シーン43「あたしへの告白」


「次の上りは明日の朝八時だって」


 屋根もない質素な駅に、リズとパーシアは二人きりで降りた。時刻は午後の二時。傾き出した太陽が照らすのは、まだ道路の舗装もされていない小さな町だった。


「あ、みっけ。ちょうどお迎えが来たみたい。ほら、あのちょっと地味な人が私の兄さんだよ」


 リズは比較的新しく出来た建物、その傍に停まった大きな荷馬車を指差した。御者席から、体格が良い若い男性が降りてくる。こちらに駆けてくるその男性は、リズと同じ灰色の目をしていた。


「お袋は来れなかったようだな、リズ。えっと……この人は?」

「パーシアだよ。前に話した人」

「やっぱりそうか。初めまして。リズの兄のボリスだ。いつもリズが世話になってるな」


 パーシアはよそよそしくボリスを見やり、軽く会釈をしてみせた。


「ちょっと用を済ませてくるから乗って待っててくれ。おいリズ、勝手に置いてくんじゃないぞ?」

「うーん、どうだろう?」

「バカっ」


 ボリスが急いで用を済ませに走ると、リズは御者席に乗り込んだ。パーシアもそのあとに続いて、ぶっきらぼうに尋ねた。


「『前に話した』って一体何? あたしの何を話したの?」

「友達を連れてくるってだけだよ。あくまで兄さんの義父の農場だからね」

「『友達』?」

「もー、この期に及んで何? いいじゃん何だって。ビスケットあげたでしょ?」


 宣言通り、ボリスはすぐに戻ってきた。ボリスは馬車を動かし、中心街を抜けて郊外に出ていった。刈り入れの終わった畑、そして透き通った午後の空が、遮るものなく地平線の向こうまで広がった。


 ボリスの働く『ヘレジーン農場』は、大地を裂くように伸びたあぜ道の先のあった。簡素な門をくぐり大きなログハウスに入ると、農場主のヘレジーンと妊娠中のボリスの妻が出迎えてくれた。窓の外には一組の男女が見える。どうやら今はリズを除き、ヘレジーン、ボリス達夫妻、ヘレジーンの長男家族の六人で暮らしているようだ。

 リズ達の話が長引きそうになると、パーシアは傍を離れ、一人ベンチに腰掛けた。少し離れたところには、この家の長男夫婦の息子と思しき小さな少年がいた。少年は手にした缶から小石のようなものを取り出して、一つを口に入れ、もう一つをパーシアに渡しにやってきた。パーシアは、口の中でバリボリ音を響かせた少年の手から、そのはちみつ色の飴玉を受け取った。


「兄さんが農場を案内してくれるって」


 リズとボリスに誘われ、パーシアは農場を歩いた。三人はまず長男夫婦のもとへ挨拶に行き、それから広い農場を一周した。風の涼しさと自然の香り、大地の雄大さを感じられる新鮮なひとときだった。それが終わると、パーシアはリズに連れられ、大きな牛舎に入っていった。


「ねえ、あの牛、誰かに似てない?」


 とある一頭を指差して、突然リズが言いだした。独特な模様の乳牛で、両目の上に短い線が一つずつ、まるで眉毛のように描かれた牛だった。


「パーシアにそっくりだよね。ほら、あの気の短そうな眉毛」


 何となく嫌な予感はしていたが、案の定そうだった。パーシアは近くに見えた子牛を指差して、負けじと言い返した。


「じゃああれはリズよ。おチビさんだもの」

「残念っ。あれは『家政婦さん』」

「『家政婦さん』?」

「ほら、黒いエプロンしてるみたいでしょ? だから『家政婦さん』」

「……随分微妙なニックネームね」

「じゃあパーシアだったら何て付けるの?」

「……『アリクイ』?」


 リズの不満げな声が、牛の鳴き声に重なった。


「もー、それじゃ別の動物でしょ。パーシアのはもっとひどいじゃん」

「そーかしら? せいぜいどっこいどっこいってところよ」


 納得いかない、という顔をしてはいたが、リズはどこか楽しそうだった。パーシアはそんな彼女の横顔を見て、たった数日前までいたある少女を思い出していた。


「こっち見て何? どうしたの、パーシア」


 少女の声は、もっと小さかった。時々ミシンの音に消えてしまうくらい、弱々しくてか細かった。性格も、今のように冗談を言ったりはせず、大人しくて物静かで、いつも当たり障りのないことしか言わなかった。


「ねぇ……あなた、本当リズなの?」


 リズは一瞬唖然とした後で、ぷっと吹き出した。


「何? その訊き方。もっとマシなのないの?」


 しかし、その言葉の意味は分かっていたようだ。リズは橙色の光が差す出口を見つめ、ゆったりと歩き出した。


「私、ずっと隠していたんだ。自分の気持ちは表に出しちゃいけない……そう思ってたから」

「どうして?」

「さあ、わかんない。けど、女学院にいたときからそうだった。多分『処世術』ってやつだよ。周りは大人びていたけど、私は子供っぽかったからいつも浮いてた。だから、なるべく静かにしていたの。そうすると、周りも私を認めてくれて、おじいさんも喜んでくれた。おじいさんは、私を淑女にしたくて女学院に入れたんだ。大人しい従妹のことは可愛がっても、私のことは気に入らないみたいだっただから……」


 パーシアもリズに続いて、牛舎の外へと歩き出した。初めて聞く話だ。けど、どうしてか他人の話の気がしない。


「正直に生きるのは恥ずかしいことなんだ」


 夕日の朱い光を浴びて、リズが足を止めた。


「去年まではね、私もそう思ってた。けど、あそこで働き始めてから気づいたの。お父さんの患者さんに勧められて入った、あの工場に。何だか、全部が馬鹿らしくなっちゃった。びっくりするくらい変な子がいたんだよ。『パーシア』っていう名前の、変な女の子」


 急に名前が出てきて、パーシアは思わずドキッとした。自分でもよくわからないまま、パーシアは歪に口をひきつらせた。


「な、何よ、それ……」


 そのとき、ログハウスの方から二人を呼ぶボリスの声が聞こえてきた。リズはにたりと笑って、黒い影の伸びた地面を、パーシアに負けないくらいの俊足で走っていった。茫然としていたパーシアも、ハッとして後を追う。ボリスのもとへ着く頃には、リズはもうすでにログハウスの中に入っていた。


「パーシア。リズと二人でベッドの用意だ。今部屋の荷物を片付けに行ったから、少し待っててくれ」


 入口でリズを待ちながら、ボリスは思い出したように言った。


「あ、そうだ。明日の朝、俺はいないんだ。だから今のうち言っとくよ。妹のこと、ありがとう」

「何のこと?」

「『何のこと?』って……リズを励ましてくれたことだよ。前まで心配になるくらい窮屈にしてたからな、あいつ。でもほら、今じゃすっかり浮かれてる。こんなご時世だって言うのにお気楽なやつ。けど、元気になったのも君のおかげだ」

「あたし、何もしてないわ」

「あ、そうだった? まあいいやどっちでも。とにかく、明日の送りはあいつに任せておくよ。汽車の時間は確か、朝の八時だったな」


 冬が近づくこの時期は、日が暮れるのも早かった。

 パーシアは少しずつ暗くなっていく大地を見つめ、そのときが刻一刻と迫っているのを感じていた。


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