シーン49「あたしたちのとまり木」


「つまりこれが真実だったのよ。ドラゴンは間違いなく八百年前に存在していた。そして史実とは違い、ドラゴンの血は人々の手で根絶されたことはおろか、絶滅したという話も嘘だった……。繁殖機能を失ったという線は、まあまだ否定できないわね。いずれにしろ、ドラゴンは力をつけたわ。私達が知らないうちに、何らかの方法で力を蓄えていたのかもしれない」

「問題は、私達人類がこの先ドラゴンに対抗できるかどうか、ということね……一時しのぎの武器とはいっても、最新技術を駆使しても傷ひとつ負わせた様子もないもの。ドラゴンよりも人類の方が圧倒的に数も多くて、ここまで進化したスピードも早いというのに……」

「原理はどうか知らないけど、真理は同じよ。適応できる者は生き残り、そうでない者は淘汰される。それが進化の歴史。自然の摂理。永久に変わることのない、世の中の残酷なルール……。人間とドラゴン、どちらが滅びたって可笑しくないわ。私達人類の歴史も同じ。時代の流れの中に消えたものもある。これからもそう」

「何だか耳が痛いわね……本当にあの町は、ドラゴンのために犠牲にならなくてはいけないのかしら? 折角おばあ様があそこまで築いてくれたのに、こんなことで終わってしまうのかしら?」

「何言ってるのよユリア! こんな簡単に終わるわけないでしょ? あんなに大きな会社なのよ? 何百人も働いてたんだから」

「ありがとうベルラ……でも、ドラゴンが姿を消さない限り、あの工場が被害を受けるのは免れないわ。残された私達で建て直せたらいいけど、私達はおばあ様とは違うし……」

「あーもう、何卑屈になってるんだか。あなたに限って失敗なんてありえないわよ。タチアナだって別に、理由なく時代に消されるなんて言ってないでしょ? ユリアは真面目で優しくて、みんなから慕われている。ついていく人も多いから絶対……あら?」


 狭い駅のホームに響く、数えきれないほどの多くの声。その声が一つ、こちらを捉えて鳴り止んだ。

 グローニャがドラゴンの攻撃を受けたと聞き、慌てて馬車を走らせこの避難先までやってきた。けれど、どこを見ても誰に聞いても、あの少女の居場所はわからなかった。


「リズちゃん……? やっぱりリズちゃんだ」


 赤毛の懐かしい顔が、行く手を遮った。


「久しぶり! リズちゃんも逃げてきたの?」


 目を合わせるより先に、素早く首を振る。


「ううん、人を探しているの。お母さんは見つかった。でも、パーシアはいない」

「パーシア?」

「ねえ、パーシアを見なかった? ドラゴンが駅を襲ったって聞いたの。他の皆と一緒に逃げてなかった?」


 三人が不思議そうに顔を見合わせた。わからない、とふるふる首を振っていたが、あまり深刻に思っているようではなかった。


「被害に遭ったのは建物と汽車本体って聞いたから、まあ、無事ではいるんじゃない? そうじゃなくてもあの子、すばしっこくてタフだから、リズちゃんが心配するようなことは起きてないわよ」

「わかってる、そうだと思ってる。でも、さっきから探しても全然見つからない。約束だってしたのに」

「うーん、あの子の考えることってよくわからないからなぁ……。駅の外は? あの子大げさだから、私達を避けるって遠くにいるのかもしれない」


 ありえそうな話だが、駅の外は確認済みだ。中も外もくまなく探し回って、ここに来たのももう三回目になる。しかし、それでも見つからない。


「たんに気が変わっただけなんじゃない?」


 ベルラの後ろから、タチアナが言い出した。


「何を約束したか知らないけど、探してもいないのならその可能性は捨てきれない。人は窮地に立たされたとき、初めて本当の自分が出るのよ。寝たきりの母親を一人にできないからと町に戻った人もいた。混乱に乗じて盗みを働いた人もそう。危機に晒されて初めて人の本性が出る……。パーシアが何事もなく無傷でいるなら、深追いはしない方がいいわ。それがあの子の本性だったっていう、それだけよ。良いも悪いもない。ただここに来なかったという事実があるだけ」


