であろうはずの梅子が見せる、慈愛に満ちた笑顔は美しかった。なんとも感慨深い。そして、無限の愛情を感じて、年甲斐もなく「きゅん」となってしまった。もしかして、恋?いやいや、だめだだめだ。
「あんた、かなりの変態だったのね・・」
リリエルがあきれたように話しかけてくる。
「勝手に人の心を読むなよ!邪念じゃなくて、母親の無限で無償の愛に感動してるんだよ」
生まれてから3日目に、俺は「蒼龍」と命名された。
前世の名前も蒼龍だったか、今回も蒼龍だ。偶然とは思えなかったので、リリエルに聞いてみたが、
「さあ、偶然なんじゃないのー?」
と、あまり興味が無いようだった。
1906年3月
妹が生まれた。
俺が生まれた後、5年間の間が空いてしまったが、両親としては待望の第二子だったようだ。
「でかしたぞ!梅子!なんてかわいい女の子だ!名前は「桜子(さくらこ)」だ!ちょうど桜の季節だし、母親のお前が「梅」だからな」
生まれたのは、ぷくぷくと柔らかいほっぺたをした、かわいらしい女の子だった。父の高城龍太郎は、生まれた女の子を抱えて、飛び回るように喜んだ。
第一子が男子だったことも有り、家督の継承に安心したのか、この時代では珍しく女子の誕生を大喜びしていた。
「よし!素晴らしい淑女に育てて、ゆくゆくは東宮妃(皇太子妃)から皇妃へ・・。くっくっくくくく・・、わぁはっはっはっは!」
母の梅子は、ちょっと引きつった笑顔で龍太郎を見上げている。
父は、野望だけは大きいようだ。身分制度の色濃く残るこの時代で、皇族の血統や猶子の家系でもない高城家にお鉢が回ってくることはあり得ないのに・・・・。
生まれた女の子のほっぺたが、ぷくぷくとしていたのには理由がある。
当時の日本人の食事は、白米に漬け物、味噌と少々の野菜。希に魚が食卓に上るといった状態で、これは、庶民も上流家庭も、ほとんど変わりが無い。
「こんな食生活じゃ、日本人の身長が低いのも仕方ないよね」
日本人の身長は、有史以来、西暦1800年ごろから1900年ごろまでが一番低い。これは米の生産が伸びて、白米中心の食生活になったためだと言われている。そして、それにつれて脚気(ビタミンB1不足による死に至る病)が蔓延するのだ。
ちなみに、1904年から始まった日露戦争では、戦死者4万7千名の内、2万8千人から3万人が脚気で死亡したと言われている。ちょっと玄米を食べれば、3万人もの将兵が死ななくても良かったのだ。知識があるかどうかということは、まさに一国の運命をも変えるのである。
乳児の頃は、お腹いっぱいになっても頑張って母乳を飲むようにした。その為、母親だけでは足りず、他に4名の乳母を手配しなければならないくらいだった。
「かあたん。たまご・おにく・おさかな、むぎ、げんまい」
俺は言葉が話せるようになった1才の終わり頃から、片言の単語で、食べたいものを要求するようにしていた。乳幼児が玄米を要求するのはどうかとも思ったが、背に腹は代えられない。食事の量が少ないときは、遠慮無く泣きわめいて、もっと栄養のある食べ物をよこせ!と要求する。まあ、手のかかる赤ちゃんだったことだろう。今世においては、最低でも身長175cmの獲得を目指して頑張るのだ!
しかし、そのおかげで高城家の食卓には、毎食、卵か鶏肉か魚が出されるようになり、当時の日本人としては、すこぶるバランスの良い健康的な食事環境になっていた。そのため、生まれた女の子も、体重3,000グラムと、当時の新生児としては栄養状態も良く大きめだったのだ。
父も母も、とても健康的な生活を送っているような気がする。母は17才で俺を生んだ事もあり、妹が生まれた1906年でもまだ22才の若さ。皆がうらやむような健康美人だ。そして父は39才。こんなに年の離れた若くて美人の嫁さんがいるなんて、なんてうらやまけしからん!そんな事を思いつつも、俺は母との毎日の入浴を密かな楽しみにしているのだった。
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