シーン14「あたしの胸騒ぎ」


 ぬるくなったスープを飲み干して、パーシアは新聞を手に取った。

 『未曽有の大事態 封印されしドラゴン蘇る』……新聞の見出しは、これまで見たことがないほど大きな字で書かれている。

 受け取ったのは四日前。買い物をしようと広場を歩いていたときのことだ。珍しく人だかりが出来ていて、みんなが新聞を手に驚愕の表情を浮かべていた。

 もしやと思い夕刊を受け取ったら、案の定そうだった。隣国ベルニア――その港町ラスラの山に、一体のドラゴンが出現したことが記載されていた。あのときグラシコフが言っていたことは決して冗談などではない。本当に、この世界に起きたことだったのだ。


 パーシアはそっと新聞を置くと、バケットからパンを掴んでおもむろに席を立った。窓から差し込む朝陽が、丁度それを照らしている。

 玄関のほぼ真正面に掛けられた鏡。そこを這う黒いニョロニョロ。

 『素直はあなたの宝物よ、パーシア』。おばあちゃんがそう、繊細な字で語り掛けている。


(勿論、しっかり刻み込んでるわ。セルゲイおじちゃんに言われなくたって、あたしはおばあちゃんを信じてるわよ)


「いっへふうはへ、おはあはん(行ってくるわね、おばあちゃん)」


 よく噛んだパンをごくんと飲み込んで、パーシアは仕事へと出かけていった。


 ◇


 工場は変わっていなかった。正確には、見た目はそのままだった。社長が亡くなっても会社の名前は変わらず、皆が仕事に勤しむ姿は、休む前とまるで同じだった。

 リズとタチアナが言うには、工場は葬儀の後すぐに再稼働したらしかった。新しい経営者も元副社長に決まり、当然のことではあるが内部は大きく変わろうとしていた。ユリアもこれを機に異動になったらしく、来週には完全に現場を離れるようだ。

 昼食の時も、ユリアは変わらず二人と過ごしていた。勿論、この日の昼食にもユリアはいた。久々のパーシアも加わった、いつもの四人での昼食である。パーシアは包みを広げ、今日初めて会うユリアに挨拶をした。


「久しぶりね、ユリア。あたし今日から来たのよ。それにしても色々あった一週間だったわね。おばあちゃんが二人も亡くなるなんて」


 ユリアは何も答えず微笑していた。そういえば前回彼女と会ったのは、ロマーシカが倒れたと告白していたときだ。結局あのあと、ロマーシカは亡くなってしまった。まだ元気がないのも無理はない。


「さっきタチアナから聞いたわ。ユリア大変だったのね。葬儀のすぐ後もお仕事していたなんて」


 ユリアが芝生に座る隣で、タチアナが小さな包みを広げて言った。


「さすがにこれ以上停止しておくのは厳しいでしょうね。今回のは発注量も多いし、何より書き入れ時だから。まあ、それも今回だけかもね。実際はどうなのかしら」

「そうね。今はいいけど、そのうち材料も入らなくなるわ」


 伏せていた目を上げ、ユリアが答えた。


「いつもであれば船で取り寄せるのだけど、今は港も閉鎖している。当分の間は軍隊しか使えないようだから、あとは少し遠いし送料もかかるけど、陸路を使うしかないのよ」


 理由は明らかだ。ほんの一週間前までは考えもしない事態だった。


「そうねぇ……あ、じゃあ、お魚も食べられなくなっちゃうってこと? そんなの困るわ。迷惑なドラゴンねっ」


 ユリアは苦笑いをして、昼食に目を落とした。


「そうだ。あのドラゴン、二頭いるって新聞に書いてあったじゃない?」


 小さくパンを毟って、タチアナが言い出した。


「あれはどうやら間違いだったようね。最初に目撃されたドラゴンと色が一緒だったみたい」


 ユリアは顔を上げ、しっかりとタチアナを見て言った。


「あ、そうだったの?」

「ええ。二回目に目撃されたドラゴンは蒼白色。そして、最初にドラゴンが目撃されたのは真夜中。あのぼやけた写真じゃわかりにくいけど、証言を分析していくと、同じである可能性は十分高い」


 『ぼやけた写真』のことならわかるわ、と頷きながら、パーシアは話を聞いていた。しかし、他はちんぷんかんぷんだ。ドラゴンが二頭? 一体何の話?

