シーン26「あたしたちの運命」


 周囲を警戒しながら恐る恐る、けれども急ぎ足で彼の後を追っていく。前方を歩くダタールは、いつになく真剣な顔だ。鋭い目でじっくりと大木を見やり、複雑にうねる木の根を長い脚で飛び越えていく。

 大木を一周しようと歩き出し、数秒後。ダタールが、何かに気づいて立ち止まった。

 赤い実だ。大きな赤い実が、二つの大木の間になっている。

 他に葉もつけていない、枯れた大木だ。そんな枯れ木が、黄色く紅葉した葉だけを剥がし、長く垂れ下がった枝の先からたった一つの赤い実をつけている。

 追いついてきたパーシアも、不思議なその実にあんぐり口を開けていた。

 ダタールは勇気を振り絞って、赤い実の前に歩み出た。


「ダーリン、どうするの?」

「少し触って確かめてみようと思うんだ。大丈夫。食べたりしないから」


 携帯してきた機関銃を掴み、ダタールはその細い先端で、コツ、コツ、と実を突いた。瓜のような見た目から表面は固いだろうと予測していたが、実は想像を遥かに超えて石のように頑丈だった。

 突いても突いても、傷がつくどころが微動だにしない。手袋をはめて掴んでみるも、実は宙に張り付いてでもいるのか、もぎ取ることはおろか、揺らすことも出来なかった。


「な……何なんだ、これ……?」


 そのとき、ダタールの耳元に、背筋も凍るような生ぬるい風が吹きつけてきた。

 見ると、大木に穴が開いていた。幼児の頭ほどの穴から、風と共に低い唸り声が聞こえてくる。

 ダタールはそうっと近づいて耳を澄ませた。パーシアも歩き進んで、声を確かめた。

 オオオ……という風の音にも聞こえるそれが、だんだんとはっきりした壮年の声に変わっていく。中に人でもいるのだろうか……。そう思いながらも、二人は黙って耳を傾けた。


 汝、人の子よ。我は人と共に長き時を歩みし存在

 この声を聞けし者。汝は我に選ばれた

 汝、孤独であるならば、我が力を得るに相応しく

 汝、浮世に淘汰されし者ならば、静穏なる在りかを汝に与えん


 一体誰の、何の声かはわからなかったが、ダタールはその低く重い男の声に、暗い顔を浮かべていた。


(『淘汰されし者』、か……僕は、そうなのだろうか?)


 その隣で、パーシアは難しそうに顔をしかめていた。


(何言ってるのかわからないけど、すごく時間を気にしているみたいね。確かに今何時かしら? 八時くらい?)


 二人を誘うような厳かな声が、再び響き渡った。 


 友は我らを葬り去らんとし、我らは子孫を絶った

 我が魂は大地に植わり、八百年の時に眠り、継承者を待った

 汝、人の子よ。我の意志を受け継ぎて

 汝、我が友の子よ、闇に消えし我と共に、生きる術をここに


 ドクンッ。

 突然、二人の心臓が高鳴った。次に瞬きをした瞬間、二人の視界は真っ赤に染まっていた。

 二人は意識もないまま、茫然と赤い実を見やった。一面真っ赤な視界の中で、赤黒く光るそれが大きく鼓動している。まるで、生きた心臓のように……。

 ぐらり、と身体が揺れた。二人は呼ばれたかのようにまっすぐ実に向かい、そこに手を伸ばした。

 先に掴んだのはダタールだ。実は、少し捻るだけで簡単にもぎ取れた。

 ダタールはそれを口に運ぶと、大きく口を開いた。

 ガブリ。

 そこで、パーシアはハッと目を覚ました。気が付くと、真っ赤だった視界は解け、元の景色に戻っていた。

 けれど、目の前では信じられない光景が広がっていた。ダタールが無心で実を食べている。あの石のように硬い実をいつの間にか手に掴んで、だらだら涎を垂らしながらバクバクと。

 歯は欠けないのかしら? そんなに美味しいのかしら? あまりに衝撃的な光景に、頭の中が混乱している。

 ダタールは最後の一口を飲み込むと、喉の奥から息を吐いた。


「げぶぅ」


 パーシアは思わず後ずさった。一瞬、ダタールの口元が赤く光った気がした。

 だが、それは気のせいなどではなかった。目の前の枝が、ちりちりと燃えている。

 枝はあっという間に炭になり、煙を上げてぽとりと地面に落ちていった。と同時に、実をつけていた木が膨れ上がり、ブオッ、と音を立てて萎んでは、ただれたように溶けて地面に消えていった。


(おならを、したわ……今、木が、おならをしたわ……)


 何が何だか、訳が分からなかった。

 パーシアはやっとの思いで声を発した。


「だ、ダーリン……?」

「え……?」


 きょとんとした顔で振り返る……のも束の間。こちらと目が合った瞬間、ダタールの目が大きくなって、弾けんばかりに膨れ上がった。

 皮膚も徐々に黒ずんでいき、そこからボコボコと何かが生えてくる。


「ひっ……!」


 真っ赤な鱗だ。ダタールが叫ぶ間もなく、鱗は彼の悲鳴と全身を飲み込んだ。

 内側から服が破かれる。

 そこに現れたのは、この間優しく触れたのとは違う、爬虫類の皮膚。子犬のように愛らしい瞳は金色に変わり、柔らかだったあの唇は今は見る影もない。

 そして何より……ダタールは天を仰ぐほどの怪物になっていた。

 二つの角、鋭い牙、背中に生えた大きな翼……。


(あらら、大変っ)


 パーシアは両手で口を覆った。


(あたしのダーリン、ドラゴンになっちゃったわ!)


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