シーン22「あたしのリスタート」
これでもかというくらい、外は眩しかった。
パーシアは豪快にドアを開け、思い切り背伸びをし、朝陽に目を細めて、ひらひら眼前を通り過ぎていく何かを嬉しそうに追いかけた。
「あっ、蝶々さんだわ、蝶々さんっ」
玉ねぎの皮みたいな蝶々さんは、緩やかに速度を落として地面に滑り込んだ。よく見ると、それは落ち葉だった。パーシアは丁寧に優しく、その落ち葉を持ち上げた。
「まあ、あなた落ち葉さんだったのね。ごめんなさい」
そしてその落ち葉さんを、木の根に溜まった落ち葉の山にそっと返した。
「さあ、ここがあなたのお家よ。ゆっくりお休みなさい……」
心なしか、落ち葉さんは嬉しそうだった。パーシアは風を起こさぬようゆっくり屈みこみ、落ち葉の山を暖かい眼差しで見守った。
春に生まれ、夏に色づき、秋に老いて、冬に眠る木の葉達。こうして眠りにつくのを待つ彼らは、その短い一生で、何を思い、何を残すのか……。
長い年月を得て大地に帰る木の葉達は、やがて生命を育むための礎となり、我々が生きるこの星に恵みをもたらす。その恵みを虫があやかり、動物があやかり、生命――すなわちこの星の同居人の存続を維持し、生を謳歌する。
我々を存在せしめるこの恵みは、このような微細なことから生み出される。つまりは彼らのようにどれほどちっぽけな存在であろうと、簡単には足蹴にできない役割を担っているということだ。彼らのような短い生が、それでも生を全うした彼らが、死してもなお誰かに必要とされているという物語に、パーシアはほろりと涙が出た。
「ううっ……世界って美しいのね」
さて、そんなことより今日は工場へ行く日だ。パーシアは跳ねる勢いで立ち上がり、荷物もないので手ぶらで街道を駆け出した。
道には昨日の猫がいた。道の隅ででんと座り込む姿は……ああっ、なんと麗しく、愛らしいのだろう! こちらを見つめる瞳はくりくりと丸く、俊敏に立ち上がった四つ足は勇ましさと同時に気品を感じさせ、茂みに飛びこむ背姿は、何とも可憐でしなやかだ。
「おはよ、ニャンコ! 今日も素敵な毛並みねっ」
ニャンコは通り過ぎていくパーシアの後姿を、茂みの隙間から覗き込んでいた。
パーシアはくしゃりと落ち葉を踏みつけて、陽気にスキップしながら歌を口ずさんだ。
好き好き好きよ、好きダーリン
あなたが好きなの アイ・ラブ・ユー
あたしのあたしの DA DA ダーリン
ずうっと一緒よ マイダーリン
◇
ジリリーっ、とお昼の鐘がしつこく鳴ったので、パーシアは席を立って深呼吸をした。
近づいてくる人物を目の端に捉え、心の中で唱える。あたしにはダーリンがいるあたしにはダーリンがいるあたしにはダーリンがいる……。
「ねぇ、タチアナ」
声を掛けられ、タチアナはいつもの涼しい顔で足を止めた。
「あたしの鞄知らない?」
タチアナの後ろを歩いていたベルラが驚いたように目を瞠った。仕方ないじゃない。あると思った鞄がなかったんだから。リズが休みなら、訊くのはタチアナの他に誰がいる。
「それなら、工場長が預かっていったけど」
「本当?」
「ええ。盗難防止にね」
こういうときタチアナは役に立つわよね、とパーシアは思った。さっぱりとした性格だから、昨日何をした誰であろうと関係なく接してくれる。
と同時に、他人への関心も薄くてどうでもいいと思っているのだ。たとえそれが、『友達』として三年付き合ってきた人であろうと……。
(あたしだけが友達だと思っていたわけね。何だか馬鹿みたい)
「そうなのね、ありがとう」
パーシアもなるべく無味乾燥を努めて礼を言った。タチアナの脇を通り過ぎると、後ろからベルラの声が聞こえてきた。
