シーン16「あたしの噂」
「ホンット面白い子。あんな大げさに叫んじゃって。芝居役者の方が向いてるんじゃない?」
冗談を言ったつもりだったが、三人はクスリともしなかった。もともと他人を笑う人達ではなかったが、ユリアすらも気を遣って苦笑しないことに、ベルラは少し驚いていた。
「つまり、嫌いだったのね……」
「え?」
「私の中であの子は、ただの義務だったのよ。時の流れは残酷だわ。最近は、ただただガッカリすることが多くなっていた。でも、もう限界なのかもしれない」
ベルラはプッと吹き出した。いつもであれば同情しただろうが、今回ばかりは擁護できない。
「ユリア、あなたってたまに抜けてるわよね。あんな自己中、真面目に取り合う子じゃないでしょ? 三人とも物好きなのよ。特にタチアナは。同期で入ったときからずっとあの子に付き合ってあげてるんだから」
「『付き合ってあげてる』って何? そんな気ないけど」
すかさずタチアナが言った。
「私が過ごしているところにあの子が勝手に来ているだけ。別にどうも思わないから何もしないだけよ。それ以上でも以下でもない」
「でもあの子の方は、そんなタチアナに甘え切ってるわ。それは確実。リズちゃんはユリアの同級生だし、ユリアはあの子の幼馴染だったんだから、付き合わざるを得なかったのよね。でもいいじゃない。ちょっとはすっきりしたでしょ? 私、自分を犠牲にしてまで付き合う関係ってどうかと思ってたのよ」
それにはユリアではなく、タチアナが頷いた。タチアナは、思慮深く落ち着いた眼差しをユリアに向けた。
「あなたがお人好しで利他的な人間なのはわかる。けど、今回で流石にそれにも限度があるってわかったんじゃない? どれほど慈悲深くても、人は見返りを求められずにはいられないのよ。人を平等に見れるということは、自分と他人の関係が平等かどうかも気に掛けているということだもの。大きな見返りは求めてないにせよ、一方的に損することは本意ではないのよ」
タチアナは諭すような口調で続けた。
「ベルラの言う通り、真面目に生き過ぎなんでしょうね。全ての人と良い関係を築くなんて不可能なんだから、不毛な付き合いを続けるなんて愚の骨頂。適当でいいのよ。もう少し自分勝手に生きてみたら? 向こうもそうしたんだし」
ユリアは落としていた目をさっと上げた。
ベルラは嬉々とした様子で、三度も四度も頷いた。
「ホントそう。あんなのと居たって疲れるだけよ。ましてユリアは今、大変な時期にいるんですからね。こんなくだらないことで消耗するわけにはいかないわ」
「そうね……」
「あの子も悪気はないんでしょうけどねぇ……却ってそれが迷惑だわ。ホント、どんな育ち方したらああなるのかしら」
「アンヌおばあ様は悪くないわ、いい人よ。上品で穏やかで、私の憧れだった。……勿論、孫にも優しかったけど」
「それとこれは別。優しかったかもしれないけど、その孫が誰かの迷惑になってるなんてどうかと思うわ。しかもそのおかげで、あの子は誰にも信用されない相手もされない孤立した子になっている。それって果たして正しいかしら? ……ま、赤の他人、まして故人にどうこう言うつもりはないけどね」
アンヌを悪く言われてしまい、ユリアはそっと閉口した。そんな彼女の気持ちを汲み取るように、タチアナが言った。
「まあ、実際ずる賢くは育ってないし、アンヌさんは別に間違ったことはしてないんでしょうね。一つ言えるのは、あなたには合ってなかったってこと。良いとか悪いとかじゃなくて、ただそれだけ。白黒つける必要もないんじゃない? 何を考えているかはその人にしかわからないし、どう足掻いたって所詮は他人なんだから」
タチアナの言葉にハッとさせられたのか、ベルラが感嘆に近い声を上げた。
「ホント、タチアナって達観してるわ」
「別に? 母親も逃げ出すほど勝手な父親と暮らしているもの。色々思うことも多いだけよ」
ベルラは額に手を当てて、青い空を仰いだ。
「はあ……どっかの誰かさんに爪の垢でも煎じて飲ませたい。真に苦労している人の言葉は重みが違うわね」
◇
木の幹に身を寄せて、パーシアはこっそりユリア達の様子を眺めていた。
こことの距離は僅か数メートル。走り去ってはみたものの一人で泣きじゃくれそうな場所もなく、結局大勢の人に泣き顔を晒して敷地を一周してしまった。
だが、この場所は案外悪くない。背後には柵を隔てて街道があるが、木も多く、意外と工員達の目につかない。それにここは、彼女達の姿も良く見えた。背を向けたユリアと、ベルラとタチアナの横顔……あたしの陰口を叩く、卑怯な三人が。
三人の話題は、今や別のものとなっていた。パーシアのことはどうしようもない可哀想な子、ということで合点がいったようだ。
それでもなお、パーシアは泣きはらした真っ赤な目で三人を睨んでいた。何が面白いのか、ケラケラ笑うベルラに激しく眉根を寄せる。ふんっ、何が『育ち方』よ。あなたあたしと同い年じゃないっ!
まあいいわ。ベルラだもの。けど、ユリアとタチアナは……許せないわ。
咄嗟に、パーシアは気配を感じて振り返った。
「何っ? 何のよお?」
そこにいたのはリズだった。リズは気迫ある顔に驚きつつも、口を引きつらせて言った。
「意外と近くにいたんだな、って思って」
「そーよ。悪い?」
「昼食、まだ途中だけど……」
「そーね、おかげさまで」
「お昼はもういいの?」
「ええ。お腹もたんまり膨れたもの。誰かさん達のおかげでね」
「休憩時間、そろそろ終わるかな?」
「んもぉ! 知らないわよそんなの! あっち行って。しっ! しっ! お家は向こうでしょっ!」
ぞんざいに手で弾かれ、リズは後ずさった。だけど、その顔は笑いを堪えていた。目を三日月型に細め、閉じた唇をプルプル震わせている。ホント、リズったら何しに来たのかしら。
「パーシア、私さ……」
リズは震える声でどうにか言った。
「私は、パーシアが悪いとは思ってないよ。パーシアは、そのままでいいと思ってる」
言うや否や、リズは去っていった。ベルラに呼び止められ、リズは三人と共に振り返った。
パーシアは慌てて幹に隠れ、しばらくしてからそうっと四人を覗き込んだ。どうやら自分を見つけたことは大手柄だったらしく、褒められているのか謙虚に首を振るリズの姿が映っている。パーシアは胸がチクリと痛んだ。ふん、何よ。おすましリズのいい子ちゃんぶりっ子。
ジリリッー、と勤務開始五分前を知らせる鐘が鳴った。ユリア達が工場へと向かい出し、リズもパーシアの鞄を片付けようとしてベルラに連れられた。
パーシアも行こうとして、一歩木から離れた。だが、工場の入口にはベルラとユリアがいる。あたしのことなのか、別のことなのか、立ち止まって他の工員達と何かを話している。
いずれにしろ、二人は入口を塞いでいた。
パーシアは気が触れたように、カッと目を瞠った。
(お邪魔よっ!)
足の付け根辺りがだんだんと張ってくるのを、パーシアは感じた。
(あたしのおしっこ、漏れちゃうじゃないのよっ!)
パーシアはくるりと振り返った。そこには街道と工場の敷地を仕切る、高い柵があった。
そしてつかつかそこへ向かうと、颯爽と柵を飛び越えて街道を渡り出した。
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