 リズは改めてタチアナを見た。いつもと変わらない……いや、変わることなんてなかった涼しい顔だ。思わず息が荒くなった。


「わからないならわからないって言って。どうでもいいならそう言って。たとえそうだったとして、あなたは私にどう思ってほしいの? 何がしたいの? あなたって自分をまともに見せたい以外、何の信念も感じられない」


 微かに動いたか動いていないのか。タチアナは口を噤んだままだった。リズはタチアナをひと睨みすると、その後ろのユリアには目もくれず、さっさとその場を立ち去った。


「え、今のってリズちゃん……? 急にどうしちゃったの?」

「まさにこの瞬間が彼女にとって『窮地』なのよ。何も間違っていない。あれがリズという人の正体……それだけよ」


 難民で溢れかえった駅の中を、リズはつかつかと歩き回った。ただ情報を聞き出すだけだったが、想像以上に不快感が募ってしまった。何が人の真理で何が世の定理なのか……こんな状況になっても、未だにこだわり続ける暇な人。

 だけど、引っかかる言葉もあった。あの子はここに来なかった……悔しいが、確かにそれは事実だ。来ないなら来ないで構わない。パーシアが元気でいてくれるならそれでいい。ただ、妙な不安と焦りは残った。あの子の存在が消えていく……そんな恐ろしい感覚だ。


 ベンチの傍を歩いて、リズは急に足を止めた。まだ新しいカーキ色の帽子が落ちている。ベンチに座る男性が大きく腰を曲げて、震えた手でそれを掴もうとしていた。

 恰好からするに、四、五十代くらいだろうか。その割には顔に張りがなく、老けて見える男性だった。男の隣には松葉杖が置かれていた。リズはそれに気づくと、代わりに帽子を拾ってやった。


「ありがとう……」


 男は片手に掴んだ写真を膝に置き、帽子に着いた砂埃を優しく手で払った。つばの端で一際汚れて見えるのは、汚れではなく焼けた跡だった。男が帽子を一回転させて、リズは気が付いた。拾ったのは警察官の帽子だ。リズはそのとき、ドラゴンの被害に遭った若い警察官のことを思い出した。


「こんな人の大勢いるところで、感傷に浸るものではないな」


 隣に置いた箱の中に、男は帽子と写真を仕舞った。


「これは息子の形見なんだ。誰かに踏まれる前で、本当に良かった」


 笑ってはいたが、力のない表情だった。自分の顔にそっくりだ、とリズはニコリともしないのに思った。


「邪魔をして申し訳ない。どこかに行く途中だったんだろう」

「いいえ……」


 通行人に睨まれ、リズは男の正面に腰を下ろした。自分でも、何故そう答えたのかわからない。ただ、男の傍は心地いい、そう感じた。ドラゴンの登場を皮切りに、世界は変わろうと目まぐるしい速さで動き出している。しかし、男の刻む時の流れは、重く、ゆったりで、過ぎ去ってしまったものにまだ後ろ髪を引かれている……。だからかもしれない。

 男は優しく箱を抱え、喧噪の中、柔らかな笑みを浮かべた。


「あの子はもういない。だけど、消えたのではなく遠ざかってしまったのではないかと最近考えるんだ。あの子には、この世界は生きにくかった。自分は取り残されている、そう感じていた。だから今は、自分を……自分の弱さを受け入れてくれる場所にいるんだろう。そう思っている。その役割は……私でも十分、担うことも出来たのに」


 男の抱えた箱の中に、リズはぼんやりとパーシアの姿を思い浮かべた。

 時が流れ、ベンチの外はいつの間にか慌ただしくなっていた。追憶にふける二人を置いて、時代は未来を見つめ、力強く前進しようとしていた。

 二人は何も語らず、ただ息をして、根を張ったようにそこに座っていた。

 彼と彼女を待つ、とまり木になったみたいに。

 騒がしい喧噪に埋もれた沈黙の中で、二人はじっとそこに佇んでいた。


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