「ホント、素晴らしい鋼の精神よね。あんな見苦しい姿を晒したあとじゃ、私だったら恥ずかしくて目も合わせらんない」
パーシアは頭の中にベルラを思い浮かべ、その口に玉ねぎとニンニクをたんと詰め込む妄想をしてから廊下に出た。事務室は廊下を出てすぐ左。開け放たれていた事務室の中におずおずと入り込むと、中には工場長が一人……いや、ユリアもいた。ユリアは席に座って、仕事を手伝っているようだった。静かな室内に、あの……、と気まずそうな声を響かせると、工場長は席を立った。
「来たのね」
見覚えのある鞄を掴んでこちらへと歩み寄ってくる。受け取った鞄は昨日のまま。中身も変わっていなかった。
「あ、ありがとうございます……」
「いいえ。それより、何か他に言うことがあるんじゃない?」
パーシアが言い淀んでいると、突然ユリアが立ち上がった。
「工場長、他に郵送するものは……」
「いいえ、ないわ。今行くの? お昼を取ってからでも構わないけど」
「でも、それだと明日の発送になってしまうので、今行ってきます」
ユリアは帽子と鞄、それから封筒を掴んで、事務室の出入り口、つまりパーシア達のいるドアへと向かってきた。
パーシアはだんだんと近づいてくるユリアの顔を、少し目を尖らせながら見つめていた。険しくも悲しくもない、平静としたその表情……。ユリアは通り過ぎようとするパーシアに、優しく微笑んだ。
「工場の仕事は、来週いっぱいまで手伝うことに決まったの」
パーシアは一瞬何が起きたかわからず、ユリアの足音を遠くにしながら立ち尽くしていた。ユリアの浮かべた温顔……それは一体、何を意味するのだろう。その言葉の意味は? 来週も一緒に仕事ができる、一緒にお昼も取れる、そういうこと?
でも、どうしてそれをあたしに言ったの?
ユリアはあたしと、これから先も一緒にいれると思っているの……?
「それで、昨日の件だけど……」
工場長の声でパーシアはハッとした。そうだ。昨日だ。
「あ、そ、その……昨日はごめんなさい」
「そうね。せめて一声かけてほしかったわ。それで、昨日はどうしたの? 具合でも悪かったの?」
パーシアはそっと閉口した。昨日のことは聞いていないのだろうか。
「あ、あたし、昨日のお昼休みに、その……喧嘩をしたんです。ユリアがあたしを無視したから、それで……」
工場長は一瞬きょとんとして、すぐに呆れたような顔で頷いた。
「なるほど。まあ理由が何であれ、あなたが報告一つしなかっただけで大勢の人に迷惑がかかるのは肝に銘じておきなさいね」
「はい……」
「今後はこうしたことのないように。それで、お昼はあるの?」
「ないです。だからあたし、今日はこれで帰ります」
「そ。明日は来る?」
パーシアはしばし考え込んだ。最初はそう思っていたけれど、今はどうだろう。
「いいえ、明日も来ません。あたし……しばらく来ないつもりです」
そう、と工場長は席に戻って、息をついた。
「まあ、ドラゴンのことでゴタゴタしていたし、あなたにとって唯一の肉親が亡くなったんですもの。もう少し、心身を落ち着かせる時間も必要でしょう」
アンヌもドラゴンも関係なかったが、ひとまずそういうことにしておいた。
パーシアは事務室を後にすると、鞄を両腕に抱えて外に出た。真正面に見える門には、帽子を被って出かけに向かうユリアがいた。
睨みつけようとしたとき、お腹の底から、ぐうぅ、と音がした。まずは昼食を取らなければ。パーシアはユリアの消えた門へと、そっと口を綻ばせて歩いた。
(今日もあのスープにしようかしら? 訊き忘れてたけど、あたしのスープは美味しかったのよね?)
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