第三章「あたしたちの変容」
シーン27「あたしの目に映る町」
グローニャの町は、ほのかに苦みが漂っていた。雨上がりの湿った空気に木の焼けた匂いが混ざり、視界はどんより曇っていて、人々の目も不安に満ちていた。
パーシアはパンパンに膨らんだ鞄を掴んで、昨日と打って変わった町の様子を眺めていた。広場に集う人の数は、先ほど通りかかったときよりも多くなっている。役所の前に出来た人だかりも、数時間前と比べて大きい。みんなその中で、ようやく重い扉を開いた町長の話に耳を傾けていた。
「これから政府が今後についての緊急会議を開くことになった」、「指示が出るまでの間、森へは近づかず待機をするように」……。 銅製のメガホンで呼びかける町長の声は、少しだけ震えているように感じる。
ドラゴンの出現により、駅と港は停止。事業も勿論停止で、グローニャの人々は、いつまた現れるかわからないドラゴンに怯えながら、更に警戒態勢を強めることとなった。
(まあ残念。じゃあ今日は市場は出ないのね)
ぼやけた空に浮かぶ太陽は、まだ真南を目指している途中だ。普段であればこの時間は市で賑わっているはずなのだが、このような状態では出店するのも厳しいようだった。
出来ることならパンやヨーグルトを調達しておきたかったのだが、それも叶わないらしい。家から持ってきたお気に入りのジャムは、しばらくは素材そのままで食べなければいけないようだ。
それもこれも、全部ドラゴンのせい。ホント、メーワクなドラゴンだ。
とそこまで思って、パーシアは気が付いた。迷惑も何も、今回森に現れたドラゴンは、何を隠そうあたしの愛するダーリンではないか。
(んまっ、あたしったら困ったさんね)
昨晩東サザナミ森に現れたドラゴン。その正体が人間――つまりダタールであると知っているのは、どうやら現状自分だけのようだ。
彼が謎の実を口にしドラゴンに変身したあの後、森はドラゴンの吐く炎で焼かれてしまった。町から駆けつけてきた警察官がすぐさま機関銃で応戦するも、ドラゴンは硬い鱗に守られ、無傷だった。ただ、それでも痛みは感じるのか、大きな悲鳴を上げて森の奥へと逃走。やがて光を発して姿を消し、自分が駆けつけたときにはダタールは元の人間、いや、人間の皮膚にドラゴンの鱗を生やした半人半竜の状態で地面に突っ伏していた。
それを知っているのはダタールと自分だけ。恐らくそのはずだ。先ほど火傷を追って森から帰ってきた警察官も、まだドラゴンの居場所を掴めていないと嘆いていた。
けれど、あれから数時間が経っている。もしかしたら、今は……。
パーシアは顔を上げた。こんなふうにぼーっと突っ立っている場合ではない。すぐにでもダーリンのもとへ行かなければ。ダーリンはあたしを待っている。愛するあたしの、信じるあたしの助けを求めて待っている。森であの人が見せた涙を思い出すと、胸がぎゅっと締め付けられた。何故か身体も跳ねてしまうような、居ても立っても居られないそんな感覚に襲われた。
(ああ、ダーリン、無事でいて。あたしは今、あなたのもとへ向かいます)
パーシアはブンっと重い鞄を振って、森へと駆けだした。陰気な雰囲気漂う広場を抜け出して、一人勇ましく街道を渡っていく。
グローニャの町は、今や完全に活気を失っていた。たまに笑い声が聞こえてくるかと思えば、現実逃避する酒飲みのものだった。ほとんどの人々は、灰となった森を悲しげに見つめていた。そんな人々の脇を通り過ぎようとしたとき、足にゴツッと何かがぶつかってきた。
「あだっ!」
足のつま先から何かが転がっていく。ゴロゴロ転がるそれは、青リンゴだった。
けれど今はリンゴにかまけている余裕はない。そう思って走り去ろうとしたが、パーシアは立ち止まった。あ、これもしかしてあたしのかしら? 確か、家から青リンゴを二つ持ってきたはずだわ。
パーシアは慌ててリンゴを追いかけて、踏みそうになりながらもそれを拾い上げた。鞄の方を一目見る。しかし、開いていた様子はない。念のため近くのベンチに鞄を置いて、中身を確かめた。青リンゴは、きちんと二つ入っている。
なら、今手にしているこれは……? 不思議に思ったそのとき、ベンチに腰掛けていた誰かが話しかけてきた。
「パーシア」
パーシアは顔を上げ、すぐさまムッとした。短い金髪を風に揺らし、灰色の目を穏やかに細めてリズが笑みを浮かべている。レザーコートの袖から出た手には大きめのハンカチ。隣には、開けっ放しのトランクが置かれている。服や雑貨を乱雑に敷き詰めたトランクには、丁度リンゴ一つ分が収まる丸い空白が出来ていた。
「リンゴ、ありがとう」
「……」
「それ、私のなんだ。さっき落としちゃって」
パーシアはぶっきらぼうにリンゴを突き出し、リズの手がこちらに触れる前に、ぽんっとそれを彼女の手に落とした。さっさと手を引っ込めて、鞄に目を戻す。リズが、リンゴの土を払いながら言い出した。
「昨日は驚いたね」
「……」
「ちょうど荷支度の最中だったんだ。そうしたらお母さんが急に騒ぎ出して、何かと思って窓を見たら、森が火事になってた。まさかドラゴンだとは思わなかったけど」
「……」
「パーシアはそのときどうしてたの? 荷物があるみたいだけど、どこかに出かける予定だったの?」
パーシアは鬱陶しそうな目でちらとリズを見た。こちらは何の反応も示さないのに、リズは純粋無垢な顔で話し続けている。
ドラゴンが現れて、町は緊迫した様子だ。けれど、知り合いに会えて安心でもしたのか、にこやかな表情を浮かべている。もう自分とは『友達』ではないはずだ。そうやって笑って待っていても、赤の他人の自分からは励ましの言葉なんて出てこないのに。
パーシアは首を動かして、じっとリズを見た。とそこで、ベンチに座るリズの奥に、ユリアの姿を発見した。ユリアは数メートル離れたベンチに腰掛けて、コートのポケットに手を入れてこちらを見ている。
咄嗟に、パーシアは言った。
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