シーン25「あたしを脅かす不穏な風」


「ねえ、ダーリン。なんかクサいわ」


 森を歩いて一時間。二人は道路の中間辺りまで来ていた。

 ダタールは足を止めて、パーシアの言う匂いを確かめた。しかし感じ取れなかったのか、再び歩き出して暗い夜道を進んでいく。

 ランタンの明かりをただひたすらに追いながら、パーシアは険しく顔をしかめた。小さな鼻を刺激する匂いは、柵で仕切った森林の香りに混ざってしている。焦げた匂いにほのかな甘みが加わった、何とも奇妙な匂いだ。

 すると、ようやくその匂いに気づいたのか、ダタールがぴたりと足を止めた。


「本当だ……」


 真っ暗闇の中に、ぼうっと光るランタンを突き出す。ちょうど匂いのする南の方。土が隆起し、柵がうねっていた。その奥に見える木々は、風に吹かれたまま時が止まったかのように、不自然に枝を伸ばして植わっている。


 例の証言通りだ。

 二人はごくんと唾を飲み込んだ。もしかしたらこの近くにドラゴンが……そう思うと、途端に緊張してくる。こちらはあくまで調査をしに来ただけの二人。武器は一応、機関銃が一丁あるが、それだけでは到底太刀打ちできそうもない無防備な二人だ。


 というより、どうしてダーリンは一人で来ようと思ったのかしら? と、パーシアは今更ながらに思った。

 二人きりの夜のデートは楽しい。何よりあの広い家の中、どこか空虚な思いを抱きながら朝を迎えずに済む。が、ここに来てふと冷静になってしまった。未だ討伐方法の判明していないドラゴン。それが関係している異変なら、複数人で調査をした方がいいと思うが。


(このダーリンって人、そういうところが謎よね……)


 そう思っていると、パーシアの手の甲にダタールの指が触れてきた。パーシアは甘えてきたかのようなその指を微笑ましげに掴んだ。

 その隣で、ダタールは暗がりの中のパーシアを見た。ぶつかっただけの手を握ってきたということは、怖がっているのだろうか……。


(だから危険だって言ったのに……この人も無鉄砲だよな)


 とはいえ、一緒に来てくれたことには少しほっとしていた。ダタールは柵の奥を見つめ、意を決したように頷いた。


「うん……行こう。大丈夫。何かあったら僕が守るから」


 パーシアは熱を帯びた目でダタールを見上げた。まあ、ダーリンったら、なんて頼もしいのかしら。わんこに怯えてたのが嘘みたいね。

 そうだわ。ダーリンはあたしが好きなのよ。あたしのことを愛しているのよ。

 よーし、それじゃ、あたしも怯んじゃいられないわねっ。


「ええ、行きましょ。ダーリンがいるならあたしも心強いわ」


 二人は柵を跨いで森に入った。伸びきった草をかき分け、暗く鬱蒼とした森を、肩を寄せ合いながら進んでいく。

 異変の香りは、進むほどに強くなっていった。と同時に、辺りの景色もだんだんと変わり始めていった。先ほど見たあの不思議な形の木も、大きく身体をそらして道を開けている。地面は雨も降ってないのにねたねた粘りっぽく、生ぬるい風が二人の身体に気持ち悪い寒気をもたらした。

 人も獣もいない森を、悪臭と不調に耐えながら渡っていく。


 やがて、空を覆った分厚い雲から、星空が現れた。


「……」


 満月の光で煌々と照らし出された風景に、二人は思わず足を止めた。そこには、それまで見たこともないほどの珍妙な光景が広がっていた。

 しおれたように頭を垂らした木。一つ残らず枝から抜け落ちて、絨毯のように地面を覆った黄色い葉。

 まるで夢の中……そう錯覚するほどの不気味な場所だった。

 だが、二人の目を一番に引いたのは、跪く木々の前に君臨したように立つ、二つの大木だった。

 決して高さはない、ずんぐりとした二本の木。そんな木が仲良く寄り添って、広げた傘のように大きく枝を垂らしている。


「変なの……」


 具合が悪いのも相まって、何とも言えぬ気味の悪さだった。

 妙な風の音も徐々に大きくなっている気がして、パーシアはぶるりと身体を震わせた。


「さ、帰りましょ、ダーリン。調査も無事完了。おめめにしっかり焼き付いたわ」

「う、うん……」

「お空も……うん、そうね。だいぶ暗いわね。それじゃダーリン、帰りましょっ」


 パーシアはダタールの手を引いて、急いで踵を返した。

 しかし、ダタールは動かなかった。じっとその場に立ち尽くして、大木を見つめている。

 このまま調査を終えていいのだろうか……。数時間前、町の階段で起きた出来事を、ダタールは思い出していた。

 もっと情報を掴まなければ……。ドラゴンに怯えるあの子のためにも。

 それに……僕はこんなことで怖気づくような臆病者じゃない。


「ごめんパーシア。僕、やっぱり行くよ」

「え?」

「調査を続ける。怖いなら、ここで待ってて」


 パーシアが言葉の意味を理解する前に、ダタールは颯爽と大木へと歩き出していった。

 手からはすっかり彼のぬくもりが消えてしまっている。パーシアは青ざめた顔で慌てて彼を呼び止めた。この暗闇にあたし一人を置いていくなんて……そんな恐ろしいことったらないわ。


「ま……待ってダーリン! あたしイヤっ。あたしも行くわ」


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