シーン34「あたしのいない夜」


「知っているの?」


 たった一つだけの金の目を輝かせ、ダタールは頷いた。『ラスラ山暴発事件』……今から約一か月前に起きた事件だ。被告の名前はアレクセイ。彼は主人らと狩りに出かけた際、狩猟用の銃で同僚を誤射したとして有罪判決を言い渡されている。


「新聞に載っていたんだよ。ドラゴンが、オリガさんが現れてからはほとんど話題に上らなかったけど……僕は、覚えてた」


 容疑者のアレクセイは事件当時十七歳。ほぼ自分と同じ年齢だ。その年頃の殺人犯なんてこの世にごまんといる。しかし、何故この事件だけが自分の中で色濃く残っていたのだろう。無実の主張も、家族の控訴も受け入れてもらえなかった……それが、その理由なのだろうか。


「そっか、新聞に載ってたんだよね。私ね、警察が見落としていたもう一個の証拠を探しに山に行ったんだ。それがあれば、弟の話も聞いてもらえると思ったから」

「『証拠』……?」

「弾丸だよ。弟が発砲した弾丸。弟が言っていたの。被害者を撃ったのは、熊の噂に怯えた主人の息子だった、って。息子も主人も認めているけど、裁判長の家だから責任を負うことは出来ないんだ、って……。誰が撃ったか分かっているのに、全部弟のせいにされたんだ。『行き場を失くした君のことは必ずまた雇うから』……そう主人に言われて」


 ダタールはそっと閉口した。そうか。やはりそうだったのか。

 懐かしい記憶が蘇る。あれは数週間前。狼の事件について再調査を行っていたとき……そうだ、パーシアの家を後にしたときだ。当時世間を騒がせていた『ラスラ山銃暴発事件』について、イェゴリとヤコブと束の間の、屈辱的ともとれる討論を交わしていた。

 あのときは確か、裁判が終わった直後だった。いつの間にか判決が下っていたことに自分は驚いていた。納得が出来ないでいると、二人は呆れていた。「証拠はすでに出揃っている」、「それなのに判決が早いと言って聞かない」……まるで調査は穴のない完璧なものだったと言わんばかりの言い草で、疑念を抱く自分の方が可笑しいというような態度だった。


 けど、実際は違ったのだ。判決が早いのには理由があった。アレクセイの主人は、息子の罪を彼に擦り付けていた。立場上息子を罪人には出来ず、事実を封殺したのだ。


「でもね、裁判のとき一つだけ見落としていたことがあったんだ。それがさっき話した『弾丸』。だから判決が出た後だけど、急いで探しに行ったの。その弾丸が弟のものだと分かれば、裁判をやり直せると思ったから」


 事件が起きる数分前、アレクセイはカモを狙って発砲した。しかし的は外れ、カモを取り逃がしてしまったという。

 彼の証言が本当なら、そのときの弾丸があるはずだ。だが、裁判ではその話は触れられなかった。凶器となった銃も、別物を使っていた弟のものにされていた。だから例の弾丸を見つけ、弟が使っていた銃から発砲されたものだと分かれば、調査が不十分であったと証明できる……そうオリガは考えていたようだ。


「弾丸は?」

「あったよ。枝の付け根に埋もれてた。でも、そのすぐ後に声が聞こえたの。弟によく似た、若い男の子の声……。それで気が付いたら、変な実を食べてドラゴンになってた」


 ごつごつと硬い膝を抱え、オリガはまた夜空を見上げた。ドラゴンアイには、星が近くに映っている。遠い彼方にあるというが、大したことのない距離だ。祖父と弟に比べたら、ずっと……。