 確か自分の知っている話だと、ドラゴンは五日前、隣国ベルニアのラスラ山で遭難者を探していた捜索隊によって発見されたはずだ。最初に見つかったのは巨大な獣の足跡。そして次に見つかったのは、すでに息絶えていた遭難者の遺体……。遺体はまだ雪が積もるの早いというのに、何故か凍っていたという。

 ドラゴンが発見されたのは、そのすぐ後だ。突然、異常な寒気と吹雪が隊員達を襲ったのだ。

 振り向くと、そこには夜の空を背にした、薄くも巨大な影があったという。影は恐ろしい鳴き声を発し、口から冷気を放って、隊員達を瞬く間に透明な膜で凍らせてしまった……。それが、たった一人山から逃げ延びてきた隊員の証言だ。

 二日前の新聞に載ったモノクロ写真は、その数日後に撮られたものだという。雪崩の瞬間のようにも見える曖昧な写真だが、専門家が言うにはドラゴンで間違いないのだそうだ。


「あ、思い出したわ。二日前の新聞でしょ? 何の話かと思ったわ。前にユリアがしていた話かと思ったのよ。ほら、ドラゴンがいるかどうかって話」


 持ってきたリンゴもちょうど食べ終えて、パーシアは口端についた欠片をペロリと舌先で取った。


「それにしても驚きね。ちょうどその話の後にドラゴンが出たんですもの。腰が抜けるかと思ったわ。ドラゴンって本当にいたのね」


 ユリアの様子が変だと気付いたのは、そのときだった。こちらを一瞥したかと思うと、そそくさと目線を落としていったのだ。

 パーシアはそれに、何故か違和感を覚えた。何か言いたげに見えたのだが、気のせいだったろうか。どうして目を伏せるのだろう。あたしの顔、何か変?


「そういう意味では珍しい例よね。謎が突然解明されるなんて。そのまま世の全ての謎も解き明かされたらいいのに。……ま、今はそんな悠長なこと言ってられないけど」

「そうね。タチアナの言う通り、事態は深刻だわ」


 あれ? とパーシアはぱちくり目を瞬かせた。

 変だわ変。やっぱり変。何だかこう……変だわ。さっきまでくぐもっていたのに、今のユリアの声は妙に透き通っている。

 すると、隣でリズが言い出した。


「でも、昔と比べて技術も進歩しているし、ドラゴンもすぐ退治されるんじゃないかな? 昔はだって剣と弓矢と……あと大砲くらいしかなかったし」

「まあ、今となってはそれすら本当かわからないけど……少なくとも、昔よりは技術力も上がっていると思うわ」


 えっ、とパーシアは目を瞠った。やっぱりそうだ。ユリア、リズにも答えている!

 あ、これってもしかしてあれかしら? あたし、無視されているのかしら?

 いいや、まだ断言はできない。パーシアは試しに、平静を装って言ってみた。


「そーよ。今はだって汽車なんてものもあるのよ? ドラゴンにも負けないほど、あれだって大きいわよ。あっちがガウーって来るならこっちはポッポーってやり返せば、万事上手くいくんじゃないかしら?」


 案の定そうだった。ユリアは一瞬微笑むだけで、あとはまたすぐに目を落としていった。しかも、軽くため息なんてついている。今は静かに笑うリズの隣で、優雅に昼食を取られておいでだ。

 パーシアはムッと顔をしかめた。何よユリアったら。少しは見てくれたっていいじゃないのよ。あたし、ユリアにもお話してるんだからっ!

 しかしユリアが見たのは、再び話し始めたタチアナの方だった。


「けど、慎重でいるに越したことはないでしょうね。それでも一度は人類を脅かしたドラゴンだもの。前例があるのなら警戒しない手はないわ」

「その通りね。例え文明が進んでいたとしても警戒は解けない。今の技術を信じるしかないわ」

「そうだね……」

「あとは然るべきところに任せるだけだわ」


 話はパーシアを置き去りに進んでしまっている。しかしこちらが、


「そうね。でもあの人達毎日鍛えているから、そうそうやられはしないわよ」


 と言っても、ユリアは再び微笑するだけで、後は黙り込んでいた。

 パーシアはとうとう我慢の限界に達した。気づけばぷるぷると身体が震え、鋭い目でユリアを睨んでいた。


「ねえユリア、変じゃないのよ」


 妙に重さを含んだ声に、まずリズが振り返った。タチアナがそれに続き、最後にユリアがこちらを向いた。


「ユリア、あたしを無視してるでしょ?」

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