シーン12「あたしを包む夕暮れ」
かつて新聞に掲載されたロマーシカ縫製工場のインタビューで、社長のロマーシカは「アンヌとは運命共同体だ」と言っていた。裁縫の才のないロマーシカは、アンヌの協力なしには実業家としての資質に気づけず、受動的なアンヌもまた、ロマーシカの誘い無くして自身の才能を役立たせることもなかった。
後になってロマーシカは、「運命共同体」と言った自分を恥ずかしく思ったらしいが、その必要はなかった。二人は同じ年、同じ町に生まれ、同じ病気と闘い、同じ日にこの世を去ったのだ。二人の関係は確実に親友以上の何かだった。誰が聞いても納得するはずだった。
パーシアはカモミールの花を墓穴に放り込んで、ぼんやりそのことを思い出していた。
アンヌの葬儀は、あれから三日後に執り行われた。ロマーシカと同じ日に亡くなったため、葬儀はロマーシカが午前、アンヌが午後という流れになった。
アンヌの葬儀が行われる頃には、辺りはもうすっかり赤みを帯び始めていた。地面に落ちた影が黒く伸びて、墓穴の棺に眠るアンヌを覗き込んでいる。
影は全員、アンヌの知り合いだった。彼女の葬儀には、パーシアの知っている人から知らない人まで、優に五十人ほどが参列した。
大勢の人々が見守る中、アンヌは粛々と埋葬された。新しい墓の前で神父が祈り、参列者達がそれに続く。
そうして、葬儀はつつがなく終了した。参列者達は名残惜しそうに墓を見つめ、静かにその場を立ち去った。
「あたし、今日の夕飯何作ろうかしら」
参列者の列を追って、パーシアは呟いた。隣を歩くセルゲイが、黒い帽子を被り直して言った。
「パーシアちゃん。今日はうちにおいでよ。家内と二人で夕飯を用意したんだ」
「あら、そうなの? でもあたしいいわ」
「どうして?」
「牛乳が余ってるのよ。あたし、今日はそれで何か作るつもり」
「なら、うちに持ってきなよ。私の得意なデザートを作ろう」
「本当? じゃあ行こうかしら」
セルゲイは安堵したように頷き、表情を切なげに曇らせた。
「実は、来週引っ越すことが決まったんだ」
「まあ」
「猟師仲間から誘いが来てね。相方が引退したから、その代わりを務めてくれないか、って」
「あら、そうなのね」
「だから、今夜はお別れの挨拶も兼ねているんだよ。パーシアちゃんとアンヌさんには、妻も息子も、勿論私も世話になったからね」
墓場の出口が見えてきた。参列者達は門を潜って、それぞれの家へと帰るところだった。
そこに、それと逆行するかのように二人の男がやってきた。一人は車椅子に乗った中年で、もう一人はそれを押して歩く若い青年だ。
青年はすれ違っていく人々――主に女性の顔一つ一つをまじまじ見ながら、誰かを探すようにして歩いていた。二人とも葬儀に合わせてか、きちんと黒い喪服を着用している。
パーシアは不思議に思って足を止めた。すると、青年がこちらに気づいてパーシアを凝視した。
目を見、眉を見、そしてまた目を見て、青年はぱっと顔を明るくした。
「ああ、いましたいましたっ! あれです。あの人です」
車椅子を押して、青年は一直線にパーシアのもとへとやってきた。セルゲイは知り合いだと思ったらしく、「家内と二人で待っている」とだけ告げて、一人で出口へ歩いていった。
残されたパーシアは、こっちに向かってくる青年をじっと見つめていた。どこか見覚えがある気がするが、誰だろう。帽子から覗く赤茶の髪。気弱そうに下がった眉と、頬に散らばるそばかす……。
あ、あの人だわ、とパーシアは気が付いた。あの人よあの人っ。あたしがあの子のためにあれしてたとき、あたしの家にあれしにきた、あの変な話のあの人よ。
「父さん、この人です」
青年は車椅子を止めて、そこに座る男に言った。
「この人があの人の孫のターニャさんです」
その台詞に、パーシアはむっと顔をしかめた。
(んまっ! 人の名前を間違えるなんて! このダリルさんって人、なんてシツレーなのかしらっ!)
「ちょっと、失礼よダリルさん! あたし、パーシアって言うの! 人の名前、間違えないでくださいっ!」
『ダリル』さんは絶句して、口をパクパクさせていた。
(もお……『ターニャ』と『パーシア』じゃ全然違うじゃない)
そんなことを思っていると、車椅子に座ったこれまたどこか見覚えのある男が、整然とした態度で言い出した。
「これは大変失礼いたしました。息子はまだ未熟者でして、人様の名前を間違えることがよくあるのです。どうか許してやっていただけないでしょうか?」
その低く、深みのある声も聞き覚えがある。
男は灰色の目で息子を促し、彼の謝罪を聞いてから、気まずそうな顔でパーシアを見やった。
「それからよく間違われるのですが、息子の名前は正確には、『ダタール』と言います」
「あっ……あら、そうだったのね。ごめんなさい」
「いえ、お気になさらず。まあ、よく間違われる名前ですから」
苦笑しているようでしていないような、何とも言えぬ表情の硬さのある男だった。
男は改まって、まっすぐにパーシアを見つめた。あまりに貫禄のあるので、座っている車椅子がまるで玉座のように見えた。
「挨拶が済んでいませんでしたね。私は、グラシコフと申します。以前、アンヌ様とパーシア様に介抱していただきました。……まずは、アンヌ様のこれからの旅路が安らかであるよう、心よりお祈り申し上げます。アンヌ様とお会いしたのはたったの一度きりでしたが、大変お世話になりました。勿論、パーシア様にも。おかげで足も、順調に回復している模様です。感謝いたします」
丁寧な口調に、パーシアも思わず背筋を正した。
「葬儀は午後と伺っていたのですが、これの手配の為に少々時間が掛かってしまいました」
と、グラシコフが下を向く。『これ』とは車椅子のことらしい。
「遅れてしまい申し訳ないのですが、今からアンヌ様のもとへお祈りさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……ええ、よろしいですわ」
グラシコフに触発され、パーシアも出来るだけ上品に答えた。淑女のようにいなくては、と思いつく限りのお嬢様言葉を集め、こねて混ぜて、またこねてから、カチンコチンに固まった歪に澄ました顔で言った。
「お、お墓の方に未だ神父様がいらっしゃるものかと思いますが、あ、あたくしが案内していただこうかと存じますわ」
グラシコフは数秒放心した後で、パーシアの言葉を理解したのか、そっと頷いた。
「では、お言葉に甘えるとしましょう」
くるりと背を向けて、パーシアは来た道を引き返した。推測通り墓へと案内してくれるようで、グラシコフ――もとい車椅子を押すダタールは、初め呆然としながらもそれに続いた。
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