第四章「あたしのあした」

シーン39「あたしたちのいない町」


 光となって現れ、光となって消えるドラゴン。そんなドラゴンが一日に二頭も、東サザナミ森で目撃されたとの連絡が入った。

 最初に現れた蒼白色のドラゴンは隣国ベルニアの方へと姿を消し、次に現れた紅いドラゴンは、前と同じように炎を吐いて暴れ回っていたという。前回の例からまた火事になるかと思われたが、森を覆った氷と雨のおかげで被害は広がらずに済み、ドラゴンもすぐに行方をくらませた。

 銃撃部隊は出ていない。ドラゴンに対抗する術を、人類は未だ見い出せていない。

 ひとまず今回の件で、政府はグローニャからの完全撤退を早めることにしたようだ。先ほど玄関先でよそよそしく渡された書類には、そう記載されていた。疲れた頭で書類を読み直し、紅茶を啜る。足を引きずりながらやっとの思いで淹れた紅茶は、すでに冷めていた。松葉杖を使って棚へと向かい、大きな箱を開ける。中には古びた帽子が入っていた。


(皮肉なものだな……)


 近くの台には、つばが焼けた警察帽が置かれている。グラシコフはその隣に、くたくたになった帽子をそっと置いた。

 こんな形で親子が揃うとは、本当に皮肉なものである。どうしてこの親子は、私に持ち主の消えた帽子を置いていくのだろうか。

 奇妙な親子だ。性格は似てないが、顔と、どこか冴えないところはそっくりだ。そして目が離せないくらい、危なっかしいところも。


 ルキヤン・セベツキ……。

 ダタールの父である彼との出会いは酷いものだった。当時追っていた麻薬密売人。その犯人が、たまたま近くを通りがかったルキヤンに証拠を渡して逃げたときも、彼は全く相手の思惑に気づいていなかった。「君を犯人に仕立て上げようとした」、と説明してもすぐに信じられなかったようで、理解も追いつかずただただうろたえていた。

 しかも、そうしたことが三度も起きた。息子ごと自分を捨てた元妻に「甲斐性なし」と言われたときも、情けなく泣きついてきた。その上愚鈍で、いつも気が抜けるような話し方しかしない男だった。


「え、何でですか。何でグラシコフさんがそんな滅茶苦茶に言われなきゃならないんですか。だって、こんなに正しいこと言ってるじゃないですか。真面目だし優しいし……あ、ほら、行き場のない僕とダタールをここに住まわせてくれてる。そんな人が、どうして悪口言われなきゃいけないんですか。ホント酷いうんこ野郎ですよ」


 当時の自分は重大な任務を果たせず、大きな損害を出した後だった。それなのにあの男はその深刻さをわかっていないのか、気の利いた言葉も浮かばないのに、無理して自分を励まそうとしていた。

 妻は自分に失望し、まだ幼い子供を連れて家を出ていった。何もかも上手くいかず当たり散らしていたのだから当然の判断ではある。それなのに、あの男ときたら……。


(馬鹿にもほどがある……)


 長いため息をついて、グラシコフは箱の中を覗いた。そこには、ひっくり返った一枚の写真があった。


 『九一七年三月、北ザラトイ港にて』……。船縁に手を置くダタールの写真だ。黒く映った制服はカーキ色、背景の灰色は曇りのない青空、やや濃い灰色の髪を靡かせた風は、川の流れと一緒で緩やかだったのを覚えている。

 こちらを見つめる顔は憂いでいた。警察学校も無事卒業。眩しすぎる都会の生活から心機一転し、グローニャという町で新たな門出を迎えようとしているのに、何だこのどんよりした顔は。


 グラシコフは鼻を鳴らして、ルキヤンとダタール、二人の帽子の間に写真を立てかけた。少しは嬉しそうにすればいいものを、このときは何度言ってもぎこちない笑みしか浮かべてくれなかった。

 引き取ったばかりの頃は、彼もまだ明るい少年だった。けれどいつしか、その輝きも曇りを帯びてきた。友人との関係に自信を失くしたのか、それとも手痛い失恋でもしたのか。何がきっかけかわからなかったが、気づけば気弱で陰気な性格になっていた。

 あのお気楽な父親とは大違いだ。いやむしろ、自分の父親が呆れるような男だと気付いたからかもしれない。


(不正合格、か……)


 結局、誤解したままだったのだろうか。警察学校の試験に合格した理由は、単に親が警部だったというだけで、自分に素養があったからではないのだと……。


 心外だ。どうして私の話を信じてくれない。

 私がお前に加担したとでも? 隠れて試験官と取引したとでも言うのだろうか。

 私はそんな安っぽいことで満足するような男じゃない。あまりに浅慮だ。笑ってしまう。

 あいつはいつも、自分のことで手一杯。だから、私の性格を度外視した考えしかできないのだ。そのくせあいつは無意味に、自分に価値があるかどうかを気にしてる。入学してからこの帽子が焼けるまで、ずっとだ。

 くだらん。そんなくだらないことで頭を悩ますなんて百年早い。

 ずっとだ。ずっとお前はそればかり……。迷惑だ。こっちの気も滅入る。


 こういうところはルキヤンそっくりだな……。台に手をついて、グラシコフは再び深いため息をついた。

 大きな手で顔を覆う。汚れたその手を、熱い涙が洗った。


「お前がいなくて、私は寂しいよ……」


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