シーン29「あたしのサンクチュアリ」
鞄が重いのも忘れて、パーシアは必死に走っていた。東サザナミ森はもうすぐ。今は、一刻も早くダーリンに会いたくて仕方がない。
彼に会えば、全てが解決するはずだ。拷問を受けた気持ちになったことも、そこで蘇った悲しい帰り道も。あたしのこともおばあちゃんのことも、全てが信じられなくなったあの息苦しさも……きっと、くしゃみのようにどこかへ消えてしまうはず。
ユリアやリズなんぞ敵ではないのだ。あたしには、ダーリンという恋人がいるのだから。
だんだんと森の入口が見えてきた。昨晩、彼と二人きりで歩いた道だった。
パーシアは喜びに笑顔を浮かべ、すぐさまその笑みを引っ込めた。カーキ色の制服を着た警察官が、森の周囲をうろついている。警備だろうか。物々しい幌トラックの傍で、十人にも満たない警察官が武装をして辺りを見渡していた。
パーシアは彼らと目が合う前に、そっとその場を離れた。森を出たときは誰もいなかったが、今は警備態勢も整っているようだ。町で聞いた話によれば、現在は警察官や猟師など約百名ほどが隊を組んでドラゴン捜索を行っているらしい。東サザナミ森は広いとはいえ、それほどの大人数ではドラゴンが見つかる可能性も低くないだろう。
(ダーリン、お縄になってたりしないかしら?)
悪い妄想を振り切って、パーシアは急いでそこから逃げ出した。どこでもいい。みんなの目が届かない安全な場所から森に入らなければ。あたしのダーリンは連れ去られてしまう。ダーリンは今、服が破けてスッポンポン。それだけなら良かったが、身体にはドラゴンの変身を赦した証にと紅い鱗が生えているのだ。最悪、銃殺というのもあり得る。もしそうなったら……あたしはどーすればいいの?
先ほど警備がいた場所からだいぶ離れてきた。森沿いを巡回する警察官の目を盗んで走っていくと、やがて森に侵入するのにうってつけの場所を見つけた。周りには誰もいない。あるのは無人の住宅だけで、警察官の姿もない。パーシアはこっそり茂みに身を隠して、そのまま森の中へと侵入した。彼と最後に別れた方角へと慎重に進んでいく。後は捜索隊に見つからないよう気を配るだけ……そう思ったとき、近くから囁くような声が聞こえてきた。
「パーシア」
ドキリとして、パーシアは振り返った。幹の裏からゆっくり現れた影に、パーシアはまたドキッとして硬直してしまった。
「ダーリン……」
身体の左半分と下半身を赤い鱗で覆った男……。一瞬恐怖してしまったが、そこにいたのは我がダーリンであるダタールだった。
パーシアは重い鞄をぼとりと地面に落とすと、歩み寄ってくる彼に勢いよく飛びついた。
「ああっ、ダーリン! あたしのダーリン! 良かった、無事ね。無事なのねっ」
ダタールもドラゴンと人間の手で、ひしとパーシアを抱き留めた。
「良かった、来てくれて……。遅かったらどうしようかと」
パーシアは鱗と肌が交じり合った胸に、ぐっと頭を押し付けた。ここに来る途中拾った青リンゴのことを思い出し、記憶を削るようにゴリゴリ頬を擦りつける。
「ごめんなさいダーリン。でも、とっても会いたかったわ。ダーリンに会いたくて、仕方がなかったの」
「僕もだよ。パーシアに会うのが待ちきれなかった。だからここまで来たんだ」
互いの身体を締め付けて、熱い唇を重ねる。彼の唇は、まだ人間のままだ。甘くて溶けそうで、全身がビリビリする。けれど、心地いい感触だ。不安も苦しみも、全てがこの一瞬で吹き飛んでいく。よどんだ心も唇を通して浄化されていくようだ。
(ああ……あたし、ダーリンに恋をしているのね)
「あらっ。でもどうしてダーリンは、あたしがここにいること知ってるの?」
唇が離れた瞬間、ダタールは急に辺りを警戒し始めた。首を傾げるパーシアに静かにするよう合図をし、何かに耳を澄ませている。
パーシアもキョロキョロ辺りを見渡した。何もないし、何も聞こえない。しかし、ダタールの目は真剣だ。
そして、どこか怯えてもいる。
「行こう、パーシア。こっちに来る」
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