シーン35「あたし一人とあなたたち二人」
気持ちのいい朝だった。少なくとも、目覚めてすぐはそうだった。昨日まで神妙な顔を浮かべていたダタールとオリガの二人も、今朝は晴れやかな笑顔を見せている。
枯れ木の向こうの大空は、青く澄んでいた。木漏れ日も風に吹かれ、ちらちら揺れていた。思い切り腕を伸ばして吸い込んだ空気も、キンキンに冷えて美味である。こんな日に優雅に送る朝食は、さぞ気分がいいに違いない。パーシアはニコニコ顔で鞄を開き、そこで目を瞠った。
「まあ、随分と寂しくなったことっ」
「どうしたの? パーシアちゃん」
「クッキーが底をつくのよ。市場で買い足そうと思ってたからこれしかないんだわ」
「あ、それなら大丈夫だよ。ほら、近くに海があるでしょ? そこで魚をとるの。枯葉もいっぱいあるし、火をつけるのも簡単だよ」
「あらオリガさん。ここは火気厳禁なのよ? 煙が上がったらあたし達の居場所がばれちゃうわ。いいの。買い出しなんてチョチョイのチョイよ。森の警備も、昨日みたいにおめめを誤魔化していけばいいんだわ」
オリガと出会ってから一日が経つ。たった一日ではあったが、三人はもうすでに仲良しになっていた。同じ秘密を共有した者同士だ。打ち解けるのも早い。それに、オリガもその年齢に反し、どこか無邪気なところがあった。パーシアとダタール、二人の性格的にも、オリガとは気が合うように思えた。
「今朝のお天気は気持ちの良い快晴。今日はお出かけにピッタリな、すっきりとした一日となりそうだわ」
パーシアはどっかり地面に座り、朝食を摂っていた。メニューは昨晩と同じ、『お家の余りものクッキーで作る・ザクロジャムこんもり乗せ』だ。
「テキトーな思いつきだったけど、なかなかに舌が鳴るお味だったわね。でもちょっと余りそうかしら……ねえダーリン」
と、パーシアはジャムをクッキーにふんだんに盛り付けて、ダタールの前に差し出した。
「こちらのクッキーおひとついかが? ダーリン、顔がお疲れじゃない。そんなときこそ甘い物よっ。疲れも吹き飛ぶわ」
山のように盛られたそれを虚ろな目で見つめ、ダタールは力なく笑った。
「ごめん、今はいいよ。とにかく眠いんだ。この身体も、さすがに三日目となると体力の消耗に耐えられないらしい」
「あら、そーお?」
「じゃあパーシアちゃん。私にちょうだい」
ドラゴンアイで周囲の様子を見渡していたオリガが、パーシアの隣に座って言った。
「パーシアちゃんのを見てたら、何だか私も食べたくなっちゃった。私、甘いのって全然食べてなかったんだよね」
クッキーを受け取って、オリガはまず、ザクロジャム山の頂を齧った。驚くような甘さに、思わず唸り声が上がる。それを見ていたダタールは、大きく瞼を広げていた。指の先まで食べる勢いでクッキーを口に押し込み、ごくんと喉を動かすオリガ。完食して満足そうなオリガに触発されたのか、ダタールは急いでパーシアに言った。
「パーシア。やっぱり僕ももらうよ」
「んまっ、結局ダーリンも欲しいんじゃない」
「ま、まあ、折角みんなが食べてるならって思って」
それもそうね、とパーシアはクッキーに山盛りジャムを盛りつけた。仲良しのお友達とお喋りしながらの食事。何気ないことではあるが、それも優雅なひとときだ。
ふと、懐かしい顔が頭を過る。ユリアとタチアナとリズの顔だ。
パーシアは慌てて首を振り、完成したクッキーを突き出した。ダメよ。あんなのと一緒にしてはいけない。あたしとダーリンとオリガさんの関係は、ドラゴンが結んだ特別なものよ。あんな作り笑顔溢れる空虚な友情とは違う。ちょっとやそっとじゃ切れやしないんだから。
「食べたらもう行くの?」
クッキーを食べ終えて、ダタールが言った。
「町へ行ったら新聞を買ってきてもらいたいんだ。もしかしたら、僕達のことについて何か書かれているかもしれないから」
「そうね。いいわ。任せてちょうだい」
「あとは、出来たら『世界のあちら側』も。もう月曜だから新刊も出てるだろうし、フロイドル氏の研究もあれから更に進んだろうから」
「『世界のあちら側』……?」
隣からオリガが、不思議そうに尋ねた。
「週刊誌だよ。多くの人類がまだ知らない世界の真実や秘密、科学や宇宙の神秘について掲載されている。『かつて人間の祖先は海中を渡る魚であった』と説いたかの有名な生物学者であるフロイドル氏がおよそ十年前に設立した『暁の夜明け団』という研究施設で独自の研究を行い毎週その研究成果や考察を雑誌に載せている」
「ふうん」
「生物学者であるフロイドル氏はドラゴンすなわちオリガさんが出現する以前からこの惑星を公転している月が我々人類に可視化されることのない『精神の息吹』を発する現象である『月の囁き』や植物がその精神の息吹を体内に蓄積させる現象である『ク・ルクール・プラントイヤ』などについて研究を行っていて今回ドラゴンが出現したときもいの一番にその研究に乗り出していた。生物学以外の研究にも明るいフロイドル氏だがやはり元は生物学者だからその方面には他の誰よりも長けている。だから僕は彼であれば自分自身では知り得ない僕達のことについて深い見解を示しているのではないかと考えているんだ」
ああ、また始まったのね、とパーシアはクッキーを食べながら思っていた。ダーリンは自分の好きなこととなると、急に人が変わったようになる。以前はよく戸惑っていたものだが、最近はもう慣れてきた。今も平静としていられるし、呆れた表情をすることもなくなった。
しかし、そう思っていられたのも数秒だけだったようだ。
「じゃあそのフロイドルさんっていう人は、私達ドラゴンにも詳しいってこと?」
「その可能性は比較的高いと考えられる。現に先週発刊された第三三二号では、ドラゴン出現の前兆が植物の持つ精神の息吹によるものだと考察を行っていた」
「じゃあ私達が本当のドラゴンになったらどうなるのか……元に戻る方法があるのかってことも、その人は知っているかもしれないんだね」
(あれ……?)
クッキーを噛んでいたパーシアが、ぴたりと動きを止めた。強烈な違和感が、頭を過ぎっていく。
(オリガさん、ダーリンの話平気なのかしら?)
問題はそんなことではない気がした。二人が真面目な顔で話し合っている……その光景が何故か胸に引っかかる。
そういえば先ほど彼は、一度断っていたクッキーを「食べたい」と言っていた。それも、オリガが食べるのを見た直後に。
でも、だから何? どうして今になって、そんなことが気になるの? 何故、あたしの胸はこんなにもざわざわするのだろう。何なのだろう。こんなに近くにいるのに、二人がずっと遠くに見えているこの感覚は……。
「パーシアちゃん?」
気が付くと、パーシアは立ち上がっていた。パーシアは青ざめた顔で、こちらを覗き込むオリガを見やった。
金色に光る二つの目と、身体を覆った白い鱗……。その姿に改めて、いや、更に深い恐怖心を、パーシアは感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます