シーン42「あたしを運ぶ汽車」
パーシアは力尽きた顔で、少しずつ加速していく車窓を見つめた。
駅の構内に亜麻色の髪が見える。けれどそれはユリアではなかった。ユリアに似た別人だった。
ずっと勘違いしたまま逃げ回っていたのか……。パーシアはその場に座り込んで、次第に晴れていくグローニャの空を虚ろな目で眺めていた。
(ああ、ダーリンから遠ざかっていく……あたしの、ダーリンから……)
「切符を拝見いたします。切符をお手元にご用意ください」
そのとき、前方から声がした。パーシアは思わず立ち上がって、客席の方を覗き込んだ。
検札係の車掌が、乗客から切符を受け取ってこちらに向かってくる。
あんなもの、こっちは持っていない。あるのはポケットの中の財布だけだ。それ以外は何も持たず、この身一つで来てしまった。なかったらどうなるのだろう……。
考えるよりも先に、パーシアは立ち上がって反対方向へと歩き出した。どうにかして見つからないようにしなければ。隠れられるところ隠れられるところ……。あ、座席の下なんてどうかしら?
潜り込もうと身を屈めたところで、パーシアは周囲からの不審な目に気が付いた。どうやら自分は正気を失っているらしい。
(あたし、とうとう理性も失くしちゃったのね)
「切符、持ってないの?」
すると、近くから妙に親しげな声が聞こえてきた。見ると思った通り、小さな鞄を隣に乗せたリズだった。
「切符なら私、持ってるよ。一緒に来る予定だったお母さんの分。パーシアのってことにしたら?」
パーシアは顔をしかめ、注意深く辺りを見渡した。ユリアとタチアナの姿は見えない。だが、この少女のことはやはり油断ならない。
「どう?」
「嫌」
「自分の持ってるの?」
「あるわけないわ。乗る気もなかったのに」
「だったらやっぱりパーシアのってことにしなよ。ほら、来るよ。座って座って」
真正面の空席を指差して、リズが催促した。振り返ると、確かに検札係が迫ってきている。でも、だからと言って彼女の言いなりになっていいのだろうか。リズはきっと、あたしに貸しを作る気なんだわ。そんな手には乗らないわよ。
「切符を拝見いたします」
検札係がやってきた。パーシアは慌てて席に着いて、目の前のリズが切符を差し出す様子を、行儀よく姿勢を正して眺めていた。
「政府が配布した緊急用の切符ではないんですね」
「はい。母を迎えにまだ戻る予定なので」
「なるほど。このご時世ですので、その際はお気をつけて」
鋏こんのついた二枚の切符を受け取って、リズはにんまりした顔でパーシアを見やった。パーシアはすぐさまその自慢げな顔から目をそらし、変わらず不機嫌な表情で窓を見た。
結局、彼女の思惑通りになってしまった。あとは極力、黙っていたい。
「本当はいつ町を出る予定だったの?」
「そんなのないわ。あってもあなたに関係ないわよ」
「でも撤退しなきゃいけないでしょ? 町にはドラゴンがいるんだから」
「ドラゴンの話なんてしたくないわ。どうせ、いい話もないもの」
「まあ確かに、気が滅入るよね……」
そのとき、パーシアの腹の奥から音がした。パーシアは大きく息を吸って、腹の虫を鎮めるように息を止めた。
「あ、なんだ。それならあるよ。今朝配給された分」
リズが鞄から缶を取り出して、ビスケットを三枚差し出してきた。パーシアは首だけでなく体ごとリズからそっぽを向いて、頑なにそれを拒否した。しかし、ビスケットがじりじりと壁際まで追い込んでくるので、仕方なくそれを受け取ることにした。
「あたし、すぐ帰るわよ。怪しいものあなた。あの二人もいるかと思うとゾッとするわ」
「なんで? 仕事もとっくに辞めたのに?」
「『辞めた』?」
「そうだよ。パーシアが休んでたときに。だから、今回のは初めから予定してたことなんだ」
パーシアは前歯でビスケットを割り、それを噛み砕いた。どうやら自分はいらぬ心配をしていたらしい。あたしに執拗に絡んでくるのはリズ、たった一人だけだったようだ。
「ねえ……どうしてあたしに付きまとってくるの?」
うーん、と唸った後でリズは答えた。
「だって、パーシアってなんだか危なっかしいでしょ? それが理由。遊びに来るって早とちりしちゃったり、騙されたと思って激しく怒ったり、勝手に帰っちゃったり……あとほら、学校の友達の社交辞令を真に受けて部屋に押しかけたら、嫌な顔されたこともあった」
パーシアは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。その代わり、軽く咳払いをして俯いた。こうして他人に言われると、とても恥ずかしいことのような気がしてくる。ちらりとリズを見ると、リズは意地悪く顔をにやつかせていた。つまり、親切なふりをしているが、本当は自分を嘲笑いたいだけなのだ。あれ? 変だわ、『学校』……? そんなのは全く記憶にない。
「なんて、冗談だよ。最後のはパーシアじゃなくて私のなんだ」
列車は二駅目を通り過ぎて、山沿いに進んだ。パーシアは半分に割ったビスケットをまた歯で砕いて、鮮やかに光りだす車窓を見やった。
(『お兄さんの農場』、だったわね……)
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