シーン24「あたしたちはいつでも一緒」


 少女の声が聞こえたのはそんなときだった。顔を上げると、欄干を掴んでこちらを見下ろす少女がいた。

 茜色の空を背に、頭を覆ったプラトークの裾を風に揺らしている。少女は青い瞳をキラキラさせながら、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 彼女だ。


「パーシア」


 パーシアはそこから両手を突き出し、冷たい手で頬を包んで接吻をした。ダタールは、欄干から落ちそうになる彼女の肩を支えながら、熱い柔らかな唇に、力強く自分の唇を押し付けた。

 ひとしきりキスをすると、パーシアは器用に身体を引っこめて階段を駆け下りてきた。激しく胸に飛び込んできた彼女の身体は、手と同じく冷たかった。服も着ているのに、この間とは打って変わって。


「ああっ、ダーリン会いたかったわ! こんなところで会うなんて奇跡のようだわね!」

「本当だ。でも、パーシアはどうしてここに?」

「ん? そうね……別に何でもないのよ。ただちょっと散歩がしたかっただけ。でも、ダーリンに会えたらなってずっと思ってたわ」


 パーシアは更に強い力で胸元に頭を押し付けた。ダタールもそれに応えるように、ふわりと頭を包み込む。少年に引き続き、僕の彼女である。不思議だ。あの子と彼女じゃ年も性別も違うのに、どうしてこんなに心が満たされるのだろう……。と考えた後で、ダタールはハッとした。今はこんなことをしている場合じゃない。


「ごめんパーシア。行くところがあるんだ」

「あら、どこに?」

「東サザナミ森だよ。調査をしに行くんだ。さっき、男の子と約束したから」

「まあっ。じゃあ、あたしも行くわ」


 えっ、とダタールは目を瞠った。彼女も一緒? ドラゴンがいるかもしれないのに。


「いや、だけど、もうすぐ夜になるし……」

「夜が何よ。そんなのへっちゃらだわ。ダーリンとだって乗り越えた夜よ? 何も着てなくたって……」

「あ、その、そうじゃなくて、危ないかもしれないんだ。だってドラゴンが……」

「『ドラゴン』?」

「そう、ドラゴンが東サザナミ森に……」


 と言いかけて、ダタールは慌てて口を閉ざした。そうじゃない。何をしてるんだ僕は。キョロキョロ眼球を動かして辺りを見渡す。誰かに聞かれたら大変だ。そう、かの崇拝的なるフロイドル氏も言っていたではないか。『我々が真実の光を待つ間、太陽は星の裏側でゆっくりと歯を磨いている』と。


「待って、静かにして。その……気配があるか調べに行くだけなんだ。れ、例のものの前兆かどうか」

「あら、そういうことね。じゃあやっぱりご一緒するわ」


 ダタールはまたも目を瞠った。え、だから、ドラゴンがいるかもしれないのに?

 すると、パーシアがその深く青い目で、じっとダタールを見つめ返した。


「あたし、ダーリンと一緒にいたいわ。折角こうして会えたんだもの。あたしにはドラゴンより、ダーリンと離れることの方が恐ろしいわ」


 彼女の瞳は震えていた。その潤んだような瞳に、ダタールはつい胸を打たれてしまった。

 ああ、そうだ。どうして忘れていたんだろう。彼女は僕を愛している。その、重大な真実を。


「……わかったよ、パーシア。じゃあ、一緒に行こう。あ、でも、お腹は空いてない? しばらくはトイレも行けなくなるけど」

「それならヘーキよ。行く先が森だもの。トイレもどうにかなるわ。あたしなら大丈夫よ。わんこだって追い払ってあげるわ」

「え、あ、それは……忘れてほしいな。格好悪いから……」

「あんっ、そんなことないわ。ダーリン素敵よ、とっても素敵っ。さ、行きましょ。夜のお散歩が朝になっちゃうわ」


 東サザナミ森へと繋がる道は、町の郊外にあった。二人はしっかりと手を繋ぎ、赤黒く染まっていくグローニャの町を歩いた。

 歩きながら、ダタールは考えていた。ドラゴンの前兆を確かめるための調査か。なら、誰か他の警察官も一緒に……。

 いや、やめておこう。信じてくれないさ、どうせ、僕の話は。

 少年の証言を確かめるだけでいい。少しでも確信を得れたなら、僕の言葉でも彼らを動かせるはずだ。

 ほんの少しでいい。僕の信じたことが、嘘ではなく真実だという確信があるのなら……。


 二人の目の前に、大きな工場が見えてきた。ダタールは固く閉ざされた門の隣に、大きな看板を見つけた。『ロマーシカ縫製工場』……記憶が正しければ、ここの創立者もパーシアの祖母と同じ日に亡くなったはずだ。


「寒いわ、ダーリン」


 確かに風は冷たかった。日もすっかり沈み、二人の影は暗闇の中に霞んでいった。

 ダタールは肩にもたれてきたパーシアの頭に、そっと手を置いた。

 彼女が僕を望むのなら、僕は彼女に応えるだけだ。


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