シーン48「あたしの大切なもの」


 パーシアの隣に屈みこんで、彼も欠片を拾い集めた。最初は大きめの欠片を摘まんで、それから右手をちりとり代わりに粉状になったものを掻き集めていく。よく見ると、右手は完全にドラゴンのものとなっていた。黒い爪が熊手のように長く伸びている。元からドラゴンのものだった左手は、不自然な形であったが短く切り揃えられていた。昔、月明かりの下で、二人で体を寄せ合いながら爪を切っていた……。それを思い出すと、懐かしさと同時に切なさが込み上げてきた。二人で築いた思い出だ。激しく互いを求め、抱擁と口づけを交わした。でも、それだけなのかしら、あたし達を繋ぐものは。思い出と、償い……。


「僕も、汽車を襲ったんだ」


 欠片を掻き集めて、ダタールが呟いた。


「君が誰かに連れていかれないように……僕も、独りになりたくなかったから」


 ガラスと鏡の破片は、一通り集め終えたようだ。ダタールは立ち上がると、欠片を乗せた手を軽く丸めて辺りを見渡した。

 パーシアはどろりと落ちたジャムの塊を跨いで、キッチンに置かれた皿をダタールに差し出した。ダタールが欠片を流し込んだ後に、パーシアも入れていく。傷だらけのパーシアの手に比べ、鱗に覆われたダタールの手には刺さった跡もなかったが、実際はその隙間に細かな欠片が入って痛いのかもしれない。


「……」


 二人は欠片の入った皿の前で黙り込んでいた。そこはちょうど、かまどの前だった。二人が初めて結ばれたあの日。アンヌの遺言から彼の意識を逸らそうと、ここに呼んでスープを渡した。この家には全てがある。暖かい思い出も、罪深い過ちも……。

 パーシアはそっとダタールを見上げた。ダタールは金と緑の瞳でこちらを見返していた。二人はそのまま、近くの窓に目を移した。狭い裏庭。森の茂みの他は何もない。金の瞳を持つダタールも、うろたえる様子はなかった。


「そうだ、言ってなかったね。あのとき僕は、嘘をついてたんだ」


 外を見つめたまま、ダタールが言い出した。


「森で迷ったと言ったけど、本当は仲間達と揉めて逃げ出した。同期のあいつらは、僕の話を聞いてくれない。どうせ落ちこぼれだから聞く必要もないだろう……きっと、そんなふうに思われているんだろうなって感じて」


 ダタールの目線が、寂しげに落ちていく。


「嫌だった……でも僕は、恨んで逃げることしかできないからね。だから本当は、彼らを責めれないんじゃないかって、時々思うんだよ。……僕は、こういう人間なんだ。『淘汰されし者』とドラゴンは言っていたけど、本当に、その通りだ」

「それって……いつのこと?」


 パーシアが呟くように尋ねた。ダタールは意外そうな顔をして、ぱちくり目を瞬かせた。


「え……あのときだよ。君と、この小屋で会ったあのとき」

「逃げ出したの……?」

「うん……そう」


 パーシアはつい笑ってしまった。


「あら、あたしもよ。お仕事ほっぽといて家に帰ってきたの。だからあの日、鍵もなかったのよ。あたしも喧嘩をして……ううん、一人で喚いて顰蹙を買って、それで居心地が悪くなって、何もかも嫌になったからみんなを捨ててきちゃったの」


 変な言い回しだと苦笑しながら、パーシアは続けた。


「あたしが仲間外れだってこと、みんな教えてくれないのよね。優しいのよ。でも、あたしは鈍感だから気づかなかった。ううん……気づかないふりをしてただけかもしれないわ。だからちょっと浮いてたし、みんなあたしを遠ざけてた」


 頬に優しく力が入り、気が付けば笑みが広がっていた。そういえば昔、そんな子もいた。自分の気持ちに正直に、けれど、大きく振り回されてきた迷惑な子。


「それが当たり前だったのよ。でも、みんなもあたしも気づいていないだけで、心はいつも寂しかった」

「ひねくれたままでいれるなら……僕も、その方が良かったな」


 固い鱗に覆われたダタールの口端も、いつの間にか上がっていた。


「けど、不器用だったから、強がるのにも限界があったんだ。心の奥ではずっと、誰かが自分を救ってくれるのを待っていた。それが僕は……パーシアだけだったんじゃないかって思ってたんだよ」

「あたしもよ。あたしも、あなただけだと思ってたわ」

「そっか……」


 と、ダタールは胸のつかえが取れたような、穏やかな笑顔を浮かべた。


「やっぱりそうだったんだね。君も、僕と同じだったんだ」


 その瞬間、パーシアの胸にぽっと暖かな火が灯った気がした。その火はまるで、マッチを擦ったかのような小さな火だった。

 ああそうか、そうだったんだわ。と、パーシアは気が付いた。なるほど、そう。そうだったのね。

 あたし、ずっとわからなかったのよ。あのとき農場を発った理由も、汽車を降りて町へ走った理由も、色々考えてみたけど、どれもしっくりこなくて決め手に欠けていた。でも、今ようやくわかったわ。あたしがあなたのもとへ来たのは、思い出に縛られていたからでも、罪の意識があったからでもない。


(あたし、好き……この人が好き)


 簡単なことだわ。これが理由だったのよ。

 自分という存在は誰にも認められることはない。そう勝手に勘違いして、塞ぎ込んでいた。

 でも、ホントは愛されたかったのよね。そして、その気持ちを隠し通すことは、下手くそだったから出来なかった。

 あなたもそうだったのね。あたしと同じ。

 孤独だった。

 あたしはあたしのままで。あなたはあなたのままで。

 そのままで、誰かに愛される価値があったことも知らずに。


「ねぇ、ちょっと変なことを言うわね」

「何?」

「好きよ。あたし、あなたが好き」


 ダタールはキョトンとして、ふっと笑い出した。


「変なことって……もしかして、それ?」

「ええそうよ。ちょっと変じゃないかしら?」

「それなら僕も変だよ。僕も、君が好きだから」


 パーシアもふふっと声を漏らした。何がこんなに可笑しいのか、自分でもわからない。ただ、とても満ち足りた気分だ。


「けど、奇妙だよね。ついさっきそれを知ったような感覚なんだ」

「あら、あたしもよ。今知ったの。でも、あなたのことはずっと前から好きだったわ。それは、本当よ……」


 二人の囁き声が、冷たい家の中に響き渡った。


「愛しているよ、パーシア」

「あたしも……愛しているわ、ダーリン」


 どちらからともなく、二人は身体を寄せ合い抱きあった。

 昔、木くずをまき散らした身体を。人参の欠片がコロコロ転がった身体を。

 二人は傷だらけの手と、べたべた汚れた手で、胸が潰れるくらいに、強く強く抱きしめた。

 外には誰もいなかった。

 ジャムの匂いが包む、二人だけの世界。

 歪つだけれど心地よい、暖かな感触……。

 彼の鼻と、彼女の頬が、そっと触れ合った。


「あら、ごめんなさい」


 と、パーシアは顔を離した。


「あたしったら、気が利かなかったわね」


 二つの唇が熱を持ち、ゆっくりと、柔らかに重なり合った。

 雲間から零れた太陽が生んだ、深い深い影の中に、二人は一つになって溶けていった。


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