シーン33「あたしたちにあるもの」
早朝に現れた捜索隊は、夕方になると再び姿を消し去った。オリガというもう一体のドラゴンが出現したことによって、捜査は再び行われたようだったが、やはり少ない人員では進展はなく、早々に打ち切ったようだった。
町は現在、二体目のドラゴンの出現で混乱状況にある。ドラゴンと戦う術もない今、人々が優先すべきなのは安全確保となったようだった。
パーシアは捜索隊から逃げている間、ダタール、そしてオリガから一通りの事情を聞いていた。オリガは見ての通り半人半竜……それも、額から伸びた髪だけを残した、ほぼドラゴンに近い半人半竜だった。
鱗は雪の影のような蒼白色。両手に生えた爪は青く、ダタールに比べてグンと長い。オリガ・ラクツカヤは十日前、隣国ベルニアのラスラに突如として現れたドラゴン、その人だった。彼女もダタールと同じく、妙な木に出会ったことで今の身体になってしまった。あのとき世界を震撼させたドラゴンもまた、ダタール同様何の力も持たない人間だったというわけだ。
「人間の味方が一人でもいるのは、心強くていいね」
一人の人間と、二人の半人半竜。星が瞬くだけの静かな森の中に、オリガは声を響かせた。
「私もドラゴンになってからずっと、おじいちゃんが傍にいたらなぁって思ってたんだ」
パーシアはジャムを掬って話を聞いていた。今晩のメニューは、家から持ってきた甘いクッキーに、甘いザクロジャムをこんもり乗せたものだ。
「あらま。じゃあオリガさん、十日もご飯を食べてないの?」
「うん……山にも食べられそうなものはなかったから」
「まあ大変っ! じゃあ……これっ。歯もとろけちゃうくらいの甘ーいクッキーよ。良かったらおひとつどーぞ」
「ありがとう。でも大丈夫。この身体不思議なんだ。お腹も減らないし、眠くならないの」
オリガが言うには、この身体になってから空腹を感じたのはたったの一日もないという。睡眠も二、三日に一度だけで済んだらしく、人間の身体と比べ、明らかに体力が増強されているようだった。
しかしそんな強靭な身体も、自らの意思とは裏腹に徐々にドラゴンの力に飲み込まれていく……。ダタールがこの身体になってから早二日。オリガの話を聞く限り、再びあの恐ろしい竜化が襲ってくるのも近かった。
「おじいちゃん、心配しているだろうな」
ラスラのある東の空を金色に変わった目で見上げ、オリガはぽつりと呟いた。
「きっと今でも私の帰りを待ってるよ。おじいちゃん、本当に一人になっちゃったから」
ダタールも夜空を見上げ、ゆっくりその目を手元に落とした。人間の右手とドラゴンの左手……。何度見ても慣れない、異様な姿だ。
そういえば、鱗に覆われた左の薬指には、警察学校時代に出来た肉刺の跡があった。射撃訓練の際近くにいた警察犬に怯え、変に力んでしまったことが原因で出来た肉刺だった。その話を聞いた父は呆れ果てていた。自分でも、何て馬鹿げた理由だろうと思う。
(こんな身体になったのだって馬鹿な理由だ。帰りを待っている人か……こんな役立たずな僕を、父はどう思っているんだろう)
その隣で、パーシアはもぐもぐクッキーを食していた。なるほど。確かにたった一人で自分の帰りを待っているおじいちゃんがいるのなら、オリガが心配するのも無理はない。あたしも帰りが遅くなると、おばあちゃんが気を揉んでないか不安になっていた。
……あ、しばらくお家をお留守にしてるけれど、誰か心配してたりしないかしら? パーシアは瞼を閉じて、町中、工場、自分の家を順に想像していった。
(あ、そんな人、いなかったわね)
儚げに空を見上げていたオリガも、そうっと目を落とした。
「私ね、弟がいるんだ。でも今は刑務所にいるから、おじいちゃんの傍には誰もいない」
「あら『刑務所』? どうしたの?」
「仕事の仲間を間違えて撃った……そういうことにされたの。本当は撃ってないのに、どうしてか弟のせいにされちゃった」
「まあ何それ。酷いわ」
「だからおじいちゃん、身体も弱いのに助けてくれる人がいなくなったんだ。元の身体に戻るかわからないけど、人を殺したから私も犯罪者……もう、昔みたいにはなれないよ」
◇
夜も更けてきた。パーシアはオリガと離れ、ダタールと二人、ドラゴンアイを頼りに川まで水を汲みに歩いた。
「オリガさんお疲れだったでしょうね。十日も一人で耐えていたんですもの。あたし達なんて目じゃないわ」
水分を補充して帰る頃になると、パーシアはこっくりこっくり舟を漕いでいた。今日は半日もの間、捜索隊に追われて広い森を歩き通しだったのだ。人間とドラゴンの残酷な体力の差である。ダタールは自身の左目にオリガが近づいてくるのを確かめると、その場に座り込んでパーシアを休ませた。
「いいなぁ、ぐっすり眠ってる。私は全然眠くならないや」
ダタールの固い膝を枕にして、パーシアが気持ちよさそうに寝息を立てている。オリガが隣に腰を下ろすと、ダタールは長い間を置いて尋ね出した。ずっと、気になっていたことだ。
「『アレクセイ』、だったよね。弟の名前は」
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