「ドラゴンは、私達を使ってどうしたいんだろうね」


 オリガがぽつりと呟いた。


「人間に復讐したいのかな? 『忘れ去られるまで待っていた』って言ってたから」


 ダタールは例の日のことを思い出していた。復讐が目的かは覚えてないが、確かドラゴンは、『選ばれし者に力を与える』と言っていた。


「難しい言葉ばかりで、何言っているのか全然分からなかったな。『とうた』……されし者、って言ってたけど、『とうた』ってどういう意味なんだろう」

 ダタールは答えようとして、すぐに口を噤んだ。それを伝えるのは、あまりに酷なことだった。


「私ね、何となくだけど、仲間外れのことを言うんじゃないかなって思うんだ。世の中に必要とされなくなった人。私が聞いた声、何だか気の毒そうに言っていたから」


 つまり、慈悲だったのだろうか。かつて強大な力を持ちながらも、友であった人間に裏切られたドラゴンの慈悲……。


(僕達が、『淘汰されし者』だから……)


「私、馬鹿なんだ。死んだお父さんがお店をやっていたことも知らなかったし、失敗して借金があったことも知らなかった。こんなだから自分が笑い者にされていじめられていることにも気づかなくて、いつも弟に助けてもらってた。弟はすっごく頭が良いんだ。だからあの家に雇われたの。でも今は檻の中……私の話も誰も聞いてくれない。だからドラゴンは私を選んだんだろうね」


 でも……、とオリガは続けた。


「私、やっぱり弟の無実を証明したい。そうしないと、弟はずっと犯罪者として生きていくことになる。どんなに悪口言われても、どんなに信じてもらえなくても、弟は殺してない……それは事実なんだから」


 ダタールはイェゴリの言葉を思い出した。オリガが必死に上訴するのは、一家の稼ぎ手が必要だから。だから嘘をでっち上げてでも弟を釈放したいのだ、と。

 あのとき自分は思った。調査期間も短いのに、果たしてそう決めつけていいのだろうかと。

 『速断は真実の在り処ならず』。自分の慕うフロイドル氏の言葉があったからこそ、疑えたことだ。


「僕も言われた」

「え……?」

「『オリガさんは稼ぎ手が欲しいから、弟を無実ということにしたいんだ』って。言い返したら笑われた。『急いで出した決断に真実はない』……そう言ったけど、僕なんかが言うことだから」

「……」

「僕もドラゴンに選ばれた身なんだ。だから、オリガさんの気持ちもわかる気がする。きっとあのときも、僕自身を無碍にされたように感じたんだ。『熟考こそが真実の近道』。僕の尊敬する人の言葉も、全部『僕』というだけで聞き入れてもらえなかったから……」


 オリガは暗闇に光る金の瞳を見つめた。そして、しばしの間を置いて、安堵したように微笑んだ。


「何だか弟を見ているみたい。そっか、ダタール君みたいな人もいたんだね。あーあ、もっと早くに会えたらなぁ……そうしたら、私もおじいちゃんも弟も、ずっとずっと心強かったのに」


 その瞬間、ダタールの胸に懐かしい感触が蘇った。垂れた手首を掴む小さな手……冷たいその手には、身体の芯を温める心地よさがあった。

 ドラゴンになる数時間前。町の階段で出会った少年は、不安げな目でこちらを見つめていた。

 ドラゴンの噂に怯え、助けを求めてきた少年……。自分はたまたま近くにいた『おまわりさん』、ただそれだけだった。

 だけど、それがとても嬉しかった。自分でも、誰かの力になれるのだ。


「決めていることがあるの」

「『決めていること』?」

「私はもう一度、弟の無実を証明する。私はどうなっていい。弾丸の場所だけでも伝えなきゃ。弟を救える人は、誰もいなくなる。だからここに来たんだ」


 オリガはまっすぐにダタールを見据えた。


「あなたなら元に戻す方法を……ううん、ただ協力だけでもしてくれないかって、そう思って」


 ダタールは一瞬、戸惑いの表情を浮かべた。けれど、自分を頼ってくる者に、そうする必要はどこにあるだろう。


「勿論、協力するよ。僕にそれが出来るなら」


 ありがとう、とオリガは微笑んだ。オリガはダタールの膝に眠るパーシアを、優しい眼差しで見つめた。


「ぐっすり眠ってる。どんな姿になっても、ダタール君のことが好きなんだね」


 そのとき、ふとダタールの頭に疑問が浮かんだ。


(あれ? どうして僕は、パーシアのことが好きなんだろう……)


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