シーン46「あたしの選択」


 一時間半はあっという間に過ぎ去った。朝食をとって昼食の準備をし、気づけば馬車に乗って駅まで向かっていた。

 手綱を取っていたリズは、駅が見えた辺りで馬車を止めた。駐車中の自動車と馬車が、まだ整備も途中の狭い道を塞いでいる。乗ってきた馬車では通れそうもない。


「仕方ないね」


 と、リズは道の脇に馬車を止めた。


「じゃあここに停めて行こう。それじゃパーシアっ。先に着いた方が勝ちね!」


 リズの一存で、唐突に駆けっこが始まった。リズは馬車を飛び降りて、早速道路を走っていった。パーシアは呆気にとられつつも、すぐさまあとを追いかけてリズの隣に並んだ。二人で先頭を取り合って、駅まで走っていく。先に着いたのはパーシアだった。リズは遅れて柱に手をつき、ハァハァ息を切らした。


「負けたっ! ずるいよパーシア。淑女に育った私よりも、ずっと運動量あるんだもん」


 額の汗を拭って、パーシアは不敵に笑った。久々の競争だ。こんなに楽しい気分になれたのは何年振りだろう。


「ありがとう、リズ」

「いいえ、どういたしまして。あ、そうだ。次来る時までに部屋を準備しておくよ。これから雪も降るのに、隙間風があるんじゃちょっとね」

「……そうね」

「何その反応。どうしたの? やっぱり辞めるの? ドラゴンもいるし」

「いいえ、行くわ。大丈夫よ、ドラゴンだって……」


 汽車がやってきた。パーシアは用意してもらった昼食の包みを手に、汽車に乗り込んで席に着いた。窓を覗くと、ホームにはまだリズがいた。汽笛が鳴るとリズは手を振り、パーシアもそれに返した。汽車は床を振動させて、少しずつ加速していった。尾を引く真っ黒な煙が、手を振るリズの姿を雲のように隠していった。


(リズ……)


 たった今別れたばかりのリズ。それだというのに、もう彼女が恋しく感じた。自分との時間を、とても大切に思ってくれた少女……。駆け抜けていく景色の中、そこにゆったりと浮かぶ空を見て、パーシアは汽車が急ぎ足で向かっていくその先を、ぼんやり思い浮かべていた。


(ダーリン……)


 乗客の数は、停車するごとに少なくなっていった。グローニャまであと三駅となると、車両には誰もいなくなり、パーシア一人だけが細長い箱に取り残されることとなった。

 そこに、扉を開けて誰かが入ってきた。足音は二つ。軍の関係者であることが、話の内容からわかった。


「運搬には何日かかるでしょうか?」

「早くて二日といったところだろうな。船で運ぶことになったんだ。陸を通るより早い」

「今回のは実験も兼ねているんですよね。でも、ただ相手を刺激することにはならないでしょうか?」

「さあな。ま、攻撃範囲は町全体だと聞くから威力はそれなりに高いんだろう。なんにせよ、警戒はしばらく解けないだろうな。仮にドラゴンに勝利したとしても、新兵器を開発したとなれば他国の動きも変わってくる」

「しかし……いいんでしょうか?」

「何が」

「ドラゴンの正体は人間なんじゃないかって噂を聞いたんです。ベルニアの例の山で白い鱗を生やした奇妙な生物が捕獲され、密かに隔離されていると……」

「その噂なら俺も聞いたな。けど、仮に人間だったとしてどうする。ドラゴンが人に害を及ぼす存在であることには変わりない。元に戻す方法もないだろうし、探っているうちにこっちがやられてしまう」

「でも……それでいいのでしょうか? 不可抗力かもしれないのに」

「噂だろ? あくまで。もうやめろ。誰かが聞いて真に受けでもしたらどうするんだ」


 そこで男は立ち上がり、歩いて辺りを見渡した。窓際で一人、物音立てずに座っていたパーシアと目を合わせ、男は青ざめた顔で席に戻った。


「ったく、悪趣味もいいとこだな。こんな緊急時にくだらん噂を立てやがって。ふざけるな」


 乗車してから四時間が経過した。日は真南に昇り、正午を知らせていた。グローニャの駅はもうすぐだ。汽車はすでに、生まれ育った故郷に入り込んでいる。

 見慣れた家々と何度も歩いた道が、窓の先に見えてきた。そのとき、ガラスの向こうから、微かに妙な音が聞こえた気がした。

 と同時に、汽車が速度を緩めて停まり出した。駅のホームはまだ先だ。


「どうしたんだ?」


 男は様子を確かめに席を立ち、数秒もしないうちに帰ってきた。


「とうとう町に出たぞ」

「もしかして……」

「ああ、ドラゴンだ」


 パーシアは血相を変えて立ち上がった。そして窓を開けて外を見た。町中にドラゴン? まさか、ずっと森の奥に引っ込んでいたはずなのに……。

 汽車はカーブの途中で停まり、見えるのは車両の向こうの黒煙だけだった。やがて車掌がやってきて、丁寧な挨拶と共に事情を説明し始めた。

 だが、話を聞いている余裕はなかった。パーシアは徐々に近づく悲鳴を聞きながら、車掌を横切り、汽車の先頭まで走っていった。冷静に状況を見ていた男達もそのあとに続く。すると外で誰かが、激しく車体を叩いた。


「お願い、乗せて! 怪我人がいるの!」


 助けを乞う音と声が、幾重にも重なって車内全体に広がった。車掌はすぐさま仲間達に声を掛け、固く閉ざされた扉を開いた。

 開くや否や、大勢の難民が中に押し寄せてきた。狭い乗車口では間に合わず、パーシアの開けた窓から侵入する者もいた。なだめる車掌の声も届かない、混乱しきった人々の群れ……。パーシアは乗車口に出来た一瞬の隙を狙って、汽車から飛び降りた。


「待てっ!」


 呼び止める男の声は、パーシアの耳には届かなかった。パーシアは迫りくる人々の波を突っ切って、ドラゴンを探した。ドラゴンは、少し離れたところにいた。美しい外装を保っていた駅を燃やし、真っ赤な炎を身体に纏って、チカチカ光る銃弾を浴びながら、さ迷うように歩いていた。


「おい、どこへ行く気だ!」


 男の声がパーシアの腕を掴む。そのとき、煙の奥のドラゴンが大きく目を開いてこちらを向いた。背筋も凍るような金の瞳。あの目はいつでも周囲を焼き尽くすことが出来る……そう思った。

 次の瞬間、ドラゴンが奇声を上げて火を吹いた。瞬きする間もなく、火の玉はパーシアを横切り、汽車の天辺を擦って破裂した。巨大な爆発音と人々の悲鳴、むせ返るような匂いと熱……。身体を押し付けて汽車に乗った人々が、今度は雪崩のように車内から流れ出た。パーシアはじっとドラゴンを見つめていた。足はすっかり竦んでしまった。ドラゴンも美しい目を光らせ、パーシアを見ていた。

 間違いなかった。


(ダーリンの目だわ……)


「ぐずぐずするなっ!」


 男がパーシアの腕を引っ張った。パーシアは驚いて振り返った。


「どこへ行く気か知らんが、まずは逃げるのが先だ。探している人も、もうとっくに逃げたかもしれない。とにかくここは危険だ、行くぞ! 君を待ってる人がいるんじゃないのか?」


 パーシアはハッとした。これまでだったら、そんな人はいないと思っていたかもしれない。けど、今は違う。


(リズっ……!)


「見ただろ? あいつは俺達を標的にし始めている。あそこへ行けば、今度こそ命の保証はない。あいつは銃撃すら効かない化け物だ。君とは違う、ドラゴンだ。君は人間だ。あの場所は、もう君の行くべき場所じゃない」


 遠くから、男を呼ぶ声が聞こえてきた。男は最後に念押しするような眼差しを向けると、そっと腕を放し、その場を立ち去った。

 パーシアはドラゴンに目を向けた。ドラゴンは変わらずこちらを見つめ、その鋭い牙の奥に真っ赤な炎を咥えていた。

 立ち尽くすパーシアの脇を、何人もの難民が駆け抜けていく。

 迷っている時間はない。

 パーシアは決意を固め、自分を待つあの人のもとへと、まっすぐに駆け出していった